警察庁異能犯罪対策特務課
スーツ姿の大人が行き来する廊下を、先導されているとはいえ俺たちが歩くのはどうにも場違いに思えて仕方がない。今まで極力目立つような行為は避けてきたために、久し振りに突き刺さる視線を必要以上に気にしているようだ。それは五十鈴も同じなのか、俺の左手を掴んで離そうとしない。俺とて離したくはないが。
「……ここで少し待っていてください」
案内されたのは、円形の机が一つ鎮座する、会議室のような部屋。さっさと出て行った案内人に心細さを感じながらも、入口から近い椅子に腰掛ける。雰囲気に呑まれて無意識に背筋が伸びる自分に苦笑が漏れた。ここまで緊張しやすい人間だったのだろうか。
現在俺たちがいるのは、警視庁。引ったくりを捕まえた功績を讃えて賞状や金一封をくれるとかくれないとかで、昨日電話がかかってきたのだ。俺としては断りたかったが、警察に呼ばれてはそうもいかない。それくらいならばと承諾し、今日約束の時間に出向いてきたというわけだが。どうも、引っかかる事がある。
腑に落ちないのは一点だけ。それは、何故五十鈴が呼ばれたのかということだ。
あの時、五十鈴は傍から見れば右手を突き出していただけだ。男が停止し、生まれた隙を突かれて捕まったこととの因果関係は証明されない。その確信があったからこそ、俺は五十鈴の意思を尊重してあの場の動きを決めた。もし、五十鈴が超常現象を操って関与したとなれば輪切りでホルマリン漬けでは済まないだろう。そんな危険は冒せない。
だから、呼ばれるのは直接引ったくりを捕まえた俺だけのはずなのだ。なのに、かかってきた電話は五十鈴も呼んだ。まさか、ばれたのか?
そんなはずはないと頭を振る。現在この力について報じられてはいない。まず、根本からして騒ぎたてたメディアはないのだ。ネット上でさえ、そんな話は微塵にも出ていない。ならば、その可能性は低いだろう。
ほっと安堵したのも束の間、俺の背後に位置する入口が開いた。何の前触れもなく、二人の大人が入ってくる。
一人は、全身から威圧感を醸し出す男性。もう一人は、ショートヘアで柔和な雰囲気の女性だ。どちらも黒いスーツ。男性の二歩後ろを女性が歩いている事を見るに、男性が上司か。
二人は俺たちの正面に位置する椅子へ腰掛け、真っ直ぐに俺たちを見つめてくる。その目は、感謝など微塵も感じていなさそうだった。
「……柊怜さんと、東雲五十鈴さんですね?」
女性が口を開いた。男性の方は、間断なく俺と五十鈴を見つめている。どうやら、口を開く気は無さそうだ。こちらとしても、あまり話をしたい相手ではない。
俺たちの微かな首肯を見て取った女性は、そのまま言葉を継いだ。
「こちらが九条夏樹、私が湯川春子といいます。まずは、柊さん。犯人逮捕へのご協力、ありがとうございました」
言葉と共に机上をスライドしてきたのは、一般的な賞状と、お年玉なんかが入っていそうな封筒。これだけを受け取るために俺たちはここまで出向いたのか。なんとも腑に落ちないな。もしかして、ありうるのか?
「ここからが本題です。東雲さん、あなたは『球体保有者』ですね?」
スフィアキャリア?何だそれは。そう疑問符を浮かべる一方、俺はどこかで悟っていた。この人たちは、俺たちの秘密を知っていると。
それを億尾にも出さず、突然投げつけられた単語にきょとんとしていると、すぐさま湯川と名乗った女性から補足が入る。
「球体保有者とは、体内に宇宙から落下してきた球体を宿した人間の事です。心当たりがあるのではありませんか?半年ほど前、地球に接近した天体から落下してきたと推測されていますが」
心当たりも何も、そのときの記憶もちゃんとある。ここで嘘をつくのは得策ではないだろう。能力があると分かれば、あまり露骨に動けはしないだろうし。が、俺が口を出すのもおかしな話。こちらを窺う五十鈴に軽く頷いた他は、黙っていることにしよう。
五十鈴の肯定に笑みを零した湯川さんは、嬉しげに話を続ける。それは、俺としては断固として反対したいものだった。
「やはりそうでしたか。単刀直入に言います、その力、私たちに貸してはくれないでしょうか?」
「……どういう、ことですか?」
「はい、私たちは、警察庁異能犯罪対策特務課の者です。九条が課長、私が補佐ということになっています。そこで、その捜査、及び犯人逮捕に協力してくれないでしょうか?具体的には、私たちと共に捜査をし、犯人が暴れた場合は取り押さえるというものですが」
ぐらりと視界が揺れる。それは、俺が、俺たちが避け続けてきた危険に真っ向から挑むという事じゃないか。そんなことは、させられない。
「もちろん、安全面には最善を尽くしますし、少ないですが謝礼も払います。……どうでしょう、やってはもらえないでしょうか?」
黙って席を立つ。賞状と封筒は一応持って、五十鈴を立たせた。
「申し訳ないですが、五十鈴にそんなことはさせられません。賞状とか、ありがとうございました」
「……我々は、東雲さんに話をしているのだが。部外者は黙っていてもらえないか」
人の神経を逆なでするような言い回しと、耳慣れない声。何かと思えば、何とか課の課長だとかいう、九条と紹介された男性だった。初めて聞く声に、反応が数瞬遅れてしまう。
「……俺が部外者だったら、世の中に五十鈴の関係者はいないんじゃないですかね」
「そんな事は言っていない。この話に関しては東雲さんの意思を聞いている」
「……私は、怜と一緒なら」
それは。どうも、頭が痛くなってきた。物理的にも、精神的にも。その気持ちは分からなくはないが、俺がいたって犯罪者しかも能力持ちから五十鈴を守りきれるとは思えないのだけど。まあ、安心感が違うか。だとしても、俺は賛成できないが。
「保有者で無い者に参加を要請する事は出来ない。交渉は決裂だな」
「ええ、そういうことにしておきましょう」
残念そうに挨拶する湯川さんに会釈して、部屋を出る。帰り道はなんとなく分かるから、先導無しでも迷う心配はないだろう。
しかし、九条さんは「保有者じゃないなら参加できない」といった。なら、あの二人も能力者ということになる。湯川さんの言葉を借りるなら、球体保有者。
どんな能力なのか、少し好奇心がくすぐられるのを感じ、すぐに頭を振った。
「……怜、どうして言わなかったの?」
「言えば、お前も俺も参加決定になるだろ。お前を危険に晒せない。それだけを考えて今まで生きてきたんだから」
「……分かった」
少々残念そうな五十鈴に罪悪感を覚えながら、手を引いて警視庁を出る。詰めていた息を吐き出すと、今までの不安も反感も興味すら、漣のように消えていった。