7話 猫な僕と姉と妹
それは確かに『お馬さん』ではあったんだろう。
真名実のお腹の上から見えた光景に、僕は嘆息しながら認めるしかなくなる。
どこまでも白い地面が続く荒野を、巨大鎧がホバリング走行する先に見えてきたのは、とても大きな『お馬さん』だった。
本当の馬ではなく、あくまで同じような姿をしたもの、ではあったけれど。
巨大鎧と同じような白銀色のボディは、鬣どころか目や耳といったものもなく、全体としてつるりとしている。大きさを無視すればオモチャみたいだった。
足が無くて、地面から浮いているというのも、その印象に一役買っている。原理は良く判らない。夢の中で原理云々を考えても仕方ないか。
魔法。それでたぶん問題ないだろう。気にしてもしょうがない。
そしてその『お馬さん』の後ろには、大きな箱がくっついていた。
大きな箱だ。こちらは浮いてはおらず、幾つもの車輪があることから荷台と言ったところだろうか。見た目はコンテナそのものだったけれど、色はこちらも白銀色だった。
そして、とりあえず巨大だった。巨大鎧よりも『お馬さん』よりも更にデカい。
その様相は、有り体に言えば『馬車』だった。車輪付きのコンテナを牽く馬のオモチャの絵図。おおよそ『馬車』らしくないものの、そうとしか説明もつかないような、そんな光景だった。
先を行く二体の巨大鎧が減速し、コンテナの後方に回り込む。
それと同時に、コンテナの方でも変化があった。後方の面が観音開きに開いていく。
その光景だけを見れば、運送のトラックとあまり変わらない光景ではあったけれど。
ホバリング移動を止めて、青い巨体から順に巨大鎧がコンテナの中に乗り込んでいく様子は、妙に人間くさい動作に見えた。見た目が鈍重そうなせいか、「よいしょ」とか言ってそうな雰囲気すらあった。
ほどなくして、僕らを乗せた鎧もそれに続く。スライムごと大きく揺らされたものの、振り落とされるようなことはなかった。真名実はがっちり束縛されているし、僕の猫な身体はバランス感覚に優れているらしく、特に何も意識しなくても転がり落ちるようなことにはならなかった。
「は〜い、到着しましたわよ」
手にしていた扇子を畳みながら、にこにこと女の人が声をかけてくる。 巨大鎧は屈み込むと、僕らを乗せた手を床へと差し向けた。
うぞうぞ、と湿った粘着音を立てて、スライムが床に降りていく。
「ふふ。ちょっとそのまま待っててくださいませ。すぐにわたくしも参りますわ」
帽子に手を添えて婉然とした微笑みを見せた後、女の人を乗せた巨大鎧はゆっくりと壁際へと歩き出していった。
真名実のお腹の上で、緩く上下する振動を感じながら、僕は周囲を見回してみる。
コンテナの内側は、広い。猫の身からすれば、かなりの広さに感じた。 壁際に二体の巨大鎧が壁を背に突っ立っている。あのおかっぱ男とハゲメガネが乗っていたものだった。そしてさっきの女の人が乗っていた鎧も、身を翻して姿勢を正そうとしている最中だった。巨大鎧はその三体で全部のよう。
とりあえずひとつ感じたのが……不思議な光景だな、というものだった。
中は広く、天井も高く、そして明るい。天井から降り注ぐ光は、蛍光灯のようなものじゃなく、自ら発光するいくつかの光の玉だった。魔法の産物だとすぐに判ったのは、この猫の身体のおかげだろうけど。
壁には巨大鎧用のものだろう大きな剣や槍、ボウガンのようなものが割とデタラメに括り付けられている。床には大小様々なコンテナや、よく判らない物体が、設置と言うよりは散乱といった感じで並んでいた。
少し大きめの地震があった後のような、そんな散らかり方に見えた。
(それにしても、何て言うか……統一感が無いというか節操が無いと言うか)
魔法による照明と、やけに無骨な武具とその扱われ方、そして立ち並ぶ巨大鎧にコスプレ的な格好の人たち。
(そう言えば、あのデカい鎧みたいなやつ。あれもロボットって言えばそうなるのか?)
