控え室に戻って
パーティが終わって、ジークたちは控え室に戻っていた。
ベッドに仰向けに横たわったジークは、シャツのボタンを胸元まで解放し、ぼんやりと天井のシャンデリアを眺めていた。
「あら、そのヨネモトさんは、そこじゃないと思うけど?」
「なんでサ? このヨネモトは……こっちのほれ、二課の課長代理の腰巾着だったろーがサ」
「あら、そうだったかしら?」
「なにやってんだ、いったい?」
カンナとエレナが、床の上に何やら広げている。身を起こしたジークは、カーペット一面に敷きつめられた何百枚もの名刺に目を丸くした。
「技術七課のカネダさんって、銀杏柄のネクタイをしていた人でいいのよね?」
自信の無い声でエレナが聞き、カンナがうなずく。
一枚のカードが、新たに列の下のほうに付け加えられる。人の名前を覚えることでは人後に落ちないエレナも、人外のバケモノが相手ではいささか分が悪いらしい。
「だからなにやってるんだって?」
「カードの分類さね。こっちのグループがラセリア派、んでもってこっちの大きなほうがカサンドラ派ってワケさ」
「逆じゃないか? だって彼女のほうが社長なんだろ?」
「あの姫さん、よくやってるよ。ホントに……。この勢力関係で転覆してないのは、奇跡に近いね」
「えーッ! それじゃいつスポンサーがいなくなるか、わかんないってこと!?」
あらわな格好でシャワールームから出てきたアニーが、話を聞きかじって悲鳴をあげる。
「お前は黙れ。それから服を着ろ」
「ふん、なにさ。見たいくせに」
ジークは顔をそむけてベッドに倒れこんだ。髪に指を差しいれ、天井を見あげる。
誰にも聞こえないように小声で、ジークはつぶやいた。
「なんてこったよ……」
ジークを頼りとする姫君は、この惑星で孤立無援なのかもしれなかった。
◇
『つぎはァ~、ニュートキオぉ~、ニュートキオぉ~、トーカイ線、メイキョウ線はお乗り換えでぇす』
奇妙なイントネーションで流れる車内アナウンスは、日本語という、銀河文明のあいだでは死滅寸前となっている古い言語だった。ここの人々の祖先――冷凍睡眠状態の移民者数万人――がこの星に流れついてから300年。当時の言葉が公用語としてそのまま使われているらしい。
満員列車に揺られて、ジークたちはラセリアのいる本社ビルに向かっていた。
昨夜のパーティでは海賊退治を引き受けたことにされていたが、そのことを問い質さなくてはならない。
列車がホームへと到着し、ジークたちは人の波に押し出されるようにして列車を降りた。
満員列車から解放されるなり、アニーが憤然やるかたないとばかりに声をあらげた。
「まったくもうっ! なんなのよ、あれ! となりのオヤジの頭はくさいわ! お尻をなでまわしてくるヤツはいるわ!」
ただでさえ髪の色と目の色の違い――ここでは皆が皆、黒髪に黒目なのだ――のせいで人目を引くというのに、これではかなわない。文句を言いつづけるアニーを引っ張って、ジークたちは改札を抜けて最初に見つけた店屋に入った。
「あら、いいにおいですわね」
異国の美女たちが入っていっても、忙しそうにヌードルを食べる男たちは振り返りもしない。
「おっちゃん――テンタマ四つ。ソバで、タマゴナマね」
カウンターにぶら下がったカンナが、慣れた口調で歯切れよく注文した。待つほどもなくヌードルが出現する。途端にアニーは機嫌を直した。
「わぁっ、おいしそー」
ジークはスティック立てに手を伸ばして、木製の食器を一本引き抜いた。
その上にネジ止めされている金属のプレートに、ふと目が止まる。それは所属の示されたプレートだった。『食料配給部・飲食課・小規模露天係・ニュートキオ三区・第一二七三号カドマツソバ』とある。
ちらりと目をあげて、カンナが言った。
「まー、アレだな。ひとつのでっかい会社なワケさね。この国……じゃなかった、この星ぜんぶがサ」
「そりゃ昨日の夜に聞いたけどさ……。だけど変だろ、そんなのって……」
