地下組織《労働組合》
いったん事が決まれば、《労働組合》の面々の行動は迅速だった。
惑星中から物資や人材が続々と集められてくる。
武器と弾薬は、各地に潜む組合員たちが何世代にもわたって貯えてきたものだ。
食料や衣料品のコンテナにカモフラージュされて、各地から少量ずつ送られてくる。
人材のほうはもっと公然とした形を取っていた。
人事部からの正式な転属命令によって、数百人あまりの闘士が堂々とニュートキオに入りこんでいる。
《労働組合》は惑星マツシバの地下に縦横に広がる巨大な地下構造をその本拠としていた。
文字どおりの意味で、地下組織といえる。
どこもかしこも気違いじみた活気の充満する地下基地で、ジークは落ちつける場所を求めて通路をさまよっていた。
この48時間ほど、まともに睡眠をとっていない。
「あら、社長――」
「ジーク、どうかしたのか?」
名前を呼ばれて、ジークは振り返った。近くのドアから、エレナとジリオラのふたりが首だけを出してこちらを見ている。
「おおい! ちょっとどいてくれ!」
砲弾を満載した台車が通りがかる。ジークは部屋に逃げこむように道を譲った。
「社長、顔色がすぐれませんわよ。だいじょうぶですの?」
見ると、部屋の中には小さなテーブルがあり、湯気を立てるティーカップが2つ置かれている。
2人で話でもしていたらしい。
「ああ、ごめん。じゃましちゃったみたいだね」
部屋を出て行こうとするジークの肩を、ジリオラが押さえた。
「いや、いい。いま済んだところだ」
そう言って、ジリオラは部屋を出てゆく。
その後ろ姿を見送ってから、エレナは小さく笑い声を立てた。
「うふふっ。ジルったら、照れてるんですよ。ちょうど社長のことを話していたところでしたから」
「ぼくの……?」
ジークは長椅子に腰を下ろしながら聞き返した。
「ええ。幽霊みたいな顔でうろついてるけど、だいじょうぶだろうかって。実戦は――初めてなんでしょう?」
「う、うん……」
海賊相手の立ち回りとはまるで違う。
明日の決戦は本格的な戦闘になるだろう。
「小隊のメンバーとは、うまくいっているのかって」
「ああ、ぼくなんかより、よっぽど経験豊富な連中だよ。ぼくが指揮していいのかって思うくらいさ」
ジリオラとジークには、それぞれ十数人ずつの闘士が預けられていた。
そのこともジークには重荷となっている。
「しっかり寝ておくのも戦士の仕事だって、そうも言ってたかしら」
「きっついなぁ。わかってはいるんだけどね……。眠れないんだ。寝ようとしても」
ジークは長椅子に寝転がった。
天井のランプをぼうっと見上げる。
疲れてはいても、気が昂ぶってどうしようもないのだ。
「よく眠れるおまじないがあるんですけど……してさしあげましょうか?」
覆いかぶさるようにして、エレナの顔が視界に入ってくる。
「え? ……い、いや、いいよ。遠慮しとくよ」
ジークは飛び起きた。
背中に壁を背負うようにして、ドアのわきまで移動する。
「それじゃ、えっと。ぼくはこれで……」
ノブに手をかけたジークに、エレナが言う。
「そろそろアニーが戻ってきてますよ。地下水路のほうに――」
「ああ、わかった」
逃げるように通路に出て、ジークはほっと息をついた。
何度か深呼吸をして息を整えると、ジリオラの言っていた地下水路に向かう。
各階層を貫通する昇降リフトにつかまって5階層ほど降りてゆくと、とたんに空気が湿っぽく変化する。
明かりもまばらな地底湖のほとりだった。
大環洋にまで通じる地下水脈が、ここまで伸びているのだ。
そこそこの広さがある地底湖のほとりを、ジークは桟橋に向かって歩いていった。マツシバの海は淡水だ。潮の香りはしない。
桟橋には明かりが灯り、半分ほど浮上した潜行艇からの搬入作業が行われていた。
大環洋に停泊している《サラマンドラ》は、下部ハッチを水面下に持っていた。水中から行けば、格納庫のパワード・スーツを誰にも知られずに運びだす事ができる。