マンガやアニメ、あとはゲームか。そのまんまと言えばそれまでか。
この光景は、あれらに近い。
ごった煮感と言うか、どうにも混沌としている気もするけれど。
(……真名実が見たら、なんか喜びそうなのが、何ともなぁ)
コスプレ衣装の参考にするなどと言って、真名実はその手のマンガやアニメを結構見ていた。小説もか。厄介なのは、それを僕にも勧めてきたりすることだったけど。
脱力感を覚えつつ、振り向いてみる。真名実の顔を見るつもりだったのに、その前にそびえる膨らみに邪魔されて見えなかった。
「いやはや、実に立派なものです。仰向けになってもなおこの存在感。どうです、キミもそう思いませんか?」
近くで聞こえた声に目を向けると、あのハゲメガネが実に良い笑顔で僕を……僕のすぐ後ろにあるものに視線を注いでいる姿があった。
その横では口を真一文字にして険悪な視線をハゲメガネに向けているおかっぱ男の姿があったけれど。
僕は願った。あと一歩近づいてこいと。
そうすれば、この爪でその頭を血祭りにしてあげられるのだから。
「あらあら。女の子の寝姿をまじまじと見るなんて失礼ではありませんこと? まあ、こんなに可愛らしいのですから、そうしたいお気持ちは判りますけれど」
コツコツとヒールの音を響かせて寄ってきた女の人が、広げた扇子で口許を覆いながら、男二人に視線を注ぐ。
と言うか、その目はおかっぱ男に向いているみたいだった。
少し細められた目は、荒野でのやりとりの時のように、どこか揶揄しているように見えたけれど。
おかっぱ男が何か抗弁しようと口を開けた時だった。
僕らへと駆け寄ってくる新たな足音があった。
「おかえりなさい、アリサ姉さん」
女の人だった。肩に掛かるくらいの銀髪と切れ長の碧眼が目を引く。濃い灰色のツナギに軍手という格好のせいもあるけど、その肌も眩しいくらいに白い。
そんな彼女に、露出過多な女の人が顔をほころばせる。今まで見せたものとは違う、どこかあどけない笑みに見えた。僕の錯覚でなければ。
「うん、ただいまですわ。それで、さっき連絡をしておいた子がこちらですわ」
「大結界で拾ったって聞いてたけど……一応確認しておくけど、拾ったのはそちらの女の子ってことなの?」
「ええ。それと、そこの小さな子猫ちゃんもですわ。お話ししておいたように、どちらも可愛いでしょう?」
「確かに可愛い子を拾ったから連れてくるって聞いてたけど……それが女の子だなんて思わなかったからね。せめて保護した、とか言っておいてほしかったかな」
溜息混じりに呟くツナギの女性。
それに対して悪びれる様子もなく、相手はニコニコと笑っている。
「事情は、まあ、後で聞くとして。先にこの子たちを医務室へ運びましょうか。ああ、アリサ姉さん、このままじゃ駄目だからね。後で掃除とかめんどくさいことになるから。とりあえず隊長は、あっちに置いてある担架を……」
とそこまで言いさして、ツナギの女性は頭を振った。
「いえ、隊長は先に上に行って魔動貨車の起動をしてて下さい」
「おや? この子を運ぶというのであれば、私が手伝うのも吝かではありませんが? と言うか、むしろ立候補したいところですが。担架などという無粋なものより、ここは頼りがいのある男の背中をこそ……」
「却下です。さっさとお願いします」
にべもなく、ツナギの女性が告げる。冷ややかな眼差しだった。おかっぱ男の鋭い眼差しとはまた違った威圧感がある。
ハゲメガネは苦笑いしてみせた後、「では、隊長として、部下に顎で使われるとしましょうか」と言い残して、あっさりと去っていってしまう。 皮肉と言うよりは、状況を面白がっているふうにしか見えなかった。いまいち掴めない男ではある。どうでもいいけれど。
「で、アンタは突っ立ってないで、さっさと担架を取りに行くとかできないわけ?」
ツナギの女性の言葉に、おかっぱ男がわずかに眉根を寄せる。が、特に何も言わないままに離れていった。言われた通り、担架を取りに行ったのだろう。
……なんだろう。男二人が揃って立場が弱そうだけど?