ずるるっと、下品な音を立ててヌードルをすすりあげてから、カンナは言った。
「そういう社会構造もあったってコトさ。理論としちゃあ、べつにおかしくない。――おっちゃん。ネギ少ないぞ、ケチるな。それからこんなかにコロッケ入れてくれい。あとそこのイナリ、二つばかしくれるかね?」
木製のスティックをぱちんと割って、ジークも食べはじめる。
「これ、おいしいねー」
アニーの言葉に、茶色い皮に包まれたライスの塊をぱくついていたカンナが相槌を打つ。
「まっ、合成モノにしちゃあよくできてるワサ」
「えっ、やだ」
アニーはびっくりしたように手を止めた。
スティックに巻きつけたヌードルを顔から遠ざけ、くんくんと匂いを嗅ぐ。
「心配すんなって、なにも宇宙船の中でリサイクルしてるわけじゃないんだ。無機物のCHNOは無尽蔵だから、そっから合成したほうが安あがりだわさ」
普通、合成食といえば排泄物から再生したものを指す。
「エネルギーと資源だけは無限にあるからな、この星じゃなにもかもが合成モノさね。食いモンに着るモン。大気圏に、海洋に――」
「そして、太陽の光か……」
この星に到着したときに見た小型太陽は、人工のものだった。人が生きてゆくのに必要とする物は、この星では何ひとつとして自然に手に入ることはない。あらゆる物はすべて、人の手によって作り出さなければならないのだ。
そのための巨大組織――そのための会社なのだ。
二百億の人間が身を寄せあって生きている。それは外の人間が思うよりも、大変なことなのだろう。
◇
一歩違いで、社長室には先客があったらしい。
閉まりきっていないドアの隙間から、ラセリアの声が聞こえてくる。
「わざわざ出向いてこなくても、報告書は受け取っていますよ。そんなに勢い込んで、どうかしましたか?」
ジークはドアの隙間をすこしだけ広げて、部屋の中をのぞきこんだ。
地味な色のスーツを着てデスクについたラセリアと、思いつめたような顔でその前に立つ男の姿が目に映る。男は誰だったか……。たしか昨夜のパーティで見た顔だ。
首をひねったジークの上に、ひょいとエレナの頭が乗っかってくる。
(あら、ハセガワさんですわね。ほら環境維持局、大気部部長の……)
(ああ……)
ジークは思いだした。最後に紹介を受けた人物だ。
(なになに、どうしたの?)
(おー、ヤってるヤってる)
(お、おまえらな……)
ひとつ下にアニー、もうひとつ下にカンナの頭がならぶ。ジリオラ以外の全員が覗き屋をしていることになる。
「じつは社長……」
「姫です、姫」
手元の書類に目を落としたまま、ラセリアは正した。
「ですからその、ラセリア様……。わたくしことハセガワ、今日は直訴にやってまいったわけでして――」
悲愴な表情で、男は話を切り出した。
およそ管理職には見えない、線の細い男だった。もともとは技術畑の人間だが、出世するうちに現場から離されてしまったという感じの人物だ。
「直訴……ですか? それは穏やかでないですね」
ここにきてようやく、ラセリアは書類をめくる手を止めた。視線をあげて男を見る。
「わかりました、話を聞きましょう」
そう言って、居住まいを正す。
大気部部長ハセガワは、覚悟を決めたように話しはじめた。
「さきほど報告書をご覧になられたと申されましたが……」
「ええ、もちろんですわ」
「ならば現状はわかっておられるはずです! 補充用の大気の残量は――」
「前回のジャンプで、ちょうど底をつきましたわね」
ラセリアにあっさりと答えられて、大気部部長は二の句が継げなくなった。
(なんの話だい、カンナ?)
ジークは小声でカンナに聞いた。わからないことはカンナに聞くに限る。
(クウキだよ、空気。星がジャンプするたんびに大気圏の一部を置き忘れてくるもんだから、そいつを補充してやらねーといけないのサ)
(もし、補充しなかったら?)
(そりゃ、なくなっちまうワサ。そのうち真空になるさね)
(げげっ!)
