軌道戦士ソルダム
「重力震――たぶん発生」
真面目にコンソールに向かっていたアマリリスが、自信なさげな声で言ってくる。
|《星鯨》のジャンプアウトで発生する重力震は、《にょろQ》の鈍いセンサーにも引っかかるほどで、恒星系のどこにいてもわかるはずの規模であった。――が、判然としない。
天体規模の手足を持つ巨大ロボが、手足を振り回してくれるせいで、系内の重力地図は乱れまくっていた。
「ロボのほうは?」
三杯目のおかわりをホルダーに戻して、ジークは訊いた。ロボの動きを見たほうが早い。
「マテ。《ソルダム》って名前を付けた。いま付けた。ソルウィック星系だから、ソルダムな。だから呼べ《軌道戦士ソルダム》と。――はい、リピート、アフター、ミー」
「ロボ、回頭中です」
アマリリスが素っ気なく言う。
「――メモリィ。回頭の予想終了地点に、お目々――向けなさい」
セーラが天井に声を投げかける。「はいはぃん」と気の抜けた声が降ってくる。
ふんと顎を上げるセーラに、ジークは肩をすくめて返した。
「ねぇ……。〝ソル〟ってのはわかるけど、〝ダム〟ってなんなのさ?」
カンナの声を皆でせっかく無視していたのに、空気の読めないテレサがつっこみを入れてしまう。
「さァ……。ふくらはぎあたりのコトなんじゃねーの?」
「なにそれ? 自分で付けたクセに」
「イヤ正確にいうと、二十世紀末の業界人の酒の席における無責任な馬鹿ネタに端を発するッて説が研究者のあいだで濃厚であってだナ」
「なんで足なんてついてるわけ? 宇宙で足なんて、なんの役に立つの? ええと……なんてったっけ。〝ダム〟部分? あんなのただの飾りじゃない」
「ワルかったナ! そうだよ! 飾りだヨ! エラいからわかんねーんだよ!」
「わっかんない」
鼻の頭に皺を寄せて、テレサが話題の息の根を止める。
|《星鯨》の出現位置は、惑星を挟んで反対側にあるようだった。惑星周辺の宙域には、ロボのボディになり損なった塵芥が散乱していて、宇宙が黒く見えない。
惑星の大気を構成していた膨大な気体が、ロボが決めポーズを取って手足を振り回すたびに、放物線の軌道で放り出されてゆく。周辺空間に青く輝くアーチが何本も掛かる。空気の帯が太陽光のうち青色だけを散乱させて煌めいていた。
あのロボは〝大気圏〟を持っているのだ。
「ロボ、発進します……」
誰も名前を呼んでくれない機動なんたらロボは、腕組みをしたまま、ロケット推進で移動を始める。
「なんで腕組みしてるのさ」
葬り去ったはずの話題を、テレサがまたはじめている。息の根を止めた自覚がないらしい。
「そう! そうだよ、そう! 足がある理由! 足がねーとナッ! 仁王立ちできねージャン! そうそう!」
だいぶ前の話題であった。カンナが熱く蒸し返すが、テレサのほうはするりとスルーしている。
毎分ごとに、衛星ひとつぶんぐらいの質量を噴き出して、惑星一個が反動推進で移動してゆく。それはさすがのジークも見たことのない光景であった。
重力制御や念動力で動いているのならともかく、分解していかないのが不思議である。さっき「ヒロイックモーター」がどうとか言っていたから、各種族混成の|《勇者》たちの《力》を使って、物理法則を都合のいいように書き換えていたりするのだろう。
向こうの宇宙には、惑星ひとつを十数光年も放り投げた猛者もいるから、ただ動かすぐらいのことは、まあ、そう驚くことでもない。
「惑星……、ひとつを、……動かすだなんて」
セーラがモニターに目を注いだまま、つぶやきを洩らしていた。見回せば、ほとんどの者が同じようにモニターを注視している。アニーとアリエルとジリオラとリムルとが、ぷらぷらと暇そうにしていたので、くわっと目を見開いて、モニターを見ていろと指図する。
銀河大戦の経験者にとっては、たしかに退屈な光景であったかもしれない。《ストーカー》との戦いのときには、惑星がいくつか消え去っていた。知らないところで恒星系も消えていたかもしれない。副砲の単なる試射で衛星をぽんぽん消したりしていた。超新星もひとつこしらえた。
非常識でイケナイことを、だいぶ重ねていた。惑星が動いてゆくぐらい、ぜんぜん常識的というものだろう。
