13番倉庫
足元の雪を踏みしめながら、ジークは倉庫の入口に立った。
剥げかけたペンキで、大きく13番倉庫と書かれている。たしかにここだ。指定された場所に間違いない。
コンテナを出し入れするための巨大な鉄の扉は、ちょうど人が通れる大きさだけ開けられていた。まるでジークを招いているかのようだ。
追いつめた男たちを横取りされたジークたちが、とぼとぼと部屋に帰ってみると、一通の手紙が《ヒーロー》宛てで届いていた。場所と時間を指定の上で、《ヒーロー》――すなわち、ジークひとりで来るようにと書いてあった。
ジークは左の手首を口元まで持っていった。「いまから入る」と、コミュニケーターに声を吹きこむ。ジリオラとアニーは、同じ港湾ブロック内で待機中だ。
汗ばむ手を握りなおして、ジークは倉庫の中に足を踏みいれた。外よりもわずかに暖かい空気が、寒さに慣れきった頬をなでてゆく。
「誰もいないのか!? 約束通り、ひとりで来たんだぞ!」
張りあげた声の残響が、がらんとした倉庫の中を何度も往復する。
ジークはさらに数歩、足を進めた。
外からの光が照らしだすぎりぎりの境界線まで進み、ふたたび足を止める。闇の中に目を凝らそうとすると、足元を照らす光の帯がすうっと細まっていった。
鉄扉の閉まる重々しい音が、背後から聞こえる。
周囲は完全に闇に包まれた。
風を切る音とともに、闇の奥から何かが飛来してくる。
音だけを頼りに、ジークは横に飛んで身をかわした。だがそれは最初から狙っていたように、空中で方向を変えてジークの足首に巻きついてきた。
「うわっ!」
叫んだ時にはすでに遅く、ジークの体は空中に吊りあげられていた。
明かりが灯る。
逆さ吊りになりながらも、ジークは自由になる両手で目を覆った。
「不甲斐ない。これが異世界の《ヒーロー》とやらか!?」
男の声には、聞き覚えがなかった。
「オレは《ヒーロー》なんかじゃない」
ジークはむっとしながら声の主に言いかえした。
ようやく薄目が開くようになる。痩せた体に刃物のような気配をまとった男だった。顔は般若の面に隠されて見えない。
「楓よ――こやつ、ここに来てから何度死んだ?」
一陣の風が吹くとともに、男の背後に黒塗りのプロテクターをまとった女が現れる。
海賊たちをさらっていったあの女だ。
「4度は死んでおりまする」
「この者、ラセリアの頼りとする《ヒーロー》とやらに間違いないのだな?」
「御意」
「おいこら、勝手に話を進めるな。《ヒーロー》じゃないって本人が言ってるだろ! 本人が!」
ジークの言葉など耳に入らないかのように、般若の面の男と楓と呼ばれた女は小声で話しあっていた。
ややあって結論が出たのか、顔を空中にいるジークに向ける。
「認めよう。お前は《ヒーロー》などではない。ただの少年だ」
「やっとわかってくれたか……」
「ならば我々が話すことは何もないな」
「わかったなら、とっとと下ろしてくれ」
「それは出来ぬ。我らの顔を見た者は、生かしては返さぬ決まりだ」
「ち、ちょっと待て! それっていったい――」
「楓――」
命じられて、女は細長い刃物をどこからか取りだした。
投擲ポーズを取って、ジークに狙いをつける。胸の中央やや左寄り――心臓の位置だ。
「待て! こら待て! おいってばおい!」
逆さ吊りになったまま、ジークは体を左右に揺り動かした。
「せめてもの情けだ。一発で仕留めてやれ」
「はっ」
「待アあぁッたぁァ!!」
女が投擲を行おうとした、まさにその瞬間――。
倉庫を揺るがすような大音声が響きわたった。
開け放たれた倉庫の入口。
雪明かりを背にして、女たちのシルエットが浮かびあがる。5つの人影のうち、いちばん小さなひとつが前に歩みでる。
「うちのノビタくんを、返してもらうゾ」
「ノ……ノビタ君だぁ?」
逆さになったままで、ジークは尋ねた。いっとき覚えた感激もどこかに飛んでいってしまっている。
「20世紀末に実在した、史上で最も情けない男の子の名前さね。お使いのひとつもできないオマエにゃぴったりだワサ」
般若の面をつけた男に顔を振りむけ、カンナは言った。
「それで? あんたが組合長かい? 地下組織《労働組合》とやらの?」
