5話 猫な僕は巨体を見上げる
「では、そろそろ参りましょうか」
あちこちが穴だらけになった荒野を眺めていたアノンは、唐突にそう言葉をかけてきた。
それと同時に、僕は足下に……猫としての僕じゃなく、結人の足下に……気配を感じた。
見下ろしてみると、地面に魔力による図面が浮かび上がっていた。立体図ではなく平面図なのは、地面の中までは描画出来ないからか。
図形が表現していた意味の通り、静かにアノンが浮遊する。図形に押し上げられる形での、文字通りの空中浮遊だった。
少しだけ高くなった視界。その端っこに見えたものに、僕は視線を向けた。
見逃せないものがそこにあったあったから。
真名実が横になっている姿がある。夢の中なのだから、いつの間にか無くなっていたとしても不思議じゃなかったはずだけど。
位置は変わっていないように見えた。魔力結晶体を取りに走った距離分だけ、離れているぐらいか。
ただ横向きになっていたはずの真名実は、今は仰向けになっていた。寝返りを打ったと言うよりは、さっきの衝撃に押されたのだろう。そう思えたのは、ぐしゃぐしゃになって広がっているポニーテイルや、だらりと投げ出されたようになっている足、めくれあがったスカートと露わになってしまっている白の……
僕は慌てて目を逸らすしかなかった。
ふと新たな気配を感じた。浮遊した一色結人の靴と地面との間に空いた空間に、これも一瞬にして図形が完成する。
その意味が判ったのと同時に、僕はさっきかけられた言葉の意味を理解した。
だから僕は跳んでいた。アノンの肩から地面へと。
二メートル程の高さからのダイブだったことに、着地してから気づいて遅ればせながら身が震えた。十センチもない猫な僕からしたら結構な高さだ。でも、特にこれといって感じなかったのは、猫ならではの感覚なのだろうか。どうにも判らないけれど。
「……どうされました?」
目だけを僕に向けて聞いてくる相手を、僕は真っ直ぐに見上げる。
僕の意志は伝わるはずだった。
相手からの反応は、予想した通り、素っ気ないものだった。
「了解しました。私としましても同行を強要するつもりも御座いません。お名残惜しくありますが、ここでお別れと参りましょう」
どこまでも平らかな言葉のどこに名残惜しさを感じたら良いものか。
ともあれ、アノンはそのまま猫な僕から視線を外すと、空中で直立の姿勢を取った。
「それでは失礼いたします」
それだけを言い残して、僕の姿をした相手は音もなく浮遊したままで移動を始めた。
音もなければ小揺るぎもしない様子は、処理が下手な合成映像を見ているような気持ちにさせてくる。
髪や服が揺れる様子がなければ、そうとしか見えない光景だったかも知れない。
さっきの攻撃で舞い上がった粉塵のせいで、あまり遠くが見通せなくなっていたこともあってか、すぐにアノンの姿が見えなくなる。
実にあっさりと。そんな別れだった。
◇◆◇
アノンと別れてから、結構な時間が過ぎたと思う。
思うと言うのは、時計もなく、ただの体感でしかなかったからで。
目の前には、真名実が横たわったまま。
乱れまくっていた髪は、今は整っている。まあ、どうにも出来ない部分はあるものの、だいたい整っている。
僕が直した。猫な僕にはそのくらいのことしか出来そうになかったから。必要だったかどうかは、あまり考えたくない。何にせよ、他に出来ることがなく時間だけを持て余していたのは事実だ。
ちなみに、かなり大変な作業だった。少なくとも猫向きな作業では無かったし、相手が全く動いてくれないせいもあってかなり手間取ってしまった。
……いつも思うけど、こいつ、髪が長い上に多過ぎだ。
それと、時間がかかったのはそれだけの理由じゃない。
作業中、一番気を使ったのは、目の向け場所だった。
こいつの首から下を見ないようにしていたせいで、かなり無駄な動きを強いられてしまっていた。
スカートを直せばいいだけの話かも知れない。でも、直視も出来ない場所には近づきようもない。
これが夢だろうが何だろうが、どうにも出来ないものは出来ないのだ。
こればかりはしょうがない。と言うか、こんな夢を見ている段階で、いろいろ悩ましいところではある。
と、それはまあともかくとして。
こうして今、真名実の髪がある程度まとまったところで、猫な僕は一息ついていたところだった。
周囲を見ても白い地面が続くだけの荒野だ。爆発の跡があちこちに見える。土煙はだいぶ収まってきているようだった。
(これから、どうしようかな)
そろそろ夢から覚めないものかと思う。けれど、その気配もない。夢の中にあって夢から目覚める方法など知りようもない。
目の前にあるのは、真名実の後頭部だ。仰向けの姿勢で顔だけが横に向いているのは、髪のせいというわけではないだろうけど。
その束ねた髪を飛び越えて、僕は彼女の顔側へとまわりこんでみた。
眠る真名実の表情は変わっていない。目覚めそうな気配もない。
バイトのフェア日の営業後によく見かけていた寝顔と同じだった。無防備な寝顔。夢でここまで再現出来る程に、まじまじと見た覚えは無いのだけど……
とりあえず、僕は肉球でもってその頬に触れてみた。無反応。次いで押してみる。やっぱり無反応。
爪でひっかく……のはさすがにダメだろう。考慮外だ。髪を引っ張るのは不可抗力でさんざんやってしまったけれど、それでも無反応だった。
舌で舐める……猫的にはOKでも、僕的には却下せざるを得ない。
これが夢だろうと、やってしまうわけにはいかない。そこは死守すべき防衛線だろう。主に僕自身の精神衛生上の為にも。
最善なのは、今すぐに僕自身が起きることなんだけど。
ふと、僕は気づく。音と、そして妙な気配に。
何かが近づいてくる。そう感じた。
(アイツが戻ってきた、とか?)