そんなおかっぱ男の後ろ姿をぼんやりと眺めていたところで、僕は不意に気づいて振り向いてみる。
目の前に帽子が……露出過多な女の人の顔があった。
「うふふ。ほんと、かーわいい、ですわ」
頬をほんのり赤く染めて見つめてくる。少し眠そうな眼差しが、妙に色っぽく見えた。
はっきり言って、居心地が悪い。前みたいにそっぽを向けば良かったと思いつつも、それも出来なかった。
吐息がかかりそうなくらいに近い。目を逸らしたら、そのまま抱き上げられそうな気がする。そうなると僕には逃げるすべもなくなる。ちょっとしたピンチが到来だった。
「ところで、姉さん。その猫はどうしたの?」
銀髪の女の人の問いかけに、僕にロックオンしていた視線が逸れる。思わず安堵の息が漏れたけど、これ、猫的にはどうなのだろうか。
「この子と同じ場所にいたのですけど、何があってもこの子の傍から離れようとしないんですのよ。こんなにちっちゃい仔なのに、ご主人様から離れないなんて、すごく立派ですわよね。それにこの可愛らしさは、罪作りなほどですわ。やっぱりソニアちゃんもこの子の可愛さに魅せられちゃったかしら?」
「いや、そういうのじゃないけど」
何故かうっとりとしている露出過多な女の人に対して、銀髪の女の人の反応は薄かった。切れ長の眼差しを僕に向けてくるけれど、威嚇するように少し目を細めてきている。
猫とかが嫌いな人なのかも知れない。視線に妙な圧力みたいなものを感じた。
(このふたり、話しているのを聞く限りは……姉妹、なのかな?」
それにしては似ていない気がする。髪や瞳、肌や顔の造作、着ている服からして正反対だ。ツナギ姿からははっきりと判らないものの、露出過多な女の人のような主張のはっきりしている体型でもなさそうだ……とか思うのはやっぱり失礼だろうか。
ただ、共通して言えるのは、ふたりとも美人だと言うことか。それも超が付くぐらいの。まるでタイプの違うものの、ふたりともモデル雑誌に出ててもおかしくないレベルだと思えた。
露出過多な女の人がグラビア系で、ツナギを来ている方がモデル系とでも言えばいいのか。ふたりとも着ているものがちょっとアレなのに、全く印象負けしていないというのは素直に凄いなと思う。
……て、こんな夢を見ている僕は本当になんなんだろう。こんなにも頭を抱えたくなるような気持ちは初めてだった。
「あらあらあら、いけませんわ。わたくしったら、この子に名前も言っていませんでした。わたくしはアリサ。アリサ・カーマインですわ。子猫ちゃん、よろしくお願いしますわ」
「姉さん……」
アリサと名乗った女の人を眺めながら、若干呆れ気味の声は妹さんから。
猫がちゃんと話を聞いて理解しているとは思ってはいないだろうから、そういう反応にはなるだろうけど。
ちょっと取っつきにくそうな人だけど、この妹さんとは気が合うかも知れない。似たようなのを相手にしている同士として、ぐらいは。
「ほら、ソニアちゃんも自己紹介して。子猫ちゃんも待っていますでしょう?」
いや、いろいろなことに呆れてぼうっとしてるだけですけど。
じっと妹さん……ソニアさんが僕を見つめてくる。
相変わらず妙な威圧感を感じる眼差しに、僕は自然と背筋が伸ばしていた。よく判らないけど、ちょっと怖い。そんな気がする。
無言の視線を浴びること数秒。ソニアさんの薄い桜色の唇が、少し震えた。
と思った矢先だった。
音もなく、ソニアさんと僕の間に何かが差し込まれ、視界が遮られていた。
それは扁平なかたちをした長細い板のようなものだった。ぱっと思い浮かんだのは、外れたドアだったけれど……そんな自分の発想力に、いよいよ僕もおかしくなってきたかも知れない、とか思えてくる。
とは言え、その板状の何かを差し出してきたのは、気配すらも絶ったまま戻ってきたおかっぱ男だった。
「あらあらあら。ホント、この人は……」
嘆息混じりな呟きは、アリサさんか。板で見えないけれど、ものすごい呆れ顔をしているような声だった。もしかしたら、すごく珍しいものを見逃したのかも知れない。
「これで良いのだろう?」
仏頂面のままで、おかっぱ男が板の先をソニアさんに向ける。
その一方で、ソニアさんはおかっぱ男にちらっと目を向けた。その表情に変化は無いように見えたのに、さっきよりも怖いように見えたのはどうしてだろうか。
でも、ソニアさんはすぐにその目を板へと向けると、無言のままでそっと手を添える。
猫の身に感じたのは、魔力の流れだった。