男はうなずいた。
「さよう。わしが長だ。だが感心せんな。犠牲は少なくてすむように、仏心を出したつもりなのだが……」
組合長の言葉に、アニーが喧嘩腰で応じる。
「はんッ! あたしたちまで消そうっていうの? やれるもんならやってみ……あっ、やっぱりやめて……ごめんなさぁい」
体を回して振り返ってみれば、アニーは背後に立つ男によって喉元に刃物を突きつけられていた。どこに隠れていたのか、仮面に顔を隠した男たちが何人も現れて、女たちを取り囲んでいる。
「それはおかしいですわ」
ラセリアが言う。
黒塗りの刃物に怯むことなく、足を踏みだして男たちの包囲をするりと抜ける。組合長の前まで進み、ラセリアは足を止めた。
「何がおかしいと言うのですかな? ラセリア元社長」
「だって変ですもの。顔を見られたから消すというのは……」
「我ら《労働組合》は、このマツシバにあってはならぬもの。こうして見られてしまったからには、なかったことにする他ありますまい」
「でも皆さん仮面をつけてらっしゃいますもの……わたくし、まだどなたのお顔も拝見させていただいてませんのよ?」
「はっは!」
組合長は笑った。
「そのお面を取っていただけません? 工場長?」
組合長は、ぴたりと笑いを止めた。カンナたちを取り囲んでいる男たちのあいだにも、それとわかる動揺がつたわる。
「なんのことですかな? 工場長とは……?」
「お顔を見せていただければ、消すことにも理由ができると思いますの」
「ですから、なんのことですかな?」
ラセリアの背後を、楓と呼ばれた女が取った。
逆手に握った刃物を首筋に押しあて、凄味をきかせた声で言う。
「言え、組合長がお聞きだ」
「あら、木下さん」
そう呼ばれて、楓はぎくりと身を強ばらせた。
「わたくしといっしょに、いっつもシュークリームをダメにして叱られている木下さんじゃありませんか?」
「ち、違うぞ。私はそんな――」
「もうよい。下がれ、楓よ」
「はっ」
楓が後ろに下がる。
皆が注目する中、組合長は般若の面に手をかけた。頭の後ろで結んだ紐をほどき、ゆっくりと顔から面をずらしてゆく。
面の下から現れたのは、人の良さがにじみ出た初老の男の顔だった。
「ほら、やっぱり工場長でしたわ」
ラセリアはにっこりと微笑んだ。
「さすがは先代社長。ご慧眼、感服いたします」
面の中に変換機構が備わっていたのか、声の質もがらりと変わる。貫禄のある太い声ではなく、ナーバスそうな高い声だ。
「オッちゃん、あんた面つけてたほうがカッコいいぞ」
カンナに言われて、組合長は照れたように咳払いをした。
「ところで……聞かせてもらえますかな? 諜報部でさえ知り得ぬ組合長の正体を、どうして知っておられたのかということを」
「あら、簡単なことですわ。だってわたくし、姫ですもの」
「は、はぁ……」
答えにならない答えに、組合長は曖昧にうなずいた。
「あのぅ……。ところでそろそろ……その、下ろしてほしいんだけどな」
場に張りつめていた緊張がとけるのをみて、ジークはおずおずと声をかけた。
長いこと吊り下げられていたおかげで、頭に血がのぼってぼうっとする。
「甘えてんじゃないわよ。自分でやんなさい。銃、持ってるんでしょ?」
「あ、そっか」
ジークは腰のホルスターから銃を引き抜いた。足首に巻きついたロープに先に狙いをつける。
引き金を引こうとしたところで、地上からふわりと黒い人影が飛びあがってきた。片手だけで梁の上に体を引きあげる。
「それでは切れませぬ。完全剛体の自在鞭ゆえ」
鳥のように身軽な彼女は、フェイスガードをはずしてみればとびきりの美少女だった。年頃もジークやラセリアとさほど変わらない。
「わわっ!」
梁にからみついた鞭がほどかれると、ジークの体は空中に投げだされた。わけのわからないうちに、ジークは楓に抱えられて地面に立っていた。
「なっさけないなぁ、ほんとにもうっ」
怒ったように言うアニーを無視して、ジークは組合長に言った。
「それで? わざわざオレを呼んだのには、理由があるんだろ?」
「それか……? 力を、試そうとしてな……」
「力を?」
