カシナート
両開きの巨大な扉は、その重量にふさわしくない滑らかさで内側へと開いた。
大広間に足を踏みいれたジークたちは、その空間を占める空気の異質さを感じて足をとめた。
外で行われている戦闘が嘘のように、部屋は静寂に押し包まれていた。
見通すことのできない深い暗闇が、広間の奥底に広がっている。
その闇の中から、男の声が響いた。
「ついにここまでやってきたか、《ヒーロー》よ――」
広間の奥からだというのに、その声は耳元で囁かれるようにはっきりと聞こえてきた。隣にいるアニーを含め、隊の誰もが動きを止める。
アニーは不安げに周囲を見回していた。
「ジ、ジークぅ……なんかやばいよ、これって――」
ジークは声の主に叫びかえした。
「姿を現せ! それから言っとくが、オレは《ヒーロー》なんかじゃないからな!」
「つまらぬ世迷言を――《ヒーロー》でもない者が、この場に立てると思うてか?」
黒いマントをはおった男の姿が、部屋の奥にぼうっと浮かびあがる。
傍らには白いドレスに身を包んだカサンドラの姿もある。彼女は燃えるような瞳でジークをにらんでいた。
(お前さえ……、お前さえ来なければ……)
そんなカサンドラの声を、ジークは聞いたような気がした。
隊員のひとりが前に進みでて、《労働組合》としての要求を声高に述べはじめる。
「カサンドラ社長! 海賊と結託した廉で、お前の身柄を要求する! 株主総会にかけて是非を問わん! だが抵抗せぬというなら、社長への礼節をもって応じる用意があるぞ!」
カサンドラは朱を引いた唇をわずかに開いた。
「礼節ですって? このカサンドラ、お前たち地下組織のドブネズミにそんな口を利かれる覚えはありませんよ」
「ド…、ドブネズミだとぉ!」
激昂する男を、ジークは片手で制した。
《ダーク・ヒーロー》に向かって話しかける。
「あんたはどうなんだ? その女はもう終わりだ。そのくらい、わかっているだろう?」
「お黙りなさい! 下郎!」
柳眉を逆立てるカサンドラに、アニーが怒鳴りかえす。
「そっちこそ黙りなさいよ! 年増ババァ!」
「どうだ? このまま引き取ってくれるなら、あんたのことは忘れる。約束する」
「ちょ――ちょっとジーク!」
「勇者殿!?」
慌てる仲間に向かって、ジークは小声で言った。
(仕方ないだろ! 相手は《ダーク・ヒーロー》なんだぞ! おとなしく帰ってもらうしか手がないだろうが!)
「どうだ? 悪い話じゃないだろう? なんだったら、ラセリアに掛けあってあんたの出した損害を埋め合わせてやってもいい」
「ジ…、ジーク……あんたって」
アニーが呆れたようにつぶやく。
ジークは無視した。
《ダーク・ヒーロー》は答えるかわりに、口の端に笑いを浮かべた。
「ほーっほほほ! いい気になるんじゃないわよ小僧! 黙って聞いていれば……誰が終わりですって!? 誰が年増ですって?」
「強がりを言うなよ。これだけの人数があのアンドロイド兵を目撃してるんだ。どうやって言い逃れするつもりだ」
カサンドラは片方の眉を釣りあげた。
「目撃者? そう……、1000人? それとも1万人かしらね? だけど関係ないわ。みんな消してしまうのだから」
「なっ……」
ジークは絶句した。
「心配はいらないわ。あの小娘だけは、生かしておいてあげる。そう……しばらくのあいだはね。そして用がすんだら、ちゃあんとあなたのところに送り届けてあげるわ。そうね……。自分から自害でもするように、とっておきの辱めでも与えてあげようかしら? うふふふふっ」
婉然と微笑むカサンドラに、ジークは叫んだ。
「なんだとっ!」
「カサンドラ。喋りすぎだ、下がれ――」
それまで沈黙を守っていた《ダーク・ヒーロー》が、カサンドラを下げさせて口を開く。
「《ヒーロー》よ……あまり私を失望させてくれるな。お前には、このくだらぬ茶番に華を添える役目があるのだぞ」
「茶番だと? お前らのせいで、何人死んだと思ってるんだ!」
ジークは声に怒りをこめた。
「どうした、《ヒーロー》――? なにを迷っている? それだけの鎧を着込んでいて、生身の人間ひとりが怖いのか?」
ジークは手の中のレーザー・ライフルをぐっと握った。
対車輛用のレーザー兵器だ。人ひとり殺傷するには充分すぎる威力のはずだった。
「その銃は飾りか? どうした? 撃ってみろと、そう言っている」
硬質プラスチックと鋼でできた武器が、こんなにも頼りなく感じられたことはない。
「この私を楽しませてみせろ。でなければ、貴様の大事な姫で楽しませてもらうことになる」
その言葉が、きっかけを与えた。
ジークはレーザー・ライフルを肩に付けた。スコープの中に《ダーク・ヒーロー》の姿を捉える。その顔は薄笑いを浮かべていた。
トリガーを引きしぼる。赤いビームが、《ダーク・ヒーロー》めがけてまっすぐに伸びていった。
伸びてゆく――!?