目を向けてみて、そうじゃないと気づく。
遠くからこちらに向かってくるものは、明らかに僕の姿じゃなかった。
(巨人……?)
その姿は人型をしていた。中世の西洋鎧、あるいはファンタジーもののゲームで見るような鎧で全身を覆った巨体。比較物が無いせいで大きさが把握しづらいものの、とりあえず同じような姿をしたものが三体、こちらに近づいてくる。
僕らを目指しているのは、ほぼ間違いない。二体を前列に、残り一体がそれに続くフォーメーションを保ったまま、真っ直ぐにこっちへと突き進んでくる。
奇妙なのは、三体ともがその足で走っているのではなく、空中を滑るようにして移動していることだった。ホバー移動というやつだろうか。空中浮遊する人型の巨大鎧という絵図は、まるっきり特撮映像そのものにしか見えない。
いかにも夢っぽいと言えばそうなるか。
警戒に身がこわばる。それでも動かないわけにもいかなかった。僕は真名実を背に、向かってくる巨体へと向き直る。
ほどなくして、僕らは接近してきた三体の巨人に取り囲まれた。
大きさは判らない。猫の身には相手が大きすぎて、事前に人型だと知ってなければ、何なのかすら判らなかったと思う。とにかくデカいのだけは判る。
鈍く光る白銀の外装は三体ともほぼ同じで、肩や胸部に施された装飾の色が違っていた。あとはその「鎧」の武装に差異があるくらいか。青の鎧は巨大な剣のようなものを背負い、緑の鎧は左腕に巨大な盾を、赤の鎧は両手で長大な杖のようなものを支えている。
(魔獣……と言うか、生き物って感じがしないな。どっちかと言うと、ロボットみたいな……?)
印象がはっきりしないのは、結局のところ目の前の巨体が『何』なのかが判らないからだった。
猫な自分の感覚が、さっきからずっと目の前の巨体たちから魔力の流れを感じ続けている。その在り様だけは、さっきの魔獣たちに似ている。
三体それぞれの巨体の内側で一際強い魔力の集中を感じるのは、おそらく魔力結晶体だろう。アノンが持っていたものと気配がほとんど同じだった。そしてそこから、巨体の全身を巡るように魔力が動いている。
アノンが空間に魔力による図形を描いて魔法を発動させていたように、この巨体の内側でも魔力が図を描き、魔法が発動しているのが判る。ただ、アノンのようにひとつの明確なかたちではなく、小さな図形がそこかしこで絶え間なく描かれては発動して消えて、また描かれては消えるというのを続けているようだった。
何が描写されているのかは見えないものの、もともとあの魔力で描かれる図形は『見る』のではなく『感じる』ものなんだろう。魔力そのものからして、そういうものではあったし。
僕が目で見ているように感じているだけで、僕以外には見えていない可能性がある。現時点では確認のしようがないけれども。
取り敢えず、巨体の内側で発動している雑多な魔法はそれほど派手でも強力でもない。と言うか地味だった。上から下に移動するだけとか、回るとか、ひとつひとつの魔法が歯車のように機能して、この巨体を動かしている。
(数が多すぎて把握し切れないな……)
僕は早々に諦める事にした。この巨大ロボットもどきの機構を把握したところでたいした意味もなさそうだし。
繰り返しになるけれど、どうせ夢だし。
それよりも、この巨体が次に何をしてくるのか。次の展開がどうなるのか。それが重要だ。
その足で真名実ごと踏み潰そうとしてきても、僕にはどうすることもできない。
それで夢から覚める……のかも知れないけれど、展開としては嫌過ぎる。
真名実が潰される夢とか、本気であり得ないし。
見上げる僕の前で、三体の巨大鎧がゆっくりと片膝をついた。
そして、同じタイミングで胸部の装甲が前方へと押し上げられるのが見えた。
それで何となく次の展開が読めた。開く巨大ロボの胸部にあるものと言えば、だいたいは同じのはず。
青い巨体の上から、唐突に何かが降ってきた。
人だった。全く危なげなくそいつは白い地面に着地してみせる。
膝をついた姿勢からとは言っても、十メートル以上はある高さから飛び降りてくる非常識さは、夢だからで済ませるしかないのだろうけど。
それは青年だった。僕よりは年上なのは間違いない。細身で高身長ながら、ボディラインがはっきり判る薄手の着衣姿からは、引き締まった体躯が見て取れる。アスリートばりの均整の取れた体躯は、男である僕でも見とれるほどに見事だった。
そして、その黒髪を適当に切っただけとしか思えないおかっぱ頭にしているのに、それすらも魅力にしてしまっているようなイケメンだった。その鋭く細めた眼差しを向けられると、全身が緊張で強ばるのを感じるほどに、その眼力も纏う存在感も尋常ならざるものがある。手にした一振りの……たぶん刀、を携える姿が、実に様になっていた。
その黒髪の男の視線が僕から真名実に移る。
その直後、驚いたように目を見開いて、風を起こしそうな勢いで顔を横に向けていた。
なんとなくその青年の心境が理解できた気がした。親近感を覚える程度には。
(でも……ちょっと、ムカつく、かな?)
