居酒屋でスパイ活動
路地をいくつか入ったところに、その居酒屋はあった。
しゃれた格好の若者たちが我が物顔で闊歩している大通りから、そうは離れていない。
夜の8時を回ったところで、客の入りは8分ばかり。仕事帰りのサラリーマンと、未成年だというのに飲酒している連中が半々というところか。
ジークのいる席から、店内が一望できる。夕方から長いこと張りこんでいるが、怪しい連中はまだ姿をあらわしていない。
客の出入りをそれとなく監視していたジークは、向かいに座るアニーに言った。
「まだ食うのかよ」
ヤキトリとかいうチキンの串焼きにかぶりついたまま、アニーは「なによ」という顔をした。
串を引き抜いて肉を噛み、ビールで流しこんでから言い返してくる。
「飲み食いしてなきゃ、目立っちゃうでしょうが。あんたこそ何か注文しなさいよ」
「よく2時間も食いっぱなしでいられるな。知らないぜ? いざという時に動けなくなっても」
渋い顔のジークに、アニーは息がかかるほど顔を近づけて囁いた。
「だめでしょ、ちゃんとしてくれなきゃ。あたしたちカップルっていう設定なんだからさ……」
「ああ、それなら倦怠期のカップルだ。別れ話でもしてようか?」
「ばか、知らない」
アニーは空になった皿を乱暴に積みあげ、ウエイトレスを呼ぼうと顔をあげた。店内をぐるりと見渡してから、ゆっくりとジークの顔に視線を戻してくる。
「ジーク……来たよ」
「ああ、わかってる」
店内に入ってきた男たちを、ジークも視界の隅で捉えていた。
全部で4人。服装は厚手の上着にジーンズと、そこらにいる連中と大差ない。
「髪の毛は黒いけどさ。なんか違うのよね、顔立ちとかさ……」
ジークと同じように顔を正面に向けたまま、アニーはつぶやいた。
惑星マツシバの住民は、現代ではめずらしい純血に近い黄色人種の集団だ。外の世界の人間は、カラスの群れに入りこんだハトのように目立ってしまう。髪の色についていうなら、金だの銀だの紫だのといった者が店内には何人もいる。だが骨格の違いについては隠しようがない。
「あれれ? 帰っていっちゃうよ……?」
席に案内しようとするウエイトレスに手を振り、男たちは入ってきた入口から出ていこうとしていた。
「悟られたな、こりゃ」
「なんで? どうして? もしかしてあたしのせい?」
アニーは自分の前髪を引っ張った。染めたのとは違う、きれいな金髪だ。
「こっちが変だと思ったくらいに、向こうも変だと思ったんだろ。――行くぞ」
ジークは伝票をつかんで立ちあがった。
レジで待つウエイトレスに高額紙幣と一緒に押しつけ、釣り銭を受け取らずに外に出る。すぐさま左右を確認するが、男たちの姿はどこにもない。雪に覆われた道路が続くばかりだ。
「案の定だな。もう見えない」
腕に巻いたコミュニケーターで、店の外で待機していたジリオラの位置を確認する。
光点は走るほどの速度で遠ざかりつつあった。50メートルの近距離からはみ出して、表示が中距離に切り替わる。
「右に行って、2つ目の角を左か――」
作戦を練る時間は充分にあった。
したがって、付近の路地はすべて頭に入っている。
「先回り、できそうだな」
道順を頭に浮かべながら、ジークは止めてあったバイクにまたがった。ロック・キーを差す。
「ねっ! どっちどっち!?」
転がるようにして、アニーが店から出てきた。
「遅いぞ!」
「ごめん!」
ちゃっかりと受け取ってきた釣り銭をポケットにしまいつつ、アニーはバイクの後ろに飛び乗ってきた。スロットルをひねる。《力素》駆動のバイクは音もたてずに発進した。
リア・タイヤを雪でスライドさせながら、速度をあげてゆく。
