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星くず英雄伝  作者: 新木伸
EP10~12「鏡像宇宙の英雄達」 第二章
303/333

出発

 眼下へと――。


 惑星がしだいに離れてゆく。


 太く伸びた炎に支えられ、船は上昇を続けていた。高度二万メートルを過ぎてからは、床と壁の震動も収まりつつあった。


 空が青色から黒色へと取って代わり、惑星の水と空気との示すアーチが、足下というより眼下にあるように感じられてくると、ジークにはようやく「還ってきた」という気がするのだが、首を回してブリッジを見てみると、皆の目は惑星を映したモニターにぴたりと貼りついていた。


「アニー。加速。〇・三Gに変更な」

「――うん?」


 せっかく真空で満たされたところに出てきたのに、と、アニーが不満げな顔を返してくる。六Gぐらい盛大に噴かしたいところだろう。地上で行ったオーバーホールのおかげで、|《にょろQ》は設計性能をすっかり取り戻していた。


 ブリッジクルーのなかでは、アニーはジークとふたり、地上を恋しく感じないほうの少数派だ。


 体重が半分以下になるところまでスロットルが戻されると、ジークはベルトを解いて、シートから立ちあがった。


 一段高くなった船長席のもとへ、身を運ぶ。


 高々と組み上げられたセーラの足が、以前とは違って、生足でなくなっている。


 ここへやって来る前に着ていたような、引っぱったら破れそうな葉っぱ製の危ういビキニスタイルではなく、引っぱっても耐荷重五百キロまでは保証付きのアルミナ繊維の灰色のツナギで、ぞろりと色気なく着込んでいるのだ。


 ウエストでベルトを絞りあげていて、そこだけが妙に細い。


 ブリッジを周回してゆくシートの列では、一席ごとに違う色が咲き誇っていた。中央の船長席のセーラの色が、いちばん地味っぽく、生のままの色である。


 船中ではツナギを制服としたわけであるが、色は各自の好きな色に染めていい決まりだ。


 武侠星でたっぷり補給をしてきたせいで、船内には物資が溢れかえっている。


 いま倉庫は満杯で、ラファエルのやつも女の子を連れこめなくなっていた。これは大変いい気味である。


 壁際で仲良く固まっていたブタマジロの丸まっちい休眠体も片づけられていた。グルメのη人に払い下ろして、ガバス通貨へと換わり、そのガバスは無水栄養物の四角いタンクに換えられていた。ブタマジロたちが占めていた体積のわずか三分の一で、三倍の熱量の食料源となる圧縮栄養素だ。レストランをやっていたときの食物合成機も運びこんであるから、味のほうも、星が三つほど並ぶ出来となる。狭苦しい閉鎖空間で一番のストレス発散となるのは食事となるわけだが、それがようやく実現できたわけである。


「――惑星の映像。船内モニターに放送しますか?」

「ああ。そうしてくれ」


 アマリリスにそう答えて、セーラからは、にらみつけられる。


「艦長も。そうしろと」

「船長です」


 しっかりと訂正しておいてから、言葉を継ぐ。


「なるべく長いあいだ、皆に見せてあげられるように」


 自分もモニターに見入りつつ、セーラはそう言った。


「んじゃ、速度を稼ぐあいだ、適当に回ってますかね。まあ一時間ぐらいなら」


 加速方向を固定すると、アニーは首の後ろに手を回した。


 軌道に上がった直後には、宇宙船は秒速九キロというカメのような低速でいる。ジャンプ安全圏となる外惑星軌道までは、数天文単位という膨大な距離が横たわっている。秒速数百キロの惑星間航行速度をもってしても数日を要する旅路であった。〇・三Gで一時間ほどのろのろしていたところで、たいした違いは出ない。


 アニーの言った一時間というのは、惑星を一周する時間である。


「ばっかみたい。なにセンチ、入ってんだか」


 テレサが言った。シートをリクライニングさせて、ふてくされているアニーと、まったく同じ姿勢を取っている。


 テレサはすっかりブリッジクルーの一員となっていた。ユーリのやつはまだ補助席にしがみついているが、脱落してゆくのは、すでに時間の問題であろう。


 ブリッジのなかでいちばん小さなその躯を、テレサはくすんだ色のツナギに収めていた。咲き誇る原色系の鮮やかな色のなかで、ただ一人、暗色を選んでいるのがテレサという少女である。


