リコール
「今日もまた増えてやがる……」
カーテンの隙間から外を覗いて、ジークはうんざりとつぶやいた。
さすがに宮殿の敷地内まで踏みこんでくる者はいないが、正面ゲートの前には人だかりができあがっている。
いや、人だかりと呼べたのは一昨日くらいまでのことで、今日はもう立派に群集と呼べる人数になっていた。酸素マスク持参でやってきた彼らは、プラカードを掲げ、拡声器で口々に叫び立てている。
「ねえジーク、あれなんて書いてあるの?」
「もっと空気を、社長は責任を果たせ、昨日の殉職者100万人――だとさ」
さらに過激なことも書いてあったが、読む気にもなれない。
「なんだ、昨日とおんなじことばっか。ボキャブラリーが貧困なのよね」
つまらなそうに言って、アニーは窓際から離れていった。
入れ代わりに、今度はカンナがやってくる。
「おッ、昨日は100万人死んだか。当社比5パーセントアップってとこだナ」
「おい――」
言いかけたところで、この3日におなじみとなった例の感覚が襲ってくる。《星鯨》がジャンプを行った感覚だ。軽いめまいと足元から伝わる地震を感じながら、ジークは話をつづけた。
「――連中に聞こえたら殺されちまうぞ」
「バカたれ。200億も人口があったらナ、ほっといたって1日に80万人かそこら死んでくんだヨ。この騒ぎでちっとばかりお迎えの早まったジジババが出ただけのこった」
カンナにとっては世の中のすべてが単純なのだろう。ジークは羨ましく思った。
「みんな~、お茶がはいりましたよ~」
エレナの声が呼ぶ。ジークはかたかたと小刻みに揺れつづける窓から離れた。
「だいたいあそこにいる連中だって、2割はサクラだわサ」
「サクラって?」
ハーブ・ティーのカップを手に取って、ジークは聞きかえした。
呆れたような顔で、アニーが答える。
「お金をもらって他の人をあおってる連中のこと。まさか知らないなんて言わないでしょうね?」
ジークはあわてて首を振った。
「し、知ってるさ、もちろん――」
「まァ、この場合は買収じゃなくて業務命令なんだろうけどナ」
ずずずっと、こぎたない音を立ててカンナは茶をすすった。
「業務命令?」
「あのカサンドラって女に決まってんじゃないの。あんたバカ?」
「うっ、うるさいな! そんなことはオレだってわかってるさ。ただその……。そんなことをして、なんのメリットがあるのかな……って」
「やっぱりわかってないわ」
ため息をつくアニーに、ジークは食い下がった。
「だって3日だぜ、3日! 彼女、ほとんど休みもしないで頑張ってるっていうのに、足を引っ張るようなことしてどうすんだよ!」
「どうどう」
両手をあげたアニーになだめられる。
この3日というもの、ラセリアは《瞑想の間》にこもりきりで《星鯨》を引き止めようと努力をつづけていた。
いつもならラセリアのテレパシーを聞きつけるはずの《星鯨》は、何かにとりつかれでもしたかのように数十分おきにジャンプをくり返していた。
宇宙空間に置かれた銅塊をつぎつぎと飲みこみ、その咀嚼運動が地震となって惑星全土を揺さぶりをかけている。
わずかに残った《星鯨》の理性に訴えかけることで、大気の喪失は最低限に抑えられているものの、屋外ではすでに酸素マスクが必要な状態となっている。
交通機関のマヒ、あらゆる物資が大気の補充に回されるための混乱など、目に見えぬ影響は各方面に及んでいる。
「やつら、ああやって不満を言ってるだけなんだぜ」
静かにお茶を飲んでいたエレナが、顔をあげてジークの目を見つめた。
「あそこにいらっしゃる方々だって、本心はお姫さまに頑張ってもらいたいはずですよ。自分たちの力ではどうにもならないことだから、それができる人に頼ってしまう。それはいけないことなのかしら?」
「それは――」
ジークが言いかけた時、背後でドアの開く音がした。いちはやくドアの脇に移動していたジリオラが、ラセリアを室内に迎え入れる。
「ラセリア……」
ジークの声も耳に入っていないのか、ラセリアはさ迷うように足取りで歩いていた。ふらふらと歩くうちに、足をもつれさせて大きくバランスを崩す。
「あぶない!」
ジークは腕の中に彼女の体を受けとめた。肩に押しあてられた額が異様に熱い。
「熱があるんじゃないのか?」
「勇者さま。ポチが、ポチが……どうしても言うことを聞いてくれなくて……。飢えが……狂いそうなほどの飢えが、ポチを苦しめているの……。声をかけても気づいてくれなくて……」
「もういい、しゃべるな。とにかく横になったほうがいい」
ジークは肩を抱いて、ラセリアをソファーまで連れていこうとした。
その途中、大きな音を立てて窓ガラスが割れた。
とっさにラセリアをかばったジークの足元に、飛びこんできた石が転がってくる。
「くそっ!」
ジークは足元の石を蹴り飛ばした。
不甲斐ない警備部に腹が立つ――それとも宮殿の警備部隊までカサンドラに買収されているのだろうか?