ジークは戦慄した。ビームが伸びてゆくさまが見えるのだ。
迫りくるビームに対して、《ダーク・ヒーロー》は余裕をもって行動した。傍らに立つカサンドラを引き寄せ、その白い肉体を自分の前にかざして盾にする。
引き伸ばされていた時間が、ふたたび元の速さで流れはじめる。
カサンドラは驚愕の面持ちで、《ダーク・ヒーロー》の顔を見つめていた。
乳房から腹部にかけて、ドレスに大穴が開いている。皮膚は酷く炭化し、ぶすぶすと煙をはなっていた。
「カ、カシナート様……」
すがるようにそう言い、ごほっと血の塊を吐きだす。
《ダーク・ヒーロー》は醒めきった目で、死にかけている女を見つめた。
「役に立たぬ女よな。お前など、もう用済みだということがわからぬか? こうして私の盾として死んでゆけることを感謝するがいい」
「そ…、そん…な……」
「せめて最期は、私の手で逝かせてやろう」
黒い長剣が、《ダーク・ヒーロー》の手の中に出現する。
「ぎゃああああ――ッ!」
絶叫があがった。
肩口から突き立てられた剣が、ずぶずぶと時間をかけて女の身体に入りこんでゆく。剣が根元まで突き立てられるあいだに、カサンドラの体は何度も痙攣した。大量の血潮が開かれた口から溢れだす。
「貴様あぁっ!」
「ジーク! だめぇッ!」
逆上したジークは、アニーの制止もきかずに飛び出していた。
ホバーを吹かし、階段の中ほどに立つ《ダーク・ヒーロー》に襲いかかる。
動かなくなったカサンドラの身体を階段から突き落し、《ダーク・ヒーロー》はジークに顔を向けた。
ジークは渾身の力をこめてメイスを振るった。狙いたがわず、それは《ダーク・ヒーロー》の顔面に命中した。魂をも砕く超振動が、男の頭蓋を抜けてゆく。
それだけだった。
何も起こらない。沸騰する体液が皮膚を突き破ることも、熟したトマトのように頭蓋が陥没することもなかった。
メイスの一撃を顔面で受けとめ、《ダーク・ヒーロー》は言った。
「それだけか?」
マントの下から黒い腕が伸びて、パワード・スーツの頭部を掴みにくる。
「つまらんぞ」
頭を押さえられる形で、ぐっと荷重がかけられる。
力を入れたようすもないのに、パワード・スーツのフレームが軋みをあげる。
「くそっ!」
片腕一本で加えられる荷重は、とどまるところを知らぬ勢いで増してゆく。
ついにジークは、押さえつける力に屈してしまった。耐えきれずに、がくりと膝をつく。
「このまま潰してやろうか?」
力が何倍にも跳ねあがった。
パワード・スーツ各部のアクチュエーターが高周波の悲鳴をあげる。両膝だけでなく、両手もついてジークは耐えた。十数トンの荷重に耐えるはずのパワード・スーツが、ひとりの人間の手によって這いつくばらされていることが信じられなかった。
ぎしりと異音が響く。木製の階段の底が抜けた音だ。
「うわわっ!」
木材の破片が舞い散るなか、ジークは重力に引かれて落下していった。
床まで落ちたところで落下が止まる。ふりかかる大量の瓦礫を払いのけて、ジークは《ダーク・ヒーロー》の姿を探した。
《ダーク・ヒーロー》はジークの頭上にいた。
足場のない空中に立っている。階段があったはずの場所と高さ――その位置に立っているのだ。
「どうした? お前も《ヒーロー》なら、《力》を使ってみせろ」
「そんなものあるかっ! オレは《ヒーロー》なんかじゃないって、何度言えばわかる!」
《ダーク・ヒーロー》は、あたかもそこに階段があるかのように空中を一段ずつ降りてきた。マントを広げてジークの前に降り立つ。
「そんなはずはあるまい? 貴様のその――」
カサンドラの命を奪った黒い剣が、目に見えぬ速さで何度か閃いた。パワード・スーツの頭部から胸部にかけてが、ぱっくりと開く。硬化テクタイト製のキャノピーは、幾筋もの切断面をみせて床に散らばった。