一方で、緑の装飾がされた方からも人が降りてきた。こっちも男だったけど、おかっぱ男と違って胸部から垂れ下がるワイヤーのようなものに捕まっての降下だった。
光景としては依然として非常識が続行中ながら、何となく安心してしまったのはどうした理由からだろうか。
新たなその男は、白を基調とした軍服っぽいものを着ていた。ただ一番目を引いたのは陽光を浴びて照り輝く見事な禿頭だった。見た目を信じるならば、二十代後半くらいだろうか。黒髪の男とは対照的に、黒縁眼鏡をかけたそいつは穏和な笑みを浮かべている。
なんとなく薄っぺらいと言うか、胡散臭さを感じる笑みにも見えたけれど。
禿頭の男は猫たる僕と真名実とを交互に見やった後、厳かに呟いた。
「ふむ……まだ年若い少女のようですが、仰向けのままでも見応えのある張りを保つ双丘が実に見事ですね。腰から太股へのラインもなかなかのもの。この若さにしてここまでの艶やかさ……これは将来が実に楽しみな逸材ですね」
……コイツは敵だ。
即断する。あらゆる手を尽くして絶対に排除すべき相手だと。
決意を固めて、そのハゲと対峙しようとした時だった。
不意に風が吹いた。変化としてはそれだけのことだったものの。
それがただの風じゃないと感じたのは、魔力の反応を感じたからだった。
風が過ぎていった先へと目を向ける。
変化が起きていた。めくれていたはずの真名実のスカートが元に戻っている。
「駄目ですわよ、隊長さん。ここはそっと見ぬ振りをして直してあげるのが紳士ではなくて?」
次いで上から降ってきたのは女の声だった。見上げてみて、そのまま僕は硬直するしかなかった。
豊かなブロンドヘアを緩やかに波打たせながら、女がひとり降りてくる。
言葉通り、降りてくる。巨大鎧から目に見えない階段が続いているかのように、ゆっくりと。優美に。それは男二人の登場シーンとは比べるまでもなく、真っ当なほどにファンタジーを感じさせる光景だった。
けれど、それよりも目を引いたのが……引きつけられてしまったのは、その女性の姿そのものだった。
一歩降りるごとに揺れるのが見て取れる程の豊満な胸は、真名実とはまた違った存在感を主張している。くびれた腰と伸びやかな四肢からなる身体のラインは艶めかしく、胸の迫力にバランスが崩されるでもない見事な肉付きと描かれた曲線美は圧巻の一言だった。
そして何より、そんな彼女の艶姿を際だたせるのがその着衣だった。いや、着衣とすら呼べないか。胸の谷間はくっきりと強調された上に半分以上が露わになっているし、肩まわりに臍まわり、そして太股も大胆に露出している。隠れている部分の方が少ないくらいだった。
ぴっちりと張り付くようなミニスカートはスリットも深く入っていて、ぎりぎり見えない節度だけはどうにか保っているものの裾もかなり短い。身につけているアクセサリの方が布地が占める割合よりも多いくらいだった。
ただ、それとは対照的にとでも言えば良いのか、頭には童話とかに出てくる魔女がかぶっているような大きな黒い帽子が乗っかっている。
布地の少なさだけなら文句ナシに扇情的で、そして下品な格好だ。でも全体としてのアンバランスさが、どうにも印象を定めづらい格好でもある。気合いの入りすぎたコスプレ衣装と言う見方も出来なくはないだろうけど。
一言で言えば、エロい。
夢にこんな格好の女が登場している。そして事細かに分析してしまうほど見つめてしまった。その意味を考えると、この夢を見ている当人としては、何とも複雑な気持ちにさせられる。
(もうどうにでもなれって気にもなってくるな)
膝をつく巨体を背に立つ三者三様を眺めながら、僕はぼんやりと内心で毒づく。
諦観と言うかヤケクソと言うか、まじめに考えるのがバカバカしいような……
いよいよ本格的におかしなことになってきたようだった。