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星くず英雄伝  作者: 新木伸
EP1「放浪惑星の姫君」  第一章 プリンセス・ラセリア
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緊急警報

「あーあ、こんなに散らかしやがって……」


 髪の毛の巻きついたブラシ。船の備品の古ぼけたコードレス・ドライヤー。

 ジークは取り散らかされたスタイリング用品を、片端からバッグの中に放りこんでいるところだった。嵐のような騒ぎは、すでに過ぎ去っていた。顔と髪を作りあげた女たちは、カメラマンたちのところで打ち合わせに入っている。


 この撮影に、専門のスタイリストなど用意されていない。そのぐらい自分たちでこなせなければ、『宇宙万業』を名乗ることなどできないだろう。


 必要とあらば、『SSS』は葬儀屋にだってなれるのだ。ちなみにその場合、依頼主に告げる社名は『SPACE SLEEPER SERVICE』ということになる。

 今回、スタイリストの心得があったのはエレナだった。「昔取った杵柄ですの」と微笑みながら、たったひとりで全員の髪を手早く仕上げてしまう。本業である交渉人ネゴシエイターのほかに、いったいいくつの特技を持っているのだろうか。まったくもって経歴不明の人物だ。


 バッグのファスナーを締め、ジークは遠くで打ち合わせに入っている女たちに目を向けた。


 チーフ・カメラマンのイタリア男は、あいかわらず派手な身振りで喋りまくっている。折に触れては女たちの体に手を伸ばし、親密なスキンシップを持とうとする。

 そのイタリア男の手が、アニーの腰に伸びる。腰を抱かれたアニーは、嬉しそうな顔で身をくねらせた。一瞬、ジークと目が合う。


 ――んべっ。


 舌を突きだすその仕草に、怒っていることが馬鹿らしくなる。


「アホらし、寝よ寝よ」


 バッグを放り出してデッキチェアに身を落とした。麦の茎で作った帽子を、顔の上にぱさりと落とす。


 撮影開始を告げるエディの声が聞こえてきた。心を平静にしようとして、ジークは大きく息を吸った。


「はぁい! それじゃあ上取ってみようかぁ!」


 どういうわけか、心臓が高鳴る。


「いいね、アニーちゃん。いいや、隠さないで! 小さくなんかないさ、可愛いよ……」

「よぅしエレナ、ちょっと下から押しあげてみようか……」


 暑いわけでもないのに、だらだらと汗が流れる。


「ジル、君はもうすこし気分だしてみよう。ちょっと目を細めてもの憂げな感じ、そう、それでいい。とってもセクシーだよ」

「はぁいカンナちゃん、邪魔しないでねー」


 ジークが脂汗を浮かべているその時――。


 突如として耳をつんざくような大音響が鳴り響いた。

 宇宙で最も聞きたくない音色――緊急警報だ。


 牛の吠えるような音がきっかり一秒間ほど続き、ついで断続的な高低音のシーケンスに入ってゆく。すでに飛び起きていたジークは、耳を澄ませた。


「この符号、ジオメニック社の系統か――?」

 ローカルなコード体系を、記憶の底から引っぱりだす。


「衝突警報――隔壁閉鎖、対衝撃準備だって!?」

 コードに込められた三つの意味をジークが読みとるのと同時に、天井ではシャッターが閉まりはじめていた。


 撮影隊の面々は、何が起きようとしているのか分からずにウロたえている。空中に浮かんだ女たちのほうは、ジークと同じようにコードを聞き取って早くも行動を起こしていた。プールサイドに戻ろうと、空中を泳ぎはじめている。


 ジークは撮影隊の男たちに向かって駆け出した。プールサイドを走りながら、男たちに向かって叫ぶ。


「何やってるんだ! 早くどこかに掴まれッ!」


 頭上では、透明な窓の上を鋼のシャッターが走っていた。だが直径にして数十メートルもある巨大な窓だ。完全に閉まりきるまでに、二、三十秒の時間はかかる。


「なんだってあんな大きな窓を作ったんだ! 早く閉まれ! ちくしょう!」


 割れる船体。吸い出される空気――。真空にさらされた子供の頃の恐怖が、ジークの精神を揺さぶってくる。ジークはプールの設計者を呪ってやりたくなった。


「そこらにしがみついてろ!」


 立ちつくす男たちを手近な樹木に向けて突きとばし、足元に丸められたケーブルを解く。足場のない空中でもがいている女たちに向けて、ケーブルの一端を放り投げた。


 先頭にいたアニーが手を伸ばし、ケーブルの端を受け止めようとする。だが無重力空間で生き物のようにのたうつケーブルは、手の中になかなか収まろうとしない。


 その時、窓の向こう側――宇宙空間を何かが通り過ぎていった。青いプラズマの奔流が、レンズの全面を覆いつくす。


 衝撃が来た。


 ダイヤモンド以上の硬度をもつ硬化テクタイト製の窓に、ひびが走る。もはや透明でなくなった窓は、いくつもの破片にわかれて内側に膨らんだ。それも一瞬のこと。きらめく破片のすべてが、真空の宇宙に吸い出されてゆく。


 窓のあった場所には、ぽっかりと黒い空間がひろがっていた。


 減圧がはじまった。

 空気中の水蒸気が凝縮して、視界が白いもやに覆われる。


「――!!」

 ジークは女たちの浮かぶ場所に向けて叫んでいた。何を叫んだのかよくわからない。耳に痛みが走る。自分の声さえも聞こえない。


 宇宙へと続く黒い穴の縁で、竜巻が育ちはじめていた。


 女たちの姿が、白いもやを通して見え隠れする。女たちはゆっくりと流され始めていた。プールの巨大な水球さえもが、竜巻に引き寄せられるように徐々に動きはじめている。


 ジークは狂ったようにケーブルを繰りだしていた。その手が終端を探りあててしまう。あと数メートル。たったそれだけの長さが足りない。

 四人でしっかりと身を寄せあった女たちは、竜巻に向かって徐々に流されていた。


「――!!」


 ジークは叫んだ。誰の名を叫んだのか、よくわからない。

 飛びだそうとしたジークの体を、誰かの腕ががっしりと押さえこんだ。


 水球が竜巻に捕らえられた。縦に引き伸ばされ、細長くなった水の流れが宇宙へと吸い出されてゆく。その水流の最後のあたりに、女たちの白い体がちらりと見える。


 それが最後の光景だった。装甲シャッターが閉じると同時に、静寂が戻ってきた。ひりつく肌に血の気が通いはじめる。ちくちくと痒かった。つんと鳴りっぱなしだった耳が抜け、周囲の物音が聞こえるようになる。


 激しく咳きこむ音。

 鳴りつづけているサイレン。

 補充される空気がノズルを通る擦過音。


 背中からしっかりとジークを押さえている男の腕は、撮影チーフのものだった。男は咳きこみながらも、なんとか口を開いた。


「早まって……くれる…なよ。君まで死んで、どうする?」

「死ぬ……だって?」


 ジークは激しく首を振った。


「そんなことさせるもんか! うちの社員だぞ! 死なせるもんか! 何があっても助けてみせる!」

「助けるったって、もう宇宙に――おい! どこへ行く!?」


 呼びかける声を振りきって、ジークは駆け出していた。


次の更新は明日07時となります。

それ以降は、毎日、7時、17時の2回更新です。

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