部屋の中では、気をとりなおした部長がラセリアに詰めよっているところだった。
「――社長ッ! 呼吸可能域を割り込むのに、あと数回しかないのですぞ! いったいこの私めにどうしろというのですか」
「そのことでしたら心配いりません。わたくしは信じておりますもの」
「またあの《ヒーロー》とやらですか? あんな少年に、いったい何ができると――」
「いいえ」
ラセリアは首を振った。
ぽかんと口を開ける部長に、自信に満ちた声で言う。
「信じているのは、我が社の社員です。そんな――たかが空気がなくなったくらいでパニックを起こすような社員は、我が社にはひとりもおりませんとも。――ね?」
花のような微笑みにつられたのか、部長はこくりとうなずいた。うなずいてしまってから、あわてて言い直そうとする。
「い、いや! そうではなくてですな!」
「思いだしますわ……。わたくしの子供の頃は、月に一度はきまって警報が鳴ったものでしたっけ……」
「先代の頃ですか……? まあ、あの頃はいまと違ってジャンプも不安定なものでしたし」
部長は何かを思いだすかのように、遠い目をした。
「警報が鳴ったら息を止めて、シェルターに走るのでしたね。かけっこみたいで、なんだかわくわくしましたわ」
「遊びごとではないのですぞ……社長」
部長の声はすっかり勢いを失っていた。
「そういえば、ハセガワはその頃から大気部にいたことになりますね」
「はあ、先代に取り立てていただきまして、新触媒を使ったプラントの設計をまかせていただきましたが……」
(うーン、うまい。座布団一枚だナ)
(なにがだよ?)
(ほらほら、見ていればわかりますわ)
(う、うん……)
エレナに言われて、ジークは室内に目を戻した。
ふたりの話は昔話へと移っていた。どれほど昔は大変だったかという内容が、ハセガワの口から滔々と語られてゆく。ラセリアはただ聞いているだけだった。話の要所で巧みに相槌をいれている。
やがてハセガワは自分の半生を語り終えた。晴ればれとした顔で、ラセリアに言う。
「わかりました、社長。大気部権限において、全社における設備の再点検を徹底させることにします。街頭の酸素マスク及び、各シェルターの気密と備蓄空気の残量確認ですな」
ラセリアは部長の言った内容にうなずき、ひとつだけ付け加えた。
「年少の社員は……そうですわね、下は〇歳から上は二〇歳くらいまで。緊急時の訓練をしっかり行っておく必要があります。もう子供の頃のことで、覚えていない者も多いでしょうから」
「お任せください」
部長は力強くうなずいた。踵を返して、ドアに向かって歩きはじめる。
(やばっ……)
ジークたちは慌ててドアから飛びのいた。
ドアノブに手をかけたところで、大気部部長はラセリアに振り返った。
「この十年で平和ぼけしていたようです。社長、正直申しあげまして目が覚めた思いですぞ!」
部長は澄まし顔のジークたちと会釈ですれ違い、しっかりした足取りで廊下を歩いていった。角を曲がってから、「やるぞー!」と叫ぶ声が聞こえてくる。
部長を見送ってから、感心したようにカンナが言った。
「まったく、やるもんだ。微笑みひとつで男をやる気にさせるなんざァ……。あの空気職人のおっちゃん、クビをかけて直訴に来たようにはとても見えんわさ」
あらためて部屋の中に入ってゆくと、ラセリアはすでにデスクから立ちあがっていた。どんな褒賞にも換え難いとびきりの微笑みで、ジークを出迎える。
「あらまあ、こんな格好で恥ずかしいですわ。いらっしゃるなら、ひとこと言ってくださればよろしかったのに……」
地味で実用的なスーツをしめして、ラセリアは恥じらってみせる。
脇腹をアニーにつつかれて、ジークは言った。
「えっと、似合ってる……と思うよ。なんか、社長みたいで……」
「ばか……」
アニーは天を仰いで肩をすくめた。
「うふふっ……」
くすくすとひとしきり笑ってから、ラセリアはジークに問いかけた。
「それで……どんな御用ですの? わざわざお越しいただいたからには、なにか重大なことですのね?」
「ああ、そのことなんだけど……」
ジークが言おうとしたところに、カンナが大声で割り込んでくる。
「ああッ! それね! じつはコイツさ、ビビっちまって海賊退治をことわ……むぐっ」
ヘッドロックをかませてカンナを黙らせる。
ジークは言った。
「海賊退治の仕事、引き受けさせてもらうよ」
次回は戦闘です。