 視界に入ってきた妹の服の色に、姉が眉を顰める。


「おやめなさい。そのど紫――」

「そうお? 赤一色――なんてのより、品があると思うけど? だけどセーラ、なんで赤着ないのさ?」

「赤は聖なる色です」


 一切の照れも迷いもなく、セーラはそう言い切った。〝赤〟というのは、キャプテン・スカーレットの色である。二百人の生徒たちがいても、誰ひとりとして着ようとしない色でもある。セーラは船長権限で〝赤〟の着用を禁止しているが、その必要は、まったくない。


 眼下に平べったく広がる海が、モニターに映し出されている。軌道に上がってきたばかりだから、まだ軌道はほんの数百キロ。それっぽっちの高度からでも、もはや地上のすべては、薄べったい雲を貼り付けた平面として見えるようになっていた。雲は粘土細工のようだ。そもそも「空」なんていうものは、惑星表面をほんの三十キロばかり覆っているだけの、ごく薄っぺらいものでしかない。


 別のモニターが映し出している自転方向の地平線を、薄く縁取っている青い弧が――あれが「空」だ。


 〇・三Gの加速によって、だんだんと船の高度が上がってゆく。地平線の丸みが強くなってゆくことで、それとわかる。


「ホーマン軌道っていったっけ? なんかそんなようなの。習ったやつ。乗るのって、初めてかも~」

「下品な」


 手放しのままで言ってくるアニーに、セーラが吐き捨てる。


 ホーマン軌道というものは、経済的かつ確実に、軌道変更を行うための最もエレガントな手順である。ずっと手放しでいられるほど暇な軌道で、よって下品なアニーは一度も使ったことがない。


 養成校にいたときには、アニーは『操船』の科目はAクラスのさらに上――。教官よりも、さらに上――。だが『航法』のほうはFクラスのさらに下。どん底であった。


 いちど加速を切らないと、正確にはホーマン軌道とは呼べない。だから『航法』が赤点なわけだが。


 三半規管と尻の感触だけで軌道変更ができてしまえる人間を計る基準は存在しない。もし鳥が『航空力学』のテストを受けたなら、アニーと同じように、やはり赤点を取ってしまうことだろう。


 船内放送は続けられ、ブリッジにお茶が配られる。


 定常加速のもと、飲み物はボトルでなくて、カップに入って配られてきた。それをすすっているうちに、船は惑星を半周近く回っていた。


 高度は上がり続けていた。だんだんと惑星が球体として見えるようになってきている。


 |《にょろQ》は昼のサイドから、夜のサイドへと踏み込んでいた。眼下の惑星には、青から黒へと移り変わる夕闇のラインが、くっきりとした線として刻みつけられている。そのラインの向こう側にあるのは、夜の世界であった。


「おッ――始まッてる、始まッてる」


 自転方向のその先に、全表面積の三分の一を占める大洋が広がっている。


 徐々に見えてきたその姿は――。


 予想していたとはいえ、異様なものであった。


 夜の暗い大海に、赤い破線が編み目状に駆けている。噴火中の海底火山群である。一つや二つではない。軌道上から視認できる火山は、ひとつひとつが点として見えている。それが無数に連なって、破線を描いているのだった。


 眼下の惑星上では、いまナノテクが暴走していた。


 意図して引き起こされたものであるから、それは暴走とは呼ばないのかもしれないが……。


 増殖停止機構を解除された危険なナノマシン群が、地殻の深部まで浸透して増殖を重ねているのだった。赤道に密生するナノ樹群を暴走させて、その根を地殻の最深部まで張り込ませたのだろう。根は周囲の物質を喰らいながら、さらなる成長を果たして、惑星全体を貫通してゆく。