降りつづける雪粒が目に飛びこむ。顔が痛い。
男たちの足跡が残った路地を、猛スピードで通り過ぎる。
その先に交差する太い道路を、左へ――。
「きゃあ! すべるころぶ! 倒れるぅ!」
悲鳴をあげて、アニーがしがみついてくる。
柔らかなふたつの感触を背中で受けとめ、ジークは車体を大きく倒しこんだ。片足を地面に擦りつけ、全身を使ってカウンターをあてる。
まっすぐ伸びる直線に出た。
男たちの逃げ込んだ路地が、3つほど先に見えている。
その路地から、車が飛び出してきた。リアを大きく振って路肩のゴミバケツをひっくり返し、直角のコーナーを曲がりきる。
車を追って、ジリオラも大通りに飛び出してきた。全力で駆けるが、加速をはじめた車に追いつくはずもない。
ジークの乗ったバイクがジリオラを追い越した。その刹那、ジリオラの声が飛ぶ。
「やれっ!」
ジークの手が懐に吊った銃に伸びた。
ハンドルから両手を離し、先行する車のリア・タイヤをポイントする。外す気はしない。5歳のときに父親にもらったレイガンは、もはや手の一部と化していた。
引き金を引いたという意識もなく、青い光条がリヤ・タイヤを撃ち抜く。片寄った駆動力が車をスピンさせた。男たちを乗せたまま、車は歩道のガード・レールに乗りあげて横転した。
「やったね! ジーク!」
「わわっ!」
アニーに抱きつかれてバランスが崩れた。
手放しのハンドルが暴れだし、フロントから盛大に転倒する。
「痛ってぇ……」
雪の中から身を起こすと、ふらふらと車から転がりでてくる男たちが見えた。ジークの脇を、雪を蹴立ててジリオラが駆け抜ける。
「ジルっ! まかせた!」
走りながら拳を突き上げて、ジリオラは答えた。
その腕は、そのままひとり目の男に振り下ろされる。助走の勢いも加わったラリアートを受け、男は一回転して雪に飛びこんだ。ふたり目の男は、いったん肩の上に担がれてから雪面に叩きつけられた。ボディ・スラムだ。
3人目は、逃げようとしたところでベルトを後ろから掴まれ、空中に宙吊りにされた。
「動くなよ、こっちはひとり残ってればいいんだからな」
車から転がり出たばかりの4人目に銃を向け、ジークは言った。
ちらりと視線を振って、寝転がったままのアニーに叫ぶ。
「おい、いつまで寝てる! こいつらを縛りあげろ!」
アニーはむくりと起きあがった。ぺっぺっと雪を吐く。
「もうっ! ちょっとくらい心配してくれたっていいじゃない!」
ぶつぶつ言いながらも、最初のラリアートの犠牲者を縛りにかかる。
銃を向けられている男が、ジークの顔を下からにらみつけていた。
「お前の顔は知ってるぞ。外宇宙から来た《ヒーロー》とかおだてられて、いい気になってる小僧だな?」
「オレは《ヒーロー》なんかじゃない。海賊退治を依頼されただけの、なんでも屋の社長さ」
男の顔に、打算の色が浮かぶ。
「なら俺達と組まねぇか? なに、分け前のことなら心配いらねぇ。金でもプラチナでも好きなだけ――」
青い光条が、男の足元の雪を気化させた。
「動くなと言ったろ? あいにくとうちは堅気でね。海賊と組むような手は持ち合わせていないんだ」
「分け前もらえるんなら、あたし考えてもいーな」
ふたり目の男を縛りながら、アニーが言った。
「その発言は問題だぞ、アニー」
「そうお? それよりあんた、ホロビデオの見すぎじゃないの? さっきから言ってる台詞が《ヒーロー》がかってるわよ?」
「馬鹿いってないで、さっさと縛れ。それからこいつの武装解除もだ。内ポケに銃、足首にナイフを隠してる。気をつけろ」
「はいはい」
