球体保有者登録法
昨日までとは違う、ふかふかとした寝心地に疑問を感じて、五十鈴は目を開けた。
途端、真っ白い天井が五十鈴の目を刺す。何度か瞬きを繰り返して目を鳴らしてから、上半身を起こした。
五十鈴が寝かされていたのは、簡易ベッド。周囲には同じ様なものが数台並べられていて、ここがどこなのか、言葉よりも雄弁に物語っていた。
――――私は、殴られて、それで……
自分の辿った今までの経緯を思い出し、ベッドから降りる。少しふらつくが、問題ないだろう。
「あ、ダメだよ、まだ寝てないと」
傍机を支えに一歩踏み出した五十鈴を制止したのは、扉から入ってきた杏だった。
「杏ちゃん……」
安堵と不安によって、反射的に涙が込み上げる。それを必死に押し殺して、問うべき言葉を発する。
「怜は、怜はどこ?」
杏の沈痛な面持ちに、五十鈴は視界が歪むのを感じた。
「怜クンは、まだ見つかってないんだ」
ふらついた五十鈴を支えてベッドに寝かせた杏は、意を決したように口を開く。それを聞いて遠くなる意識を持ち直して、次なる問いを投げた。
「私は、どうなったの?」
「怜クンが、一人でゾディアックたちのところに突っ込んだんだよ。そこで五十鈴ちゃんを見つけて、怒りと憎悪に我を忘れた。そして、能力を暴走させたんだ。ボクたちの能力はね、負の感情に囚われすぎると、暴走するみたいなんだって。暴走すると能力が大幅に強化されるけど、反対に自分が最後に強く思った事を成し遂げるまで止まらないし、自分の意思で制御することは叶わなくなる」
杏が言わんとする事を察し、五十鈴は目を伏せた。
「だからね、怜クンはゾディアックと、その用心棒四十人を微塵切りにして殺した。しかも廃工場の周辺、半径二百メートル範囲内の建物はすべて瓦礫になっちゃった。奇跡的に、五十鈴ちゃんと、これだけが無事」
杏が差し出したのは、携帯電話だった。一般的な形状の、黄緑色のスマートフォン。
「それはね、ゾディアックが持ってた瀬上有紗さんの携帯なんだ。五十鈴ちゃんが持ってて。怜クンに会えたら、渡して」
携帯電話の向こうに、二度、会っただけの有紗の面影を見た気がして、五十鈴は慎重にそれを胸に抱えた。
「じゃあ、立てるみたいだし、ご飯とか食べよっか。何か、重要な会見が始まるっていってたんだ」
「重要な会見?」
「うん。新しい法律が提案されるんだってさ」
杏に先導されて廊下を進むに連れて、ここがラボだったことを知る。けれど、杏が言った事の方が心配だった。
新しい法律。
なんだか、嫌な予感がしている。
ラウンジに出ると、夏樹たちエスパー課の六人と啓二が、そろってテレビを見ている最中だった。テレビからは、五十鈴もよく見るニュースの音が流れ出している。
「始まっちゃった?」
「いえ、まだよ。これから。五十鈴さん、体調はどう?」
「大丈夫。けど、ちょっとお腹が空いた」
「峰博士、何か食べ物は?」
「生憎インスタント麺しかないんだよ。一日何も食べていないなら、身体に悪い」
「あ、ボクが何か作るよ」
「作れるかい?とはいえ、簡単なものしかないんだけど」
「そっか、じゃあ、五十鈴ちゃん、会見のテレビが終わるまで待てる?」
自分の空腹具合を考え、こくんと首を縦に振る。
「じゃあ、それからにしよっか」
「始まったぞ」
画面の右端で、LIVEの文字が躍っている。画面に映っているのは、現在の首相だった。
演台に立った首相が、厳かな表情で語り始める。
『えー、我々は、半年前に地球に接近した天体から落下してきた、直径数センチほどの球体を体内に吸収した人が、人間の域を超えた力を発現させていることを発見しました。我々は球体の事を『スフィア』、球体を吸収した人間の事を『スフィア・キャリア』、つまり球体保有者と呼称し、研究を進めています。その過程で、球体の発する特殊な電磁波が人間の脳に影響を与え、このような超能力を目覚めさせた事が分かっています……』
「さもこの間始めたかのような口ぶりだね。しかも研究しているのは僕一人だ」
「結局は自分たちの手柄ってことだろ。とんだピエロだ」
バカにするような口調の中に悔しさを滲ませた啓二の言葉を、永汰が揶揄する。
