大4畳半にて
「あたしはぜったいに反対だかんね」
コタツにどっぷりとつかりながら、アニーが言った。
4畳半ひと間。この惑星マツシバで社員に支給される社宅としては、最低ランクの居住スペースにあたる。
寒々として殺風景な部屋の中、ジークたち5人はひとつのコタツに足をつっこんでいた。場所がないのでカンナはジークの膝の上だ。
「支払いの見通しが立たない以上、すぐにでも手を引くべきよ! いますぐにね!」
体の前に抱いたカンナを盾にして、ジークは消え入りそうな声で抗議した。
「でも引き受けた仕事を途中で放りだすわけにはいかないだろ? 契約だってあるんだし……」
「あら社長、契約書には政権……いえもとい、業務権が変わった時のことについても明記してありますわよ」
「なんだって?」
「なんらかの事由により、ラセリア・デュエル・マツシバが代表者たり得なくなった場合、本契約は破棄されるものとする――ああ、お茶がおいしい」
エレナは契約書の1項をそらで言ってみせた。最後のはお茶をすすって出た言葉だ。
「なるホド、だからあのネーちゃん、なんも言ってこなかったわけか。会社人だったら、契約が無効になったらとっとと帰ると思うわな、フツー」
ジークの膝の上でミカンの皮をむきながら、カンナがうなずく。
株主総会の多数決をもって、ラセリアは社長を解任されていた。新しく彼女の役職は、適正その他から判断した結果、工場のライン労働ということになっていた。今日も朝から近くの工場に働きに出ている。
筆頭秘書のエドモンド氏をはじめとして、ラセリア派と呼ばれていた局長、部長など要職についていた面々は、ほぼ全員が配置転換をさせられていた。空いたポストは、もちろんカサンドラの子飼いの部下が引き継いでいる。
「しかしまァ、あのネーチャン。2週間も経つのに消しにきてないトコを見ると、以外といい人だったんじゃないかね?」
カサンドラによるラセリア暗殺の可能性もあった。ジークたちが住みこみでガードしているのはそのためだ。
「ねぇジーク、もう帰ろうよ。ここにいたって、もうすることないよ。新しい社長は契約の更新をするつもりはないみたいだし……」
アニーが言いかけたところで、足音が聞こえた。
「ただいま、ですわ~」
襖を開けて入ってきたのは、ラセリアだった。ねずみ色のコートを小脇にかかえ、もう片方の手には大きな紙袋を下げている。失敗作のシュークリームの山だ。
「ひとりで帰ってきたのか?」
「はい?」
コートをたたむ手をとめて、ラセリアはジークを見た。
「帰るときには連絡をくれるようにって……言っといただろ?」
ジークは難しい顔をしたまま、自分の手首を指ししめした。
同じ型のコミュニケーターが、ラセリアの手首にも巻かれている。
「あら、こんなに近くなのに迎えにきてもらうなんて……。そんなこと、申しわけなくてできませんもの」
「だから申しわけないとかそういうんじゃなくて……君の安全のためなんだってば!」
船に戻らず、こうしてラセリアの部屋に居候しているのも、すべて身辺警護のためなのだ。
仕事先まではついていけないが、行き帰りと日常の生活はカバーできる。ラセリアの仕事場は、歩いて3分の距離にあった。
「ねえねえ、お説教するのもいいんだけどさ……」
アニーがコタツの下で足をつついてくる。
「寒いなか帰ってきた大家さんを立たせといて、自分はぬくぬくとコタツに入っているつもり?」
「あっ、ごめん!」
ジークは慌てて立ちあがった。
遅すぎるとは思いつつ、自分の座っていた場所をラセリアに譲る。ラセリアは嬉しそうにうなずくと、コタツに足をすべりこませた。
「ほい、これも」
ひょいと、カンナを渡す。
「ああ……、あたたかいですわぁ」
「私ゃネコかい。これッ、冷たいんだから、なつくなッてーの――うひゃっ!」
服の中に手を入れられたカンナが、おかしな悲鳴をあげる。
