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青天

 『大量傷害事件、無罪判決』

そんな見出しが一面を飾る新聞を置いて、真弓は立ち上がった。

「あら、もう行くの?」

それを見とめた翠があげた声に、時計を確認してみれば、確かに、想定していた時間よりも二十分ほど早かった。

 けれど、これ以上、怜を悪役のようにこき下ろす記事を眺めているのも辛いから。だったら冷たい扉の前で二十分待つ方が、まだ我慢できる。それに。

「ええ。待つのは苦じゃないですから」

今更二十分くらい、どうってこともない。

 そんな自分の考えに、心の中で苦笑して、真弓は食堂を後にした。

 玄関の扉を開けて、外に一歩踏み出す。残暑も薄れ、すっかり秋へと移り変わった風が、一陣、真弓の頬を撫でて過ぎていった。

 目的地へと歩を進めながら、これまでに思いを馳せる。

 あの時、崩れ落ちて涙した怜は、しばし自分の作った惨状に呆然としていた。そして、思い出したように自身を取り囲むSATに、抵抗するどころか自ら進んで拘束され、真弓たちの前から姿を消した。言い逃れはおろか起訴確実の、現行犯逮捕だ。

 逮捕され、拘束され、起訴され、裁判が行われ。確かに怜が起こした事件とは言え、この結果は納得がいかないと何度真弓たちが叫ぼうが、怜は静かに、寂しそうに笑っていた。保釈させようと、裏から手を回すとまで言った真弓を、やんわりと窘めて。

 ――――――俺はそれに値する事をしたんだから、いいんだよ。ちゃんと罰は受ける。

 そう言った怜の表情は、寂しそうで、でも吹っ切れたようだった。だから、真弓はそれ以上何を言う事もできず、引き下がるしかできなかった。あの悔しさは、今も体の奥底で燻っている。

 四年前の余罪も話題に上り、追及され、様々なメディアを通して怜はまるで、悪魔かなにかのように伝えられた。『赤目』への反感を晴らすいい叩き台として、ジャーナリストを自称する者たちに都合のいいように使われたのだ。それへの怒りは、いまだ収まることなく、燃えている。

 けれど、紛糾するかと思われた裁判は、あっさり決着がついた。

 暴走による、心神喪失状態であることが、認められたのだ。怜に一切の記憶がないことと、能力の暴走に関する研究がある程度出揃っていたことが、大きな要因だと言われている。

 そして、今日。怜が釈放される。真弓は一刻も早く数ヶ月拘束されていた恋人に会うために、こうして、留置所まで足を運んでいるわけだ。

 本部を出るのが二十分早いのだから、同じルートを辿れば二十分早く着くのは自明の理。何をするでもなく、留置所の前の電柱に凭れ掛かって空を見上げる。今朝の天気予報で秋晴れと言っていた空は、確かに、秋らしく澄んだ高い青空だ。

 こうしてここでぼんやりとしていても、周囲から、怒号や罵声が聞こえてくる事はない。ここが留置所の前だと言うこともあるだろうが、それ以上に、国内全体の考え方が変わってきているからだろう。真弓は、そう思いたかった。

 怜が起こした傷害事件は、世間を震撼させた。それは、良くも悪くも一般人の認識に変化をもたらしたのだ。

 『赤目を痛めつけると、自分たちに返ってくる』

そんなこと、少し考えれば理解できるはずなのに。人々がそれに気づいたのは、愚かしいほど後のことだった。それ以来、球体保有者への差別の中で、露骨なものは少し鳴りを潜めている。テレビに顔を出す著名人がこぞって、差別への叛旗などという言い方をしたのもあるだろう。もちろん、数年の間に根付いてしまった意識を根底から覆すことなんてできるはずも無いが、このままいい方向に転がっていければいい、というのは、フォース内、だけではなく、エスパー課とも共通の見解だった。

 「……ああ、真弓。別に良かったのに」

留置所の門が開き、怜が出てくる。見慣れた黒いパーカーだが、フードは取っている。そのおかげで、陽光を受けて輝く、鮮やかな真紅の髪がよく見えた。暴走の後遺症だ。茶色味がかった赤だったはずの髪は、目と同じような赤色に変わっている。少しだけ変わった見慣れた顔に、思わず涙が零れそうになり、慌てて唇を噛む。

「そういうわけにもいかないわ。数ヶ月ぶりよ? ……やっぱり、会いたいじゃない」

本音を面と向かって告げるのは照れくさくて、顔を背ける。頬が熱い。きっと、今真弓の顔は真っ赤だろう。

 言われた怜も、少し顔を赤くして、真弓の顔をまじまじと見つめている。

「か、帰りましょ! みんな、待ってるわ」

沈黙に耐え切れず、踵を返す。かなり大股で歩いたはずなのに、怜は涼しい顔で隣にならんできた。

「なあ、瀬上の携帯、どうした?」

「居間の充電器と一緒に置いてあるわ。大事なものなんでしょ?」

「ああ」

そう言うと、怜は少しだけ顔を俯かせる。

「あいつは、言ってたんだよ。『相手が何者であろうと、ちゃんと話せば理解できる。こっちが誠意を見せれば、相手だってそれに応えてくれる』って」

何と言う理想論。高校生とは言え、青臭いにもほどがある。

 そんな風に、鼻で笑うのは簡単だ。反論は幾つも思いつくし、実際、そんなケースは稀だ。こっちが見せた誠意を利用されるなんて、よくあること。

 けれど、そうやって否定するのを嫌がっている自分に、真弓は気づいていた。

「バカみたいだと思うよ。理想論だってわかってる。けど、あいつは、そういう奴だった。真面目で、優しくて、俺みたいなやつも気遣ってくれてた。だから、恩人。今の俺がいるのは、半分以上、あいつのおかげなんだ」

懐かしそうに目を細めた怜は、そう言って笑った。

 その笑みが、真弓の胸を締め付ける。

 その疼きに知らん顔をして、真弓は怜の手を握る。

「私は、あなたの傍にいるわ。消えない。いなくならない。ちゃんと同じ速度で、同じ道を、同じ視線で歩くから」

それは、半ば以上自分に言い聞かせるような言葉。怜に伝えると共に、真弓自身の胸に刻みつけるための決意。

 それがわかっているのだろう。怜もまた、小さく笑った。

「そうだな。俺もそうするよ。けど、できれば、みんな一緒にな」

「ええ」


 灰色の地面と、青天。その中を歩く、長い髪をポニーテールにした女性と、ぶかぶかの黒いパーカーを着た赤髪の男性。手を繋いだ二人は、角を曲がって見えなくなった。

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