「――その《ヒロニウム》は、飾りではあるまい?」
《ダーク・ヒーロー》はジークの胸を指ししめした。ぼんやりと白い光をはなって、ペンダントが揺れている。
「これは――これはただのペンダントで……」
ジークは口ごもった。
子供のころ父親からもらった貴金属のペンダントだ。暗闇でぼんやりと光るだけの、なんの変哲もない小さなインゴットだった。
「わからんな。隠す必要がどこにある? それとも本当に知らんのか?」
《ダーク・ヒーロー》はいぶかしげな表情でペンダントを見つめていたが、ややあって、何かに気づいたように顔をおこした。興味深げな目を部屋の一角に向けている。
「お前が力を引き出せるように、ちょっとした手伝いをしてやろう。たしか《ヒーロー》の力は仲間の危機によって強まる――だったな?」
《ダーク・ヒーロー》が見ているものが何か、ジークにはわかってしまった。
広間の入口で密集体形を取っている隊員――そしてアニーなのだ。
「やめろ!」
ジークは動こうとした。
だが動けなかった。いくら手足を動かそうとしても、半壊したパワード・スーツは不規則な痙攣を繰りかえすばかりだった。腕を持ちあげることさえ自由にならない。排除機構もいかれているようで、まったく手応えがなかった。パワード・スーツは動くことも脱ぐこともできない鋼鉄の棺桶とかしていた。
「やめさせたくば、《力》をみせることだ。急げよ――私が全員を殺してしまう前にな」
《ダーク・ヒーロー》はジークの脇を抜けて歩いていった。
ジークにはその後ろ姿を追うこともできなかった。顔は正面に固定されている。
ジークは声を限りに叫んだ。
「みんなッ! 逃げろォっ!」
その願いもむなしく、争いあう音が聞こえてくる。
怒号、銃声。そして絶叫――。
「動け! このッ! 動けよぉっ!」
歯を食いしばって力をこめるが、びくともしなかった。
そのあいだにも、背後からは断末魔の悲鳴がいくつも聞こえてくる。
「ちくしょう! やめろ! やめてくれっ!」
何度目かの叫びをあげたとき、ジークの目の前に一体のパワード・スーツが飛びこんできた。
「ジーク!」
「アニーか!?」
跳ねあがったフェイス・プレートの下から、涙で濡れた少女の顔が現れる。
「みんな――みんな死んじゃうよぉ! ジーク! ジークぅ!」
涙声で訴えながら、アニーはジークの正面にとりついた。
震える手でパネルにむかい、強制排除のコードを懸命に打ちこもうとする。
「アニー! やめろ、無駄だって!」
ジークの声も、アニーには届いていない。
狂ったようにボタンを叩くだけだ。
「なんでよぉ……なんで開かないのよぉ」
「アニー!」
声を限りに叫ぶと、アニーはびくりと身をすくませた。
顔を上げたアニーに、ジークはゆっくりと言い聞かせた。
「お前だけでも逃げろ。ここにいたら殺されるぞ」
「でも……」
「もう別れはすんだか?」
《ダーク・ヒーロー》の声は、ジークの背後から聞こえてきた。
アニーがはっと息を呑む。
「ほほう……女がいたのか?」
《ダーク・ヒーロー》は剣をゆっくりと持ちあげた。
「やめろ!」
剣先がアニーのパワード・スーツの表面をなぞるように動く。金属とセラミックの複合装甲に、ぱっくりと裂け目が開く。《ダーク・ヒーロー》はさらに剣先を動かした。パワード・スーツをゆっくりと解体してゆく。
「い、いやっ……」
アニーは小さくしゃくりあげた。
その目は、怯えた子ウサギのように揺れ動いている。
パワード・スーツの解体は、たいした時間もかからずに終わった。
残骸の散らばる中央にアニーだけが立っている。アンダー・ウェア一枚の無防備な姿だった。
アニーの身体を舐めまわすように眺め、《ダーク・ヒーロー》は感想を述べた。
「悪くない……これなら楽しめそうだ」