マツシバ製の動甲胄は高性能だが、やはり使い慣れたパワード・スーツのほうが良いというのが、ジークとジリオラに共通した意見だった。
「アニー!」
「あっ、ジーク」
潜行艇の甲板にいたアニーは、ジークの声に振り返った。
濡れた髪からしずくが飛ぶ。
体にぴったりとフィットしたウエット・スーツが、ライトに照らされて闇のなかに浮かびあがる。
アニーの細い体に見入っていたジークは、クレーンに吊られるパワード・スーツが3つあることに気づいた。
「おいアニー、なんで3つもあるんだ?」
「なんでって?」
きょとんとした顔で、アニーは言った。
「ジークのと、ジルのと……あと、あたしのだけど?」
「お前までついてくるつもりかよ!?」
「なによ。あのお姫さままで出るってのに、あたしだけ居残りしてろっていうの?」
「いや、それは……」
アニーは船から桟橋に飛び移り、ジークの前にやってきた。
「あたしだって! それなりの場数は踏んでるんですからね! ジルに訓練してもらってるの、あんた知らないでしょ?」
「そ、そうなのか……?」
「ほら、やっぱり」
アニーはため息をついた。それから小声でつぶやく。
「あたしだって、あんたの背中を守るくらいは……できるんだから」
その言葉を聞いて、ジークは自分が子供扱いされたように感じた。溜まっていた疲れも手伝って、不機嫌な声が出てしまう。
「いいよべつに、守ってもらわなくたって」
はっと、アニーは顔をあげた。みるみる怒りが表情にあらわれる。
「ばかッ!」
勢いよく頬を張られ、ジークは呆然とアニーを見つめた。
自分の言葉の何がアニーを怒らせたのか、まったくといっていいほどわからない。
「いいわよ! それじゃあ勝手についてくから!」
「あのさ、アニー……」
「うるさい! 作業の邪魔なんだから! もうあっちに行ってよ!」
ジークはしばらくそこにいたが、話しかけてもアニーの返事はなく、しかたなく来た道をとぼとぼと帰っていった。
昇降リフトにつかまって、上の階に昇ってゆく。
ひとつの階を通り過ぎるごとに、忙しげに立ち働く組合員たちとすれ違った。ジークの姿を認めて会釈を返す者もあれば、自分の作業に没頭して気づかない者もいる。寝袋にくるまって休息を取っている一団もあった。戦闘の矢面に立つ実働部隊の面々だ。
リフトが終点に達して、ジークはフロアに降り立った。
ここはどこかと、周囲を見回す。
初めてくる場所だ。どこか、うち捨てられた古い屋敷の一室という感じの部屋だった。中庭へ向けて、テラスがつづいている。下りのリフトに足をかけようとしたジークは、ふと人の気配に気がついた。テラスに誰かいるらしい。
部屋から出て、煉瓦の敷かれたテラスに足を踏みだしてみる。
わずかな星明かりに目が慣れるにしたがって、そこにたたずんでいる人物が確かめられるようになる。
「ラセリア……かい?」
ジークはそっと訊ねた。
「お待ちしておりましたわ、勇者さま……」
ジークは口元をほころばせた。
「君はおかしなことを言うなぁ……。ぼくが来るって、どうしてわかったんだい?」
「そちらのほうが、わたくし好きです」
「え?」
きょとんとするジークに、ラセリアは微笑んだ。
「ご自分の、呼びかたのことですわ」
「あっ……」
ジークは思わず口を押さえた。半年前にひとり立ちするようになってから、使わないようにしていた言い方だ。
咳払いをひとつして、ジークは言い直した。
「その……、オレが来るのがわかってたみたいな言いかただったよね? 前から気になっていたんだ。君は組合長の正体をすぐに見抜いた。いや違うな。はじめから知っていたんだろう?」
「はい」
ラセリアはうなずいた。
「それから、初めて会ったときのことだけど……」
「わたくしを助けてくださった時の――?」
「うん。あの時、君はまるで……」
かすかな記憶をたぐりよせるように、ジークは星空を見上げた。