「だれか動かすぐらい――してるだろ。惑星の一個ぐらいさ」
ジークは軽い気持ちでそう言った。
《ヒーロー》の活躍は常にニュースを賑わせていて、仮にも《ヒーロー》を目指そうという者が、見ていないはずもないのだが――。
「ばかな。そんな記録。ありませんわよ」
セーラは手首を振って、一笑に付した。肘掛けを掴んで固まっていた手だ。
記録にないということと、本当に起きていないということとは、違うのだが――。
スカーレットやカーサあたりが死ぬほど死力を振り絞れば、出来ないことでもないだろう。ティン・ツー様なら指一本でやってのけるにちがいない。キャプテン・ディーゼルも目を開けたときの通常出力なら余裕で可能だ。あとシェラザード様と、次女のライナ様あたりと――。
該当者を指折り数えてゆき、右手が終わって左手に掛かったあたりで、メガネを光らせて見つめてくるマギーの視線に気がついた。ぷらぷらと手を振って、そっぽを向く。
「ロボ――、敵と接触します」
アマリリスがそう告げる。
|《星鯨》は敵と識別されていた。するとロボのほうは味方であるらしい。
「メモリィ。お目々の映像、光学モニターに出してくれ」
『はいはぃん』
メモリィのヒマワリ型視覚野から、映像が届けられてくる。
宇宙空間に置き去りにされた大気圏が、元の場所に、青白い薄皮となって居残っている。それを通しての映像は、水中にあるように揺れて青く映っていた。
回っているのかいないのか分からないドリルを、前方に突き出し、ロボが突進する。
「いっけええええエェっ! 宇宙最強っ! いま必殺のっ! ナナセンマン兆トン・ドリル・アターーーーーッークーーーーーーーーーーーーーー!!」
カンナが叫ぶ。叫ぶ叫ぶ。
息の続く限り叫び続けるが、息が切れるまで叫んでも、まだあたらない。
あたらない。
あたらない。
……………。
光の速度の何十分かの一で、相対論的速度で動いているはずだが、激突には、いましばらくかかりそうだった。
「ナナセンマン兆トンって、それ何トン?」
テレサが両手の指を広げきってもまだ足りずに訊いてくる。
「二億九千五百万とんで一万二千三百四十五兆コニシキ――ですかね」
マリリンが指も広げずに言ってくる。
「増えてんじゃん。余計わけわっかんない。だいたいコニシキって単位、それなによ?」
「一コニシキは二五〇キログラムだそうです」
「だから、なに」
「それは師匠のほうに。けれど師匠。設計質量は正確には――、ナナセンロッピャクロクジュウヨンマンゴセンサンビャクロクジュウヨン兆トン――ですけど。これはサンオクロクセンゴジュウハチマンイッセンヨンヒャクゴジュウロク兆コニシキに相当するわけですけど」
「うっせぇ。ゴロわるいだろーが。ナナセンマンでいいんだヨ」
「せめて有効桁数八桁は取ってください。丸めるにしてもほどがあります。あんたそれでも科学者ですか。ちなみにその激突時の予想衝撃エネルギーは、およそ三・九かける一〇の三十二乗アケボノってところですね」
「だからアケボノってなにさ。――ジュールで言えっての。あと丸めてる丸めてる。あんたも丸めてんじゃん」
「口が疲れただけです」
「八桁も叫んでたら、パンチ当たっちまうだろーが!」
「まだ当たってませんが」
「ほんと。あたらないねえ」
――と、テレサもマリリンも口を閉ざす。
皆で静かになって、モニターを見つめる。
「あ。すこし回ったかも。ねぇ回ったんじゃない。あれあれ――」
『はいはぃん。この一分で、ろりるは六度も回ったれすよ』
テレサの指に同意を示したのは、メモリィだけである。
シートの上で膝を抱えこんだテレサは、モニターを指差しながら、もう片方の手に持ったカップをずずっとすすりあげた。
「苦っ。――これコーヒーじゃん。誰かの間違えてない? わたしココアがいいって――」
「当たるぞ」
ジークは言ってやった。ぽんとテレサがモニターに向き直る。
接触の間際――ばくんと、|《星鯨》の六枚の顎が開く。こちらも相対論的速度による開口であった。質量ゼロの完全剛体製の〝歯〟は、かならずしも光速に縛られないが、付着した土砂は光速を越えては動けない。
「あ。」
テレサが口を開けた。
ぱくん――と。口が閉ざされる。