アニーは慣れた手つきで、武装解除していった。男から小型のレイガンと折り畳み式ナイフをとりあげる。
両足を交差させて足で踏みつけ、反抗できない体勢にしてから後ろ手に縛りあげてゆく。
ジークはレイガンを構えたまま、拘束テープを巻かれている男に訊いた。
「仲間は何人だ? 何が目的だ?」
男は黙ったまま顔をそむけた。
「まあいい、あとでゆっくり聞いてやる。ジル――こっちの3人は終わったぞ。あとはそいつだけだ」
ジリオラは肩に担ぎあげて海老固めをくらわしていた男を雪の上に投げだした。気絶寸前のありさまで痙攣をつづける男を、アニーが手際よく縛りあげる。
「はい、おしまい」
ぱんぱんと、アニーが手をはたいた。
その瞬間。全員の気がゆるんだ一瞬の合間を狙ったかのように、上空から何かが落ちてきた。
風を切る音。――視界の端に黒いロープのようなものが映ったかと思うと、それは4つに分裂して男たちのそれぞれに絡みついた。金属の光沢をはなつロープが、男たちの体を這うように巻きついてゆく。
「おっ、おい! なんだよこれ!?」
男たちが言い終わらないうちに、しなやかなロープにぐっと力がこもる。ひと回り太くなったロープは大の男4人を同時に宙に持ちあげ、そのまま空中に運び去ってゆく。
「なっ――!?」
追いかけた視線の先――ビルの屋上に、黒い人影の姿があった。
腰まである長い髪。顔も全身も、プロテクター状の黒いスーツに覆われている。だが曲線的な体のラインまでは隠しきれない。
「女か!?」
華奢に見える片腕で、女は男たちの全体重をささえていた。
プロテクター状の物は外骨格の一種であるらしい。手首に仕込まれた機構にロープ――おそらく鞭なのだろう――が引き込まれてゆく。4人の体が屋上の縁を越えた。
「おっ、おいやめろ! やめ――」
男たちの声が急に聞こえなくなる。気絶させたのか、それとも――。
「何者だ!?」
ジークは叫んだ。
屋上の女が、それに答える。
「この者達の身柄……我ら《労働組合》が貰い請ける」
「労働……組合だぁ?」
「さらば」
女は跳んだ。4人の男を抱えたまま。
建物の屋根伝いに跳躍してゆく女を目で追いながら、ジークは立ちつくしていた。ふたたび、同じ言葉を口の中でつぶやく。
「労働組合……だって?」
いっときやんでいた雪が、思いだしたようにぽつぽつと降り始めていた。
◇
暗闇の中で、ふたつの人影がもつれあっていた。男と、女だ。
すべての熱情を燃やしつくして、女の体がシーツに落ちる。男もまた、動きを止める。
やがて息の乱れも収まったところで――。
男は女の上から身を起こした。部屋の片隅に向けて声をはなつ。
「なんだ?」
「ボス、ご報告することが……」
扉をへだてた向こうから、男の声が返ってくる。
「言え」
「街に出ていた者と連絡がつかなくなりました。――4名です」
「わかった。下がれ」
「はっ」
扉の向こうで気配が消えるのを待ってから、女は男の背中に覆いかぶさった。たくましい背中で、たわわな双丘が押し潰される。
「わたくしのほうで、調査いたしますか?」
睦言でも交わすように、女は耳元でささやいた。
「捨ておけ」
「えっ? でも……」
「部下など、もう必要ない。すべてを手に入れた今となってはな……」
男は後ろを向いた。女の顎を上に向けさせ、唇を吸う。
口付けが終わっても、女は陶然とした表情のままでいた。
「ああ、カシナート様……」
そう言って、男の体にすがりつく。
女の体を抱き止めながらも、男の心はそこになかった。その目は女のことを見ていない。暗闇の中に向けられたその目が見ているのは、みずからが描きだす野望の構図に違いなかった。