「異世界の《ヒーロー》とやらの力が、本当にドラマでやっておる通りなら……」
「ドラマだって?」
ジークは横にいるラセリアに顔を向けた。
「公共放送で流しているヒーロー・ドラマのことですわ。銀河のあちこちで拾った放送電波を、すこしずつ繋ぎあわせて1本の話にしているんですの」
「生身で宇宙艦隊にも匹敵するというその力。もし真実ならばと思ってな」
「だからオレはそんなんじゃないんだって……」
「そうそう。こいつはただのノビタくんだワサ」
「ノビタくんでもない! オレはオレだっ!」
「そんでもってサ。もし《ヒーロー》の力が手に入っていたら、どうするつもりだったんだい?」
カンナがさらりと核心をついた。
「社の未来を愁いて集いし、我ら《労働組合》。隠密をそのむねとせんがため、その戦力はわずかなものよ」
「革命でも起こすつもりか?」
「いいや、何もせん。この戦力差では負けは必至だ。警備部のおもだった部署は、すべてカサンドラのやつに掌握されておる」
「あの4人はどうした?」
「いま洗いざらい吐かせているところだ。だがカサンドラが海賊と結託していることは、もはや明らかな事実。それだけで充分。社員をないがしろにしたその罪、万死に値する」」
《労働組合》の面々が、組合長の言葉にあわせてうなずく。
「だが、いまは動けん。時を見定め、しかるべき時に――」
「なりません」
断固とした口調だった。
ラセリアはその場にいる全員の顔を順に見て、そして言った。
「いま動かねば手遅れになります。あなたがたの力――どうかお貸しください」
ラセリアの滅多に見せない真摯な表情に、組合長は気を呑まれたように立ちつくした。
「しかし――」
「なァなァ――」
言いかけた組合長の脇にカンナが並ぶ。服の裾を引っぱるカンナに、組合長はうるさそうに顔を向けた。
「なんだ?」
「問題は戦力差だけなんダロ? なら話は早い。私がなんとかしてやろーじゃナイか」
「何をどうするというのだ? ポケットから秘密兵器でも出してくれるのかね?」
カンナにしてはめずらしく、投げつけられた侮蔑を受け流した。
「その程度の戦力差なんざ、作戦しだいでどうにでもなるワサ」
「その程度……と簡単に言ってくれるが、どれだけの差があるかわかっておるのか? 将棋でいえば、6枚落ちで戦うようなものぞ」
その言葉に、カンナの目が光る。
「ほほぅ……あんた、将棋はヤるほうかい?」
「自慢ではないが、わしに勝てる者はそうはおらんぞ」
「どうだい? 私と1局、ヤってみるかい?」
「いまここでか?」
「いま、ここでだワサ」
組合長はしばし考え、口を開いた。
「よかろう。おい、誰か盤と駒を持ってこい。ひと組くらい、詰め所にあるだろう」
床板がめくられると、地下につづく階段が現れた。ひとりが飛びこんでゆき、待つほどもなく、折りたたみ式の板と箱に入った木製の駒を手にして戻ってくる。
「ねぇ……カンナってば、いったい何をやるつもりなの?」
「オレが知るかよ」
小声で聞いてくるアニーに、おなじく小声で返事をする。
カンナに付きあう組合長には何か思うところがあるのだろうが、それはジークにはわからない。
コンクリの地面に座布団が敷かれ、即席の対戦場ができあがる。
どっかと腰を下ろし、カンナは言った。
「よっしャ、じゃあヤるかい。オッちゃん、先手でいいヨ」
「ほほう、余裕だな?」
「それからァ……と」
手際よく自分の駒を並べた終えたカンナは、そこからいくつかの駒を抜き取った。手の中でちゃらちゃらと鳴らしながら、抜き取った駒を組合長に向けて差しだす。
「ほれ、これもやるワサ」
「ほ、ほう……」
組合長は頬をひくつかせた。
「言い忘れたかな? このわしに勝てる者は、そうはおらんと。ニュートキオ地区の代表を、ここ十年はやっておるのだぞ?」
「ふぅん……じゃあもう少しハンデやったほーがいいかね。銀も持っていくかい?」
カンナの陣地に残った駒は、「歩」と「王将」のほかは「金」だけになってしまう。
チェスや将棋といったゲームには、「駒落とし」というルールがある。
