全力運転試験
「えー、本日はお日柄もよく、こうして宇宙樹の全力運転試験にこぎつけられたことは、私ども宇宙開発公団の一同の喜びとするところでありまして――」
要領を得ない挨拶が、長々とつづいていた。
ずらりと居並ぶネクサスの名士たちも、ジークたちと同じで退屈そうな顔をしている。
まあ、彼――所長を責めるのも酷といえよう。
参列者のなかに、ジークやカンナ、そしてエレナの姿があっては、気が散って挨拶どころではないはずだ。
ジークたち三人は、宇宙樹の全力運転試験の現場に居合わせていた。
本来なら部外者は入れないところだが、例の「靴下脱がしてくださる?」の現場を抑えた映像を楯にとって、所長に個人的にお願いをしたのである。
「お話、長いのね……わたし、飽きてきちゃった」
「あっ、そろそろ始まるみたいだよ」
ジークは壁際のコンソールをエレナに示した。
技術者たちに、なにやら動きが見えている。
このコントロール・ルームは、宇宙樹の内部に設けられていた。
この試験に招待された人々は、現大統領をはじめとして、政界や財界の著名人。マスコミに科学者などもあわせて、軽く数百人に達していた。
おかげでジークたちが三人ばかり紛れこんでも、誰も気づきもしない。
「えー、それでは――そろそろ試験を開始したいと思います。まず出力を徐々にあげてまいりまして――」
人々のあいだに、かすかに不安の表情があらわれる。
「ああ、だいじょうぶです。このコントロール・ルームは、完全にシールドされております。この部屋から出ないかぎり絶対に安全です。万が一にも、人体に影響がでるようなことはありませんので――」
所長の説明をしているあいだに、後ろの巨大なメイン・モニターには、なにやらそれっぽいデータが映しだされてくる。
そこに記された数式の羅列を理解できるのは一部の科学者だけだろうが――なぜか人々は納得したようにうなずいた。
「出力九十五パーセントまでは、すでに試験を済ませております。本日はじめて、百パーセントの全力運転を行うことになります。その記念すべき現場に居合わせられる皆様は、まさに歴史の生き証人となられるわけです」
メイン・モニターにゲージが表示される。
宇宙樹は、すでに五パーセントの出力で稼働していた。
わずか五パーセントだというのに、すでにおそるべき電力が生みだされていた。
一惑星のエネルギー需要を簡単に賄えるほどの量だ。
ゲージを見上げていたエレナが、ぽつりと言った。
「これじゃお父様の大事にしてる石油なんて、すぐ時代遅れになっちゃうわね。破産して路頭に迷うなんてことになったら、どうしましょうかしら」
全員の注意がモニターのゲージに向かったことを確認して、ジークはふたりに言った。
「じゃあオレ……行ってくるよ」
「はぁい、行ってらっしゃい。お兄ちゃん」
「おゥ――気いつけてな。あとのことは任せておけい」
ふたりのキスをほっぺたに受け、ジークは人々の列から、そっと抜けだしていった。
◇
ジークがその場から立ち去って、しばらくして――。
技術者のひとりが、不意に大声をあげた。
「たっ――大変ですっ! いまドアのひとつが、開いて――誰かが外にっ!」
その報告を受けて、所長は顔色を変えた。
「なっ、なんだって!? ロックを掛けておかなかったのかっ! バカものがっ!」
「い、いえっ――ロックしてあったはずなんですが」
「誰だっ! 誰が出ていったんだ!? いや待て――その前に発電を停止しろっ! すぐにだっ!」
「はいっ!」
係員が停止シーケンスにはいるのを見て、所長は狼狽しながら、参列者の顔ぶれを見回した。
だが数百人もいる中から、欠けているひとりを思い出すなどという芸当ができるはずもない。
所長の目が、エレナのところでぴたりと止まる。
少女は視線が合うと、手を振って微笑みかけてきた。悪い予感が、所長の心を襲う。
「き、きっ――君っ! 君の、その……ボディ・ガードは? いったいどこに?」
少女は小鳥の仕草で、首を傾げてみせた。
「彼のこと――? 彼なら、ちょっとトイレに行ってるところよ」
所長は青くなった。
運転中にシールドの外に出たら、人間は一秒と生きていられない。
この試験中に死者を出すようなことがあれば、自分の地位も危うくなる。
いやそれよりも何よりも、部外者を参列させたことが公になったら――。
「所長っ!」
技術者のひとりが、何か切迫した声をあげていた。
「何だッ!?」
それどころではないのだ――と、彼はうるさげに振り返った。
「出力が――出力が落ちません。それどころか、どんどん上がっていって……コントロールをまったく受けつけません。何者かの干渉が――」
「なんだと!? かしてみろっ!?」
自分でコンソールに向かった所長は、あらゆる手をつくし――そして思い知った。
この宇宙樹をコントロールしているのは、自分たちではないのだった。
「なんてことだ……」
ふらふらとコンソールから離れ、所長はつぶやいた。
頭のどこかで、退職後の生活について考える自分がいた。
懲戒免職にならねばよいが――と、冷静に指摘している自分もいた。
「だいじょうぶだと思うわ」
混乱した頭に、少女の声が聞こえてくる。
「お兄ちゃんがきっと止めてくれるもの。だってお兄ちゃんって、《ヒーロー》なんだから」
彼は思った。
誰が信じるものか。すべての災難の源である、小悪魔の言葉など――。
「おい、何が起きてるんだ? いったい――」
異変に気づいた参列者たちが騒ぎはじめる。どこか遠いところから、彼はそれを見ていた。
「まアまア――落ち着けって」
小悪魔の付き添いの女性が、そう言った。
スカートの中から、白い煙が吹きだしはじめる。
コントロール・ルームにガスが充満してゆくと、騒ぎを起こしかけていた人々は幸せな顔で微笑みを浮かべるようなった。
彼女と小悪魔のふたりだけ、どこからかガスマスクを取りだして顔にあてていた。
「ほゥら――落ちついたろ?」
所長はうなずいた。
何が起きているのか、これが終わってから自分がどうなるか、もう気にならなかった。
――ああ、とても幸せだ。