割れた窓から、拡声器の声が流れこんでくる。
『社長はァ~! 責任を~! 取れェ~!』
『取れェ!』
先導されるスローガンにつづいて、群集の合唱がわきおこる。門の前に集合した何百もの人々が、声を限りに叫んでいた。
『いますぐゥ~! 現職を~! 辞任しろォ~!』
『辞任しろォ!』
『異世界のォ~! 連中を~! 追いだせェ~!』
『追いだせェ!』
「おッ、私らのコトじゃん」
カンナが片方の眉をあげる。
「だめ……それだけはだめ。勇者さまが……勇者さまがいなくては運命が変わらない……」
熱に浮かされたように、ラセリアはつぶやいた。
『社長はァ~! 全社員にィ~! 土下座しろォ~!』
「わたし……行かなきゃ。行って謝らなきゃ……」
ラセリアはジークの手を離れ、ふらりと歩きはじめた。
「ラセリア!」
ラセリアを追いかけて、ジークは部屋を飛び出していった。
◇
しんしんと降りしきる雪の中。
開け放たれた門の外側で、ラセリアと群集は向かい合っていた。さきほどまでの勢いが嘘のように、群集は静まりかえっていた。マスクも外套さえも身に着けず、薄絹一枚の姿で現れたラセリアに圧倒されているのだ。
「お、おれたちはよ、と…とにかくこいつをなんとかしてほしいだけなんだ」
社長と対面したこともないのだろう。
労働者風の男の声は震えていた。さきほどまで、先頭になって煽り立てていた男だった。
男の手は揺れつづける地面をさしている。
「で、できるよな……し、社長なんだからよ」
ジークは余分のマスクを手に持ったまま、ラセリアの隣に立っていた。その場の男たちと同様に、息をつめてラセリアを見ることしかできない。
「どうなんだよ。この――」
男は言いかけたまま、言葉を失っていた。
その場にいる全員が、目の前の光景を受け入れられずに立ちすくんでいた。
雪の降り積もる地面に、ラセリアは膝をついていた。その両手は純白の雪面に置かれ、頭はこれ以上ないほどに低く伏せられている。
「ど、土下座なんか、さ、されたってよう……」
男はよろめくようにあとじさった。
もう見ていられなかった。ジークはラセリアの腕を掴み、立ち上がらせようと力をこめた。
「ほーほほほッ!」
突如として響き渡った甲高い笑い声に、その場の誰もが動きを止める。
新雪に轍を残すリムジンから、あでやかなドレスに身を包んだ女性が降り立つところだった。
「ラセリア! 巫女の力とともに、社長としてのプライドまでなくしてしまったのではなくて?」
ジークの手で身を起こしたラセリアに、カサンドラは傲然と言ってのけた。
「叩頭して社員に許しを請うなど、それがマツシバの社長たる者のすることかしらね」
平時なら不敬を問われてただではすまないところだが、いまこの場に、それを咎める者はひとりもいない。
「いいでしょう。――あなたにできぬというのなら、このカサンドラがやるまでの話」
言葉の意味が群集のあいだに浸透する時間を置いて、カサンドラは大きく宣言した。
「この私が! 《星鯨》を止めてみせます!」
ざわめきが起こる。期待と当惑の入り交じった表情で、群集はお互いに顔を見合わせていた。
「黒部――」
影のように付き従う黒服の男が、どこからか椅子を持ちだしてくる。
優雅に腰をおろして、カサンドラは目を閉じあわせた。
高まる期待感が寒さを忘れさせる。群集は息を殺して、瞑想するカサンドラを見守った。
そのうち、群集の誰かが言いだした。
「……地震が止まってる。おい! 地震が止まってるぞ!」
誰もが耳をそばだてた。何人かは雪の中に顔を埋め、大地に耳を押しあてた。
ジークはラセリアに酸素を吸わせながら、片手を地面について確かめた。
「本当だ……本当だぜ! 止まってる!」
群集の誰彼が口々に叫ぶ。
ここ数日、ひっきりなしに続いていた地震が止まったということは、《星鯨》が静止したことを意味していた。
「カサンドラ様のおかげだ!」
「そうだ! そうだ!」
ジークにとってはあざとく感じられる扇動の声も、この場に居あわせた者にとっては甘美なものとなるのだろう。カサンドラを称えるシュプレヒコールが始まるのに、たいした時間を必要としなかった。
「カサンドラ様、ばんざーい!」
「《星鯨》の巫女、ばんざーい!」
カサンドラはうっとりと目を細めて、自分の名を呼び称える群集を見つめていた。
◇
その夜、午前零時――。
緊急招集された株主総会によって、カサンドラの新社長就任が可決された。