 絶対に外してはならないリミッターを外されてしまったナノマシンは、一分間ごとに倍々となってゆくペースで、爆発的な増殖を重ねているのだった。


「くくくくく。シミュレート通りですね師匠」

「あったりマエだロ。くくくくく」


 ブリッジの片隅で、マッドサイエイティスト約二名が、いけない笑いを浮かべている。


「こんなの表の宇宙じゃ、できないですからねー」

「あったりマエだロ。ちゃんとデータ取っとけヨ。戻ったら裏の学会に論文出すンだからヨ」

「もちろんですって。くくくくく。ワタシも紹介してくださいよ。裏の学位も制覇するんですから。論文が共著になってるかどうか、ちゃんとチェックしますからね師匠」


 火山の噴火は、ナノマシンの活動によって生じた熱が、岩を溶かしたものであろう。地殻の冷え切った惑星であるため、自然の火山活動ということは有り得ない。


 一分間ごとに二倍に増えてゆくという増殖ペースを続けていったなら、一時間と少々――二の七〇乗やら、八〇乗やらというあたりで、ナノマシンの総質量が、惑星の全質量と等しくなる。


 だが暴走は暴走でも、目的を持った暴走であった。


 ――そのはずだ。


 もしあれが本当に暴走しているのでなければ――惑星の全物質を食いつぶす手前で増殖はストップするはずである。惑星全質量の五パーセントほどが分子サイズの微小な作業機械へと変貌していったところで〝作業〟が開始される。残りの九十五パーセントの物質を、組み換えのための原料として使いはじめる。元は惑星だったものを、書き込まれた設計図通りの〝モノ〟に作り替えてゆくのだ。


 眼下の光景を次々に追い越して、船は軌道の周回を続けた。


 夕暮れの到来に数十倍する速さで、陽光が反自転方向に没してゆく。


 惑星の影に入りこんでしまうと、通常映像のモニターには、なにも映らなくなった。


 空気のない宇宙空間では、光はどこからも回りこんでこない。たった千キロ下に地表があっても、まったくの暗黒に閉ざされている。


 編み目を織りあげる赤色光が、眼下の暗闇の中でうごめいていた。見入っているうちにも、その形がゆっくりと変化してゆく。だが赤い光点ばかりで、なにが起きているのかは、わからない。


 大と小とのマッドサイエンティスト師弟のコンソールのなかでは、暗闇のなかで現在進行中の予測映像が動いているのだろうし、可視光でなくて赤外映像に切り替えれば、地表の様子も見通せるわけだが――。