「ひっ…」
アニーが息を詰めた。ちいさな胸を両腕でかばう。
「くそおぉぅ! 開け、開け! 開けーッ!」
動かないパワード・スーツに向けて、ジークは叫んだ。
その時、胸元のペンダントが淡く発光した。死んでいたはずの機械に命が通う。パワード・スーツのハッチが軋みながら開いて、ジークを解放する。
「開いた!? ――アニー!」
ジークは飛び出していった。
アニーを背中にかばいこむようにして、《ダーク・ヒーロー》の前に立ちはだかる。
「それでいい。やればできるではないか。さあ《ヒーロー》よ、我と戦え……」
《ダーク・ヒーロー》は満足そうな声で言った。
ジークは胸のペンダントに手をかけた。
首からはずし、鎖を持って吊り下げる。
「《力》なんて知るか。何度も言ったろ。オレは《ヒーロー》なんかじゃない!」
叫びながら、ジークはペンダントを投げ捨てた。敷きつめられた絨毯の上を、軽い音を立ててペンダントが転がってゆく。
「貴様……自分が何をしたかわかっているのか?」
《ダーク・ヒーロー》は冷たい声で言った。
「ああ、わかっているとも。オレは《ヒーロー》なんかじゃない。期待に添えなくて悪かったな。さあ! オレを切り刻めよ!」
「そうか……そういうつもりか。ならばお前には、もう用がない」
《ダーク・ヒーロー》は剣を持ちあげた。横薙ぎに、軽く振るう。
「――!?」
自分の身に起きたことを、ジークはすぐに理解できなかった。腹のあたりから、なにか赤いものがはみだしている。
「ジークっ!?」
アニーの叫びも、どこか遠くから聞こえるようだった。こんなはずではなかった。できるかぎり時間を稼いで、アニーを逃がすつもりで……。
腹に両手を当てると、熱い湯に触れたような感触があった。引きもどした手は、赤く染まっていた。腹からはみ出していた赤いものが、その重みでずるずると滑り落ちてゆく。手で押さえるが、その勢いは止まらなかった。
床に広がったみずからの臓物の中に、ジークは前のめりに倒れていった。
◇
広間に足を踏みいれたラセリアは、むせ返る血の臭いに表情を凍らせた。
「ジーク! ジークぅぅっ!」
半狂乱になったアニーと、その手を掴んで離さない《ダーク・ヒーロー》の姿が見える。ジークは血の海にうつぶせに倒れていた。
初めて見る光景でありながら、ラセリアの心に驚きはなかった。そこにあるのは、予知した通りの現実でしかなかった。
ラセリアは《ダーク・ヒーロー》のもとへ真っすぐ歩いていった。途中、腰をかがめてジークのペンダントを拾いあげる。
「ジーク! ジークっ!」
アニーが叫んでいた。
ラセリアはうつぶせに倒れたジークのもとに歩いていき、ペンダントをそっと首にかけた。身を屈めて、その頬にそっと唇をあてる。
短い別れをすませて、ラセリアは立ちあがった。毅然とした顔を《ダーク・ヒーロー》に向ける。
「その手をお離しなさい」
「ほう……。みずから我が元へやってきたか。じっくり、時間をかけて探し出してやろうと思っていたのだがな」
《ダーク・ヒーロー》はアニーの手を離した。
自由を得たアニーは、叫びながらジークの体にすがりついた。
「ジーク! しっかりして、ジーク!」
ラセリアは血まみれのジークから目をそむけ、《ダーク・ヒーロー》に言った。
「貴方の狙いは、わたくしのはずです」
「そうだ。《星鯨》の巫女――お前が必要だ」
「ならばわたくしひとりを連れてお行きなさい。これ以上の犠牲は無用に願います」
《ダーク・ヒーロー》は、しばしの間を置いて答えた。
「よかろう――来い」
ラセリアは最後に一度だけジークに顔を向けた。その目に、様々な表情が去来しては消えてゆく。
やがて広間から《ダーク・ヒーロー》とラセリア、そしてアニーの姿が消えた。
そして広間は、静寂を取りもどした。