部屋の中がにぎやかになったところで、ジークは階段を上がってくるもうひとつの足音に気がついた。
その足音はためらいがちに廊下を進んでくると、襖の前でぴたりと止まった。ジークは顎をしゃくって、ジリオラに合図した。
壁に張りついたジリオラは、片手で銃を構えながら一気に襖を開け放った。
「まあっ、エドモンドではありませんか」
そこに立っていたのは、スーツを着た初老の男だった。ラセリアの元で執事を務めていた老人である。全員の視線を向けられて、彼はぺこりと頭を下げてみせた。
30分もしないうちに、何人もの来客があった。
全員が全員とも、ラセリアを慕って集まってきた元臣下の連中だ。ただでさえ狭い部屋に10人以上もの人間が詰めこまれ、足の踏み場さえない状態である。
「お前さんなどまだましだ。家族計画のセールスがどうした。わしなど清掃課だぞ。若造どもにまじって毎日ゴミ集めだ。ああ腰が痛い」
作業着姿の元警備局長が、エドモンド氏をつかまえて愚痴を言う。
カサンドラは社長に就任するやいなや、ラセリア派に属していた者をひとり残らず更迭していた。
重要なポストには自分の腹心を配置し、着々と基盤を固めつつあった。
それにくらべ、いまや等しく平社員となってしまったラセリア派の者たちは、何の手も打つことができず、新しい職場と生活に追われるありさまだった。
「はーい、おまちどーさま! 湯飲み足りなかったから、お隣さんから借りてきちゃった」
盆を持ったアニーが、襖を足で開けて入ってくる。
「ああ、わたしが配りましょう」
腰をあげて盆を受け取ったのは、いつかラセリアの説教を受けていた大気部長、ハセガワだった。平社員に降格されたおかげで現場に復帰できた彼は、ひとり溌剌とした雰囲気を発散している。
「いやしかし、カサンドラの振る舞いは、腹に据えかねるものがありますな」
お茶を受け取った人事部長が、ひと口すすってそう言った。その言葉に全員がうなずく。話題がそのことになると、誰もが声をひそめるようになった。
「これは資源局の知り合いから聞いてきた話ですがな。なんでも使途不明の《力素》が、少なからず出ておるようですぞ。調べようとしたところ、上からストップが掛けられたとか……。しかもカサンドラ社長直々に」
痩せた通信局長が、それに相槌を打つ。
「出社もしないで、宮殿から仕事の指示を出しているという話も聞きましたな。噂では男を引っ張りこんで同衾しとるとか……」
「へぇーっ! やるじゃない」
お茶を配り終えてジークの隣に戻ってきたアニーが、感心したように言う。
「ずいぶん不真面目な社長なんだな。よくそれで支持されたもんだ」
ジークが言うと、明かりでも落としたかのように部屋の雰囲気が暗くなった。
「私どもの力が至らなかったばかりに……」
「気にする必要はありませんよ。わたくしがポチ……いえ、《星鯨》を止められなかったのがいけないのです。はい、これでも食べて元気だして――ね?」
うつむいて反省をはじめた元重役たちに、ラセリアはいたわりの言葉をかけながら自分で作ったシュークリームを渡してゆく。
「ラセリア様……」
中には涙まで流す者もいた。
悔し涙なのか、それとも感動の涙なのか、ジークにはわからない。
「そういえばジーク殿。これはさる筋から仕入れた話ですがな……なんでも、繁華街のある酒場に、夜な夜な怪しげな男どもがやってくるとか、こないとか……」
ラセリアの手からシュークリームを受け取ったエドモンドが、ひと口かじりながらジークに言った。ジークは眉をあげて聞き返した。
「怪しげな男?」
「はあ。どうも話によると、この星の者ではないそうなのです」
確信がなさそうな口調だが、わざわざジークの耳に入れるということは、それなりに確信を持ってのことなのだろう。
ジークはエドモンドに言った。
「オレたちに調べろって言うんだな? いいよ。場所を教えてくれるかい?」