たった3週間ほど前のできごとが、何年も昔のようことのように思える。
「君はまるで……まるで助けが来ることを知っていたみたいだった」
「いいえ」
ラセリアは首を横に振ったが、ジークはかまわずに続けた。
「じゃあ、このあいだのあれだ。機をみて動くって言った組合長に、いま動かないと手遅れになるって、はっきりとそう言ったよね」
「はい」
「それから、ぼくらと取りかわした契約だ。そこには、君が社長を解任された時のことも書いてあった……まるで、そうなることを知っていたみたいに」
ラセリアは口をつぐんだ。
言葉を探しているのだと、ジークにはわかった。
ややあって、ラセリアは口を開いた。
「勇者さま。じつはわたくし……ひとつだけ隠していたことがあるんです」
「どんなことだい?」
「その前に……ひとつだけ約束していただけます? これからわたくしの話すことは、勇者さまの胸だけに留めておいてほしいのです。誰にも……爺やにも話していないことなんです」
「あ、ああ……約束するよ」
ジークは神妙な顔でうなずいた。
「さきほど勇者さまは、わたくしがすべて知っていたみたいだと……そうおっしゃいましたわね?」
「うん」
「その通りです。わたくしは、知っていました」
「あの、えっと……」
ジークは言葉に詰まった。あまりにもあっさりと肯定されてしまったからだ。
「なぜ? どうやって?」
「わたくしが、すべての未来を知っていると言ったら……信じていただけますか?」
「え……?」
ジークは言葉を失った。
ラセリアの言った内容が、すぐには理解できなかった。
「ポチと心を通じあわせていると、未来と過去の両方が視えてくるんです。ちょうど、高いところに立って、遠くまで見通すかのように……」
言葉の意味がジークの心に染みわたる間を置いて、ラセリアは言葉を継いだ。
「《星鯨》は、そうして星々の海を渡ってゆきます。きっと航法のための能力なのでしょう。未来を読みつつ危険を避け、過去を振り返っては自分の通ってきた道筋を確認するのです」
「でも……未来は未来だろ? そんな、避けたり……どうにかできたりするものなのか?」
「未来は一本の道じゃありません。いくつもの分岐や交差点のある……道路みたいなものです」
「道路?」
「ええ。その道路を歩く人は、分かれ道や交差点に出るたびにどちらかを選択します。その歩いた道筋が、現実として認識されるのです」
「じゃあ他の道を歩けば?」
「もちろん、その人が経験するのは違う現実となります」
「ちょっと待ってくれよ。現実がいくつもあるってことか?」
「ええ、そうです。無限――とまではいきませんけど、それに近いくらいたくさんの未来があります。そして一本一本の道がどこに続いているのか……ポチのいるところからはみんな見えているんです。まるで、そう――地図があるみたいに。どこで曲がってどう行けば、何があるか……何が起きるのか、すべての運命の記された地図が」
「そんな、そんなことって……」
途方もない話だった。すぐには信じられそうにない。
ラセリアは息を詰めるようにして、ジークを見詰めていた。その表情に気がついたとき、ジークはあらゆる疑念を捨てさった。
「君は始めからみんな知っていたってわけか? こうしてぼくと出会うことも?」
「いいえ」
否定するラセリアに、ジークは反論した。
「それはおかしいじゃないか。君は宇宙に出て、ぼくと出会った。船が暴走することも、ぼくに出会うことも知っていたはずだろ?」
「船が暴走することは知っていました。カサンドラの手による仕掛けが、わたくしの手に負えないものであることも。そして、助けが来ないことも……」
「ちょ! ちょっと待ってくれ! 助けが来ないだって!?」
ジークは驚いて、ラセリアの顔をまじまじと見詰めた。
ラセリアはこくりとうなずいた。
「ええ、わたくしが助かる未来はありませんでした」