実力の違う者が対戦する場合に、駒を抜いたり、さらにその駒を相手に渡すことによって、お互いの実力差を埋めるためのルールである。だが普通は「桂馬」か「香車」あたりの小駒を1、2枚落とすだけだ。「飛車」や「角」といった大駒を落とすのは余程のことで、この場合のように「飛車」「角」「銀」「香車」の6枚を落とし、さらに相手に渡してしまうなどということは、プロと素人の対局でも見られる光景ではなかった。
隙間だらけになった自分の陣地を見て、カンナは満足そうにうなずいた。
「うンうン。まァ《労働組合》の戦力ってな、こんなもんだろ。さっ、はじめよーか」
ジークはカンナの真意をようやく悟った。持ち駒をお互いの戦力に見立て、戦略シミュレーションを行おうというのだ。
「よかろう。だが手加減はせんぞ」
勝負がはじまった。
序盤のうちは、圧倒的な優勢をもって組合長が攻めこんでいた。だが1枚の「歩」がカンナの手に渡ったところで、流れが変わりはじめた。駒と駒の交換を重ねるうちに、1枚の「歩」が「香車」に変わり、さらに「金」へと変身する。
「ホイっ、角もーらいっと」
大駒である「角」がカンナの手に落ちたところで、圧倒的不利に思えたこの勝負も先行きが見えなくなってきた。
対する組合長は、眉間に縦皺をよせている。
「口ばかりではなかったようだな。だが相手が攻めこんでこなかったら、どうする? たとえばこう――矢倉を組んできたならば?」
そう言って、組合長は「玉将」の隣に「金」を動かした。
その後の数手を使って、「玉将」の周囲に堅牢な砦を築きあげる。
「さあ、どうする?」
「あと38だワサ」
「なに?」
「なんでもナイ。ほい、歩をここナ」
一手打つごとに、カンナは数を数えつづけた。
カウントが30を切り、20の前半に差しかかる頃になると、組合長の額に汗が浮かぶようになった。
「ほい、こいで18」
「ううむ……」
腕組みをしたまま、組合長は動かなくなった。
5分、そして10分。
プロテクターを脱いで普通の格好になった楓が、冷めきったお茶を入れ替えにはいる。彼女はプロテクターをつけているときよりも、スーツでお茶汲みをしているほうが似合っている。
「ねぇ、いったいどうなってるの? あいかわらずカンナのほうが駒がすくないまんまだよ?」
「オレに聞かれたって、わかんないよ」
饅頭を茶菓子に緑茶をすすっていたエレナが、横から説明をしてくれる。
「長考にはいったということは、何手も先を読みにかかってるってことね。組合長さんも、なかなか達者な方のようだから……最後まで読みきるつもりなのかしらね」
エレナはカンナとたまにゲームをしている。チェスならばかなりの腕前だ。
さらに数分。
全員が固唾を呑んで見守る中、組合長は大きな声で宣言した。
「まいった! 18手先で詰みだ」
ギャラリーのあいだから、不満気なざわめきがあがる。
ジークも含め、誰もが釈然としない顔をしている。晴々とした顔で納得しているのは当事者ばかりというありさまだ。
「なんだ? どうしたお前たち? 何が不満だ」
「我らには、勝負の行方がわかりませぬ」
組合長のとなりで控えていた楓がそう言った。
「なんだ、そんなことか。こうして、こうして、こうなって――」
駒をつぎつぎと動かしていった。
砦の一角に穴が穿たれ、そして「玉」の隣に魔法のように「銀」が出現する。
「これで、詰みだ。わかったか?」
鮮やかな手並みに、ギャラリーが感嘆の声をあげる。
「実際のトコは、コッチにゃ飛車と銀が増える。紹介するワサ、飛車のジリオラに、銀のジーク」
「えっえっ?」
ジリオラに腕をつかまれて立ちあがらされて、ジークはうろたえた。組合の面々の視線を熱く感じる。
「その小僧が銀か?」
組合長の隣にひかていた楓がうなずく。
「ふむ。まあよかろう。そこの女は、飛車に間違いないのか?」
「おうともサ」
カンナが請け合う。
「ふむ……」
組合長は腕を組んだ。目を閉じて、しばし考える。
「よし」
開眼して、言う。
「その話、乗ろう」
その言葉に歓声をあげたのは、なぜか《労働組合》の面々だった。
労働組合のニンジャ少女、楓さんは、シリーズのだいぶ先に再登場します。6巻(話)「ひとかけらのレイディ」までお待ちを!