そしてドリルは、見えなくなった。
「食べた」
「食べたな」
ジークはうなずいた。
「ねえ食べたよ。ほら食べた。食べられちゃった」
「見てたって」
「ドリルがっ。ドリルがっ。ドリルがっ」
「静止質量七千万兆トンが六かける十の三十九乗ジュールとして、運動エネルギーが四かける十の三十二乗ジュールですか。静止質量だけならともかく、運動エネルギーまで食っちまうんですね。どんなやりかたで角運動量まで食ってるんでしょうかね。――ねえ師匠?」
「ドリルがっ。ドリルがっ。ドリルがっ」
「丸めた! ねえいま丸めたよ! 計算――はしょったよ」
「ああ。うん。そうだな。丸めたな」
「だから疲れたんですって」
「ドリルがっ。ドリルがっ。ドリルがっ」
右手のドリルを失ったロボは、体を回転させて、キックを繰り出しに行っていた。皆で騒ぎ続けている間に、キックはゆっくりと接近していって、いまヒットの瞬間をようやく向かえる。
|《星鯨》の六枚の〝歯〟が――。
開いた。
閉じた。
「足がっ。足がっ。足がっ」
「ええと。〝ダム〟がなくなっちゃったから……、いまって、ただの〝ソル〟?」
下半身を失ったロボは反転した。逃げるつもりではないだろう。形勢を立て直すために距離を取ろうとしていた。
「ソル――加速しています。推定二十万G」
アマリリスがようやくロボの名前を口にした。オペレーターに撤した口調で涼しげに告げる。
三分で光速に達するかという超加速に、軌道戦士ソルの体は崩壊を始めていた。|《力》でコーティングしていても、弱い部分からほどけていってしまう。
何人の勇者が人柱となっているのか知らないが、これまでの無茶でだいぶ消耗しているはずだった。変な決めポーズに|《力》を注がずにいれば、もうすこし保ったのかもしれない。
「だめです。追いつかれます。ソル――捕獲まであと五秒」
|《星鯨》のほうは念動力で崩壊を防いでいるのか、形を保ったままでロボに追いついてゆく。
ぱくり。
「あ。」
頭からいった。
「――〝ソル〟もなくなっちゃった」
わずかな胴体のカケラが、歯形を付けたまま回転していた。もう一度だけ、銀色の巨大な鏡面が、開いて、閉じた。
そしてなにもなくなった。
「あーあ……」
気まずい沈黙がブリッジに落ちる。
それは非難めいた視線となって、カンナに集まっていった。
「ツギは大丈夫サ。名前にZ付けるからサ。いいだロ?」
「ねぇよ次なんて」
「船団は?」
ずっと無言だったセーラが、腕組みのまま口を開いた。
『はいはぃん』
メモリィが即座に応じる。アマリリスは焦ってコンソールに向き直る。別な光景がモニターに現れる。すでに焦点調節も終わってピントも完全に合っている。無数の戦闘艦を様々なアングルで映した映像であった。
アリエルが所在なく、ぽかんとしたままなので、ジークは目線で合図した。
「あ。はい。……ええと。残存船団ですけど。動きはとくにありません。――あう」
最後の「あう」は、アマリリスにきつく睨まれて黙りこむときの声である。
「報告します。戦闘機動に入る様子は……、ないようです。戦闘の意思ありません」
オペレーターの仕事を奪い返して、アマリリスが言う。
モニターの中には、戦闘の余波が隕石流となって押し寄せていた。見ているうちにも、いくつかの艦が直撃を受けて、爆発する間もなくフレームの中から消え去っていった。
どの船も隕石流を避けようともしていない。族長を失って――目の前で食われて――茫然自失しているのかもしれない。
「残存艦隊……、一八〇〇秒後には、七パーセントまで減少します」
「マツシバは?」
「回頭を開始しました。五Gにて外惑星軌道に向けて加速中」
「七パーセントは、残るのですね?」
セーラが腕組みのまま、念を押した。
「このまま回避行動がないなら、そこまで減ります。でも隕石流の密度からいって、七パーセントは残ります」
セーラは腕組みをほどいた。ブリッジを見回す。
そして口を開く。
「――これより当艦は、残存船団の救助に向かいます。異議あるものは?」
ジークは片手を挙げた。
じろり、と睨み下ろしてくる視線に、いちおう、これだけは言っておく。
「今後の当船の行動に副官として特に異議はありません。――船長」