「じゃあ……じゃあ君は、自分が死ぬことを承知で宇宙に出たっていうのか?」
「はい。そこに賭けるしかなかったのです。他のあらゆる未来が、暗黒に閉ざされていました。《ダーク・ヒーロー》の力はあまりにも大きく、いかなる手を尽くしてもこのマツシバは支配され、彼の野望に利用されることになります。200億の労働力と無尽蔵の鉱物資源が何万隻もの戦闘艦を建造することに費やされ、そして惑星同盟に対して宣戦が布告されるのです」
「そっ……」
この事件の裏にいる《ダーク・ヒーロー》は、銀河を相手に戦争を仕掛けるつもりなのだ。
たしかにこの惑星マツシバの途方もない工業力があれば可能なことだろう。
それは人類を滅亡の縁まで追いやった百数十年前の戦争――汎銀河戦争の再来を意味していた。
「13の居住惑星と数千億人の犠牲を出して、最後には《ダーク・ヒーロー》も倒されます。でもこのマツシバも、宇宙から消滅することになります」
ラセリアの口調は、実際に体験してきたかのような重みを持っていた。
その重みにジークはうろたえた。
「ぼくは……ぼくはただ、君を助けただけだ。あんなの《ヒーロー》じゃなくたってできることじゃないか」
「いいえ。助けが来る未来は、ただのひとつもありませんでした。勇者さま、わたくしがどれほど感動したかおわかりになられます?」
「いや、その……」
ラセリアは胸の前に両腕を抱いた。
目をいっぱいに見開いて、夢見心地につぶやく。
「わたくし……あの瞬間、自分が姫であることを確信いたしました。だって勇者さまったら、運命の外からわたくしを助けに来てくださったんですもの」
そう言って、ラセリアは微笑んだ。
ここしばらく見せなかった、とびきりの笑顔だ。
「ぼくは……ぼくは《ヒーロー》なんかじゃないよ」
ジークは弱々しくつぶやいた。
だがラセリアは優しく、首を横に振る。
「人はどんなにがんばってみても、ないはずの未来は導けません。地図にない場所に行けないのと同じことです。でも《ヒーロー》にはそれができます。自信をもってくださいな。勇者さまは、すでに一度――運命を書き換えていらっしゃるんですのよ」
「でも……」
言いかけて、ジークは口をつぐんだ。
なおも否定したい気持ちを、ぐっと堪える。
自分が助からないことを承知の上で宇宙に乗りだした彼女を前に、何と言えばいいのだろう。
かわりとなる言葉を求めて、ジークは視線をさまよわせた。
明日の決戦についての話題を持ちだそうとして、ふと思いあたる。ラセリアが未来を知っているなら、明日の戦いの結末もわかっているはずではないか。
「あのさ、明日の戦いのことなんだけど……」
承知しているというように、ラセリアはうなずいた。
「わたくしは信じております。誰もが最善の努力をしているのだと……。それで充分ではありませんか。どのような結末が訪れても、あまんじて受ける覚悟はできております」
ジークは沈黙した。
敵味方に分かれてはいるが、明日戦うことになるのはどちらもマツシバの社員なのだ。
そして、そうなることを選んだのはラセリアだ。
「わかった。ぼくも聞かないことにする」
「はい」
ラセリアはにっこりと微笑んだ。そうしてから、いらずらっぽい顔でジークに訊く。
「ところで勇者さま。寝付けなくて散策なさってたのではありませんか?」
「君はなんでもお見通しなんだな……その通りだよ」
ジークは苦笑した。
「よく眠れるおまじないを知っているんですけど、よろしければ……」
「えっ?」
どこかで聞いた言葉だった。ジークはまず、自分の耳を疑った。
すうっと、ラセリアの顔が視界いっぱいに迫ってくる――。
数秒間のあいだ、ジークは柔らかな感触を唇に感じていた。
「……お休みなさいませ」
そう言い残してラセリアが立ち去っても、ジークは棒のように立ちつくしていた。
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