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日常の終わり

 「……あ、買い物行かないと。ちょっと行ってくるね」

台所へと向かった五十鈴が、唐突に声を上げる。ここから買い物に行くとしたら近くのスーパーか。あの辺は結構危険なんだよな。変質者とか、引ったくりとか。五十鈴一人に行かせるわけにも行くまい。

「あ、俺も行く。五十鈴一人だと危ないから」

 座っていた椅子から腰を上げ、玄関に向かう。すぐに、外出の支度を整えた五十鈴が後に続いた。

 住宅街特有の入り組んだ路地を抜けて、夕暮れに看板が輝くスーパーを視界に捉える。今日は何かあるのか、店内には結構な人がひしめいている。これは、あまり歓迎できない状態だな。人混みは苦手だ。

「……買うものはどれなんだ?」

「えっと、今日は魚にしようと思ってるから、その辺だね」

広告の商品に彩られた入口を潜り、五十鈴の後ろについて店内を回る。どれを買うとかどんな料理にするとかはほとんどすべて五十鈴に任せているので、俺はただ、五十鈴の後ろについて荷物持ちを担うだけだ。後は、危険の排除だな。まあ、そんな危険に出くわした事はないが、用心に越した事はない。

 生臭さの漂う魚売り場を巡り、野菜をいくつか買い込む。やる気の無さそうな店員が立つレジを通って、店の外に出た。

 荷物は俺が持ち、空いた左手は五十鈴の右手と繋がっている。俺が高校生になり、五十鈴が中三になってもなお、これをやめようとは思わない。幼い頃からの習慣であり、安心を得るための本能なのだから、それをやめるほどの精神力はないというべきか。

 来た道を引き返そうと一歩踏み出した俺たちの背に、声が掛けられた。

「あれ、ジャック君じゃない?」

あだ名に君付けと言う、よく分からない呼び方で俺を呼ぶのは一人しかいない。そして、学校でも毎日聞くこの声は、振り向かなくても誰だか判る。同級生で、隣席の女子生徒。名前は瀬上有紗だ。家が近いとは聞いていたが、こんなところで会うのは初めてだな。やはり今日はこのスーパーに何かあるのか。

「おう、瀬上か。奇遇だな」

「そうだね。私、あんまりこっち方面には来ないから」

「今日は何かあったのか?」

「ここのスーパーが特売だからって、お母さんに行って来いって言われて」

なるほど、やっぱりか。道理で人が多いわけだ。

 会話を弾ませる俺たちに除け者にされたのが気に食わないのか、五十鈴が左手で俺の袖口を軽く引く。それに気づいた瀬上が、口よりも態度で表した五十鈴が気になるのか、視線を斜め下に下げた。しかし、視線を向けられた五十鈴はといえば、草むらに逃げ込むウサギのような俊敏さで俺の後ろに隠れてしまう。人見知りといえば聞こえは良いが、要は臆病なのだ。四年前までは俺もそうだったのだから、人のことは言えないが。

「その子は、妹さん?」

「あ、いや。幼馴染なんだよ。一つ下で、昔から知ってるんだ。前に話しただろ」

「あ、その子がそうなの?……こんにちは、瀬上有紗です。ジャック君とは席が隣で、仲良くさせてもらってます」

俺との会話や自己紹介の様子から、悪い人では無いと判断できたのだろう。恐る恐るといった様子で俺の後ろから顔を出し、言葉を発する。

「……東雲五十鈴、です」

「そっか。東雲さんか。よろしくね。……それで、二人は付き合ってるの?」

……はい?

 何かと思えば、繋がれた手を見ての質問だった。それはまあ、俺は高校生だし、五十鈴も手を引いてもらうような年ではない。そう思うのも当然か。しかし、これには海より深いわけがあるのだ。それを一から説明する気も無いが。あまり思い出したり他人に吹聴するようなものじゃない。

 どうごまかしたものかと視線をめぐらせていると、突如、

「キャァー!」

絹を裂くような悲鳴が上がった。

 それは俺たちの立つ空間全域に幅広く広がり、周辺の人間すべての視線を集める。その先には、明らかに不審者の服装をした男が、女性から鞄をひったくって走ってくる光景が広がっていた。つまりひったくりだ。この辺はこういうのが多いらしいが、目の前で行われるのは初めてだな。しかしこれは、どうすべきなのだろうか。

 男はと言うと、俺たちのいる方向に向けて全力で走ってくる。こっちは人通りの多い大通りだが、どうするつもりなんだ。……いや、待てよ。俺たちのいるスーパーの入口付近と男との間には、路地への曲がり角がある。そっちへ行けば入り組んだ路地が広がるため、正義感溢れる人間が追ってきても易々と撒くことが可能だ。つまり、男はそれを狙っているわけか。周囲の人間は唖然としているか見てみぬふりかの二択、逃げ切るのは簡単だろう。そして、考えている間にも男は路地に近づいている。しかし、ここで俺が下手に動けば五十鈴に危険が迫る可能性も……

 少々の危惧と迷いに導かれて五十鈴へと視線を下ろせば、こちらの考えを窺うような瞳と目が合った。どうやら、五十鈴はその気みたいだ。俺を見上げ、小さく頷く。

 なら、話は簡単だ。

「五十鈴、止められるか?」

繋いでいた手を解き、五十鈴に確認を取る。興味本位で行った実験では、これの二倍以上の距離まで可能だったからその点は心配ないが、五十鈴の精神状態に関しては俺が完璧に把握するのは難しい。が、そんな心配はどこ吹く風、五十鈴は男を真っ直ぐに見据えている。そして、おもむろに右の掌を、まるでそれを使って照準を合わせるように男へと向けた。それぞれ広げられた五指が男を捉え、五十鈴が一度大きく息を吐く。そして――――五十鈴の目が、紅く染まった。