邂逅
髭面の男に狙いを定めたところで、隣の坊主頭が両掌を擦り合わせた。思わずそちらに目を奪われ、そして急遽行動を変更した。
その掌の上に出現した炎と言うにもおこがましい火が、紅蓮の蛇と化してうねり、五十鈴へと突き進んでいったのを目の当たりにしたから。すでに、俺の斬撃ではどうにもならない状況まで進んでしまっていたようだった。
けど、だからと言って諦められるほど、俺は薄情じゃない。そのうえ、護る対象は五十鈴なのだ。五十鈴すら見捨てておめおめと逃げ帰ったとあらば、あの世のみんなに合わせる顔が無い。
だから。
「怜!?」
絞った声で叫んだ真弓の声を背に、倉庫の屋根から飛び降りる。痺れるような衝撃は黙殺して、風圧でめくれ上がったフードが視界の上半分を覆ったのすら意識の外へ。
蛇が鎌首をもたげる光景を視界の端で捕らえながら、へたり込む五十鈴を体当たりじみた動作で抱きすくめ、勢いのまま前方に跳ぶ。
五十鈴を庇って右半身から着地し、そのまま地面を滑る。摩擦により服と、その下の皮膚がずたずたになるが、その心配は後でいい。痛みも、怯みも、後で背負う。今は、そんなこと言っていられない。言っていい場面じゃない。
爆発とは違う衝撃に疑問を感じてか、はたまた自分が無傷であることに気づいてか、五十鈴が俺の腕の中でゆっくりと目を開ける。
――――至近距離で、目が合った。
記憶よりも随分と大人びて、綺麗になったその顔から無理やり目を逸らし、そっと地面に下ろす。
男二人は真弓の放つ弾丸の出所を探ろうと、必死に周囲を見回している。夏樹は突如現れた真っ黒いフードの男、つまり俺を警戒しているのか動いていない。
そういえば、接触厳禁を言い渡されていたんだった。これは、後で叱られるかもしれないな。
そんな能天気な思考をふるい落とし、目の前の敵に集中する。真弓の弾丸は惜しいところを撃ってはいるが、さすがにこの距離、拳銃では辛いのだろう。牽制以上の役割は果たしていない。
だから、俺が。
大きく深呼吸する。後背、下方向からの視線には気づかないふりをして、男たちを見据えた。怪我の無い方、左手の指を二本伸ばして、まずは手前、坊主頭を狙う。右肩の辺りまで左手を引き付け、重力に従うようにして左腰まで振り抜く。
坊主頭が崩れ落ち、鮮血の染みがアスファルトに広がっていく。驚愕した髭面がこちらを捕捉するとほぼ同時に、振りぬいた左腕を、今度は肩の高さで真横に振った。
二人が完全に動きを止め、地面に突っ伏したのを確認してから、駆け出す。来た時とは逆方向、五十鈴から離れるように。
終始付きまとっていた視線から逃げるように、地面を蹴る足に力を込める。街灯を斜めに蹴り、壁を数歩駆け上る。懸垂の要領で屋根に体を引き上げ――――――名残惜しむように、一度振り返った。
自分を庇い、発火者と水素操作者の二人をあっけなく倒したその人物に、五十鈴は見覚えがあった。
真っ黒でぶかぶかなパーカーも、フードを目深に被り、顔を隠したその姿も目にしたことは無い。けれど、一瞬だけ絡まった視線も、その奥の瞳も。何より、男たちを字義通り瞬殺したあの能力を、五十鈴は誰よりも知っている。
驚愕するほど身軽な動きで屋根に上った人影が、一度だけ振り替える。
不意に、風が吹いた。
それは別段強くはなかったが、人影のフードを払うには十分足る勢いを孕んでいた。顔とフードの隙間から入り込んだ風が、帆のようにフードを広げ、肩甲骨の間へと押しやる。
再び、五十鈴と人影の目が合った。
薄い茶色の上から赤を塗りたくったような、くすんだ赤色の髪。赤より紅い、鮮紅の瞳。達観したような、どこか吹っ切れた瞳は、四年前のあの日に見せた目と同じだ。少しだけ大人びて、すこしだけ柔らかくなった表情は、五十鈴の記憶にはないものだが。それでも、直感よりも無意識下で、理解する。
――――――怜
あれは、紛れもなく、五十鈴の兄であり、保護者であり、幼馴染の、青年。
ふい、と怜が体ごと顔を背け、傍らで待機していたポニーテールの女性と共に暗闇に溶ける。
「東雲、平気か?」
ぼんやりと、怜たちが消えた方向を眺めていた五十鈴に、頭上から声がかかった。
「あ、は、はい」
慌てて反応し、差し出された手を借りて立ち上がる。体中に絡み付いた埃、瓦礫、微量の血液。そんなものを見下ろして顔を顰めてから、五十鈴は周囲を見回した。
永汰は無事らしく、絶え間なく咳をしながら座り込んでいる。春子と協次郎は、下手に動かすと危ないからか、そのままだ。
視線を夏樹に戻す。その視線を正面から受け止めた夏樹は、いつも通りの無表情で淡々と話し始めた。
「湯川も金子も、まだ息はある。今救急車を手配したから、後十分もすれば到着するだろう。心配はいらない」
「ええ。わかりました」
あまり多くを話す気にはなれず、簡潔ないらえを返す。
それを受けて、夏樹ががばりと頭を下げた。
「すまない。こちらの落ち度だ。相手側の戦力を見誤っていた。危険な目にあわせて済まない」
殊勝な声音で紡がれる謝罪は聞くに堪えない。危険だったのは五十鈴よりも、むしろ夏樹や永汰の方であり、怪我の度合いで言えば五十鈴は擦り傷や切り傷、打ち身程度、周囲と比べればほとんど無傷と言ってもいい。
「私こそ、何もできなくて」
「いや、本来ならばお前と金子は参加する必要の無いことだ。好意に甘えた挙句怪我をさせたのだから、弁明の仕様も無い」
頑ななまでに顔をあげようとしない夏樹は、それほどまでに反省しているということのだろう。
けれど、五十鈴に限ったことを言えば自分の意思で参加しているのであり、礼を言われる筋合いも謝られる筋合いもない。けれど、それを言ったところで夏樹は納得しないだろう。
「皆生きてるんです、それでいいじゃないですか」
だから、五十鈴は努めて自然見えるよう笑って、そう言った。