 ジークはあえて、見えないままにしていた。


 セーラもなにも言ってこない。


 カップの底で、コーヒーが冷え切っていた。


 ――と、見つめてくる視線に気がついた。横を向くとセーラと目線が合った。ぷいとセーラはそっぽを向いた。


「なんだよ?」

「なんで、そんなに――」


 そっぽを向いたままセーラは言いかけ――やめてしまう。


 ジークは手にしたカップを覗きこんだ。残っていた滴をすすっていたのは、たしかにちょっと、貧乏くさかったかもしれない。


「あー、おかわりを――」

「ちがいますっ」


 靴底が頭に飛んできた。ごつごつとしたゴムのブロックが頭皮に痛い。


「どうしてっ、あなたはっ、そうやって――」

「なんだよなんだよ、俺がなにしたって言うんだよ」

「どうして――!」


 びっと、指先を突きつける。


 夜の半周が終わろうとしていた。ぐんぐんと昇ってくる太陽が、猛スピードで夜明けを告げている。


「――なんで! 平気なんですのっ!? あんなものを見て!」


 太陽の光に照らしだされる惑星は、もう半周前の姿をしていなかった。


 船が夜の側を飛んでいる十数分のうちに――暴走したナノテクが、惑星を作り替えてしまっていた。


 その姿は――。


 惑星サイズの巨大な姿を持つその物体は、いうなれば――〝巨大ロボット〟であった。


 手があり足があり、頭がある。額には角のようにも見えるV字のアンテナが立っており、そして右手の先にはドリルまで装備している。


「なんでドリルなんだ?」

「ちがうでしょ! まず驚くとか、呆れるとかっ!」

「いや、まあ――だってカンナだし。――だからなんでドリルなんだ?」


 セーラの蹴り足を避けながら、ジークはカンナにそう訊いた。


「巨大ロボットってイッたら、ドリルだロ! わかるだロ?」

「わかんねーよ」

「あれ回るの?」

「回るともサ! 分速〇・〇一六回転でブン回るサ!」

「時速一回転じゃ、回ってるの、見えないじゃん。時計の長針とおんなじじゃん。もっと速く回そーよ」

「イヤそれ以上速く回すとだナ、遠心力と構造強度とのカネあいでもッてだナ、持たねーんだヨ」

「だっさ」

「なにおう!」

「師匠ッ! これは我々の科学に対する挑戦ですッ! 受けて立ちましょうッ!」

「イヤ物理法則は曲がらねーってばヨ。《ヒーロー》いないと」

「人柱にして、一人埋めときましょう! あのドリルの先端あたりにっ」

「イヤもう各関節に一人ずつ埋め込んであるし」


 武侠星で各種族の集まる族長会議に呼ばれていたかと思ったら、こっそり、そんな手伝いをしていたらしい。私利と私欲とが絡んでいるに違いない。――「いっぺんやッてみたかった」とかいう私的な種類の邪な欲望が。


 惑星サイズの生物には、惑星サイズの兵器でなければ対抗できない。


 それが彼らの下した決定であった。カンナが仕込んだに違いないこの計画には、|《G計画》だとか、なにかそんなようなコードネームが付けられている。なぜGなのか。どのへんがGなのか。それはわからない。ヘタに訊いてしまうと、また二十世紀末――四百年も昔の、わけのわからないウンチクを語られてしまいそうで、ジークは自重している。


 武侠星に集結した連合艦隊は、総力戦で一度は敗れ去っていた。各種族の艦艇数は激減している。船の数が足りない。ナノ樹の生産能力は無尽蔵だが、収穫数には限りがある。それに船が足りていたとしても、乗りこんで動かす戦士の数が足りていない。


 |《星鯨》は惑星を喰らいにきている。このへん一帯の岩石天体はすでにあらかた食い尽くされていた。前回の戦いで一時撤退していたあと、《星鯨》がすぐに再襲撃に来なかったのは、このソルウィック星系の第一惑星と第三惑星を食っていたからだ。あと残る〝食料〟は、この第二惑星――武侠星だけである。


 どうせ喰われてしまうのであれば、その前に自分たちの手で使い尽くしてしまえ。――と、いかにも大ざっぱで、荒っぽい物の考えかたである。


 破れかぶれで投げやりで、とても名案とは思えない。


 だがジークたちはしょせん部外者でしかなく、それを言う資格がない。こちらの宇宙の基準でいえば、最弱種族のΩ人である。戦力になることを期待されてもいない愛玩生物なのだった。


 そもそも違う宇宙の人間なわけだが。


「《ヒロイック・モーター》――稼働良好。現在総出力、四掛ける十の二十六乗ジュール毎秒っ!」

「よぉし縮退炉を抜いたッ! いま現時点で宇宙最強! いけいけ勇者ロボ! ゴーゴーゴー!」


 マリリンとカンナが二人だけで騒いでいる。まったく必要のないモニタリングだ。


 巨大ロボットは一分近くも掛かって、なにかゆっくりと決めポーズみたいなものを取っていた。関節に《ヒーロー》――各種族の《勇者》が埋めこまれているというのは本当らしい。モーターの替わりとなって働いているのだろう。


 十の二十六乗ジュールといえば、恒星の核融合が毎秒ごとに生み出すエネルギーにも匹敵する。とんだ無駄遣いである。


「離れとくけど、いいよね?」


 アニーがそう言った。船の加速が変化してゆく。一Gほどの加速が掛かって、ふわふわしていた足下が、きっちりと床に押しつけられる。無重力に慣れていたときにはきつく感じた一G加速も、惑星の重力下で一ヶ月近くを過ごした後では、ちょうど良く感じる。


 決めポーズを肉眼で視認できる位置から、望遠鏡を必要とするぐらいの距離まで離れていなければ危険である。


 |《にょろQ》は加速を続けていった。


 惑星を周回する長楕円軌道から離れ、二度と戻ってこない放物線へと、その軌道を変えていった。


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