ソニアさんから板へと魔力が流れる。小さな流れだった。それもすぐに途絶する。
でも、その流れに呼応して、今度は板状のものに仕込まれていた魔力が巡るのも感じられた。スイッチが入った、と言ったところか。
おかっぱ男の手から離れた板状のものは、ゆっくりと空中に浮かびあがると、そのまま水平になるまで傾いて、静止する。
(こいつ、「担架」って言うより、ベッドだな……)
横になってみると、思ったよりも大きなものだった。シングルベッドぐらいの面積はありそうだった。大理石のような光沢をしているのを見るに、寝心地は良くなさそうだったけれど。
ぶるっと足下が震えた。真名実の……と言うか、その下のスライムもどきが震えていた。
何だ……? と思った時には、ぐいっと真名実の身体が無数の触手によって持ち上げられていた。無論、僕ごと。
少し高くなった位置から見えたソニアさんの顔が、微妙にひきつっている。あとは銀の筒を手に婉然と微笑むアリサさんと、おかっぱ男の仏頂面。なるほど、この中ではソニアさんが一番の常識人らしい。漠然とそんなことを理解しておく。何を以ての常識かは、今は問いたくないけど。
スライムもどきはそのまま担架の上に真名実を横たわらせると、速やかに触手を引き戻していった。
それと同時に、アリサさんがスライムもどきに近づいて、手にしていた筒をそっと差し向ける。肌も露わな胸を抱き寄せるような姿勢でいるのは無意識なのだろうか。
それはともかくとして……その銀色の筒に魔力が通ったかと思った直後に、うねうねと蠢いていたスライムもどきが一気に筒の中へと吸い込まれていた。あまりに一瞬のことだった。
水筒に蓋でもするような仕草で筒に指先を添わせ、アリサさんが少し目を細めて唇に笑みを浮かべる。満足そうな顔なのは判るけど、何に満足しているのかまでは判りようもない。
アリサさんは手にした筒を、そのまま自分の胸元に押し当ててみせた。
同時に、また魔力が通うのを感じる。今度はちょうどアリサさんの胸の谷間を囲うようにしている菱形の枠組みのようなアクセサリからだった。
そしてそのまま銀の筒は、アクセサリの枠の内側へと吸い込まれて消えていった。まるで胸の谷間に入っていったかのように。
そこに何の意味があるかも判らない。いや、考えるだけ無為なのだろう。
そんなところに意識が行ってしまうことの方が、重要なのかも知れなかった。あるいは、重傷とも言うべきか。
(欲求不満ってことなのか、僕は?)
考えたくもない可能性。だけど、ここまでくると、ちょっと笑えない。情けなくすら感じる。
十七歳の高校生男子としては致し方無い、とかワケ知り顔の大人とかは揶揄してきそうではあるけれど。
「ね、ソニアちゃん。この子猫ちゃん、全然動じないでしょう? あんな状況になっても決して離れようとしませんし……本当に凄いですわよね」
さっそく真名実の……と言うか僕の傍に駆け寄ってくるアリサさん。それに対してソニアさんは少し困惑顔。おかっぱ男は、まあ変化無し。
ベッドもどきに運ばれる間も、全くみじろぎしなかったのは、猫的に不自然だっただろうか。まあ、今更どうしようもないけれど。
「まあ、暴れられたり逃げられたりされないだけ好都合ではあるわね。このままじっとしてくれていると助かるわ」
「もう、ソニアちゃんってば冷静ですこと」
妹の素っ気ない態度に口を尖らせるアリサさん。なんか、どっちが姉なのか判らなくなるようなやりとりだった。同時に、何とも既視感のある光景でもあったけれど。こういうようなやりとりをやったことがある。
「それじゃ、医務室に行きましょうか」
ソニアさんがそっとベッドもどきに指先を添え、そのまま歩き出す。
ベッドもどきは音も立てず、ソニアさんの指に引かれるままに動き始めた。振動も伝わってこない非常にスムーズな動きだった。
そのまま三人は、真名実及び猫な僕を乗せたベッドもどきを囲むような位置取りをして歩き出す。
アリサさんから注がれてくる熱っぽい眼差しには気づかないフリをしつつ、真名実のスカートの辺りをぼんやりと眺めながら、僕はゆっくり意識巡らせてみることにした。
異世界。
僕が猫で、襲いかかってくる化け物みたいなのがいて、巨大な鎧ロボットみたいなのがあって、魔法なんてものが普通に存在している、そんな世界にいると言う今。
あり得ない。あり得ないとは思っている。でも。
これ……本当に夢、か?
その疑問に、即座にツッコミを入れられない自分を感じてしまって、僕は猫な身体を震わせるしかなかった。