「真面目に見ろ。今後に関わる」
凍りついたような声音で窘めた夏樹と、その傍らに立つ春子が全員の視線をテレビへと戻させる。
『……また、現在未知数である球体保有者の人数と能力を正確に把握するため、球体保有者登録法を閣議決定しました。これは……』
「球体保有者登録法かい。上手い名前をつけたね。人外能力者管理法とでもした方がいいんじゃないかい?」
「……露骨な事を言えば人権団体が反発するのは目に見えているからだろう」
遂に、夏樹も興味を失ったらしい。啓二が放つ、随分遠いところからの野次に真っ当な返事を返している。
「春子さん、この登録ってどうするのさ?」
唐突に、今まで興味なさげに足をぶらぶらさせていた杏が放った問いは、五十鈴の内心を代弁するものだった。よく知らない単語に、不安が募る。
「簡単に言えば、序列の決定と、危険な能力を持つ者の把握、監視よ」
「序列?」
「ええ。能力を『攻撃主体型』『防御主体型』『支援主体型』の三つに分類して、それぞれ『アサルトランク』『ガードランク』『サポートランク』の三つの内、ランクワンからランクセブンまで、つまり一から七までのランクに、強さに応じて割り振るの。そうすることで、高ランクの保有者には、カウンセリングや監視、エスパー課への参加要請なんかがいくことになるわ。低ランクでも、例えば公共事業への参加願いとかが行くこともあるのかしらね」
春子の説明に、ラウンジで好き勝手話していたはずの全員が聞き入っていた。そして、おもむろに夏樹が口を開く。
「建前上はそういうことだ」
どこか含みのあるその言い方に、最初に反応したのは永汰だった。
「ってことは、本音があるんだな?」
「ああ。保有者の能力が、全員が危険度の低いもの、例えば杉下や東雲のような能力であれば政府は世論が反発する危険性がある法律を新しく作ってまで、動きはしなかっただろうな」
そこで、啓二、永汰、協次郎は我が意を得たりと頷いた。
が、五十鈴と杏は理解できず、無言で首を捻る。
それに助け舟を出したのは、協次郎だった。
「つまり、柊さんとか、課長とかみたいな能力を持つ人間がいる事を知っておいて、その危険性をしっかり把握しておきたいってことだよ。特に、柊さんレベルのものを。じゃ無いと、例えばいきなり現れて国会議事堂を輪切りにされたりしたら、大変だから」
「そういうことだ。警察が犯罪者予備軍をマークするのと同じ。将来反抗する兆候があるのなら早急に手立てを打つべきで、それでなくてももし犯罪が起こったときに手がかりとなる情報をできる限り集めて起きたい。そんなところだ」
協次郎と夏樹が語ったのは、世論に媚を売り、保身を図る大人たちの汚い裏側だった。もちろん、将来予想される事態に対して対処するのは褒められた事だが、球体に選ばれただけの人間のプライバシーを既存の法律すれすれまで侵害してまですることかと言えば、返事はいいえだろう。
とはいえ、五十鈴は今、それについて議論を交わすほどの余裕を持ち合わせていなかった。
「……杏ちゃん……」
「ん?どしたの?」
「ごはん、食べたい。買い物手伝って……」
五十鈴の悲痛な訴えを聞いて、その場にいた全員が顔を見合わせた。
「じゃあ、朝飯にすっか!」
「そうだねー。じゃあ、パンとご飯どっちがいい?」
「米を」「パンだな」「私はご飯が」「パンでお願いします」「……ご飯」「僕はパンかな」
照明が絞られた会議室。そこで、数人の男が向かい合っていた。
「……しかし、公にやったのではマズイでしょう」
「ですな。保有者への悪印象が後押しされてしまうかと」
「では、秘密裏に?」
「警察関係者、それも私服警官レベルまでが限界かと」
「しかし、それでは捕まらないのでは?」
「いいのです。犯人はいまだ逃走中、ということで。あの周囲に人はいなかったのですから、少々辻褄が合わないくらいで、何も変わらないでしょう」
「して、少年は?」
「今、フォースの方で身柄を預かっています。加入すれば、深追いはしません」
「よかろう。あれらなら問題ない」
「では、その様に」
唐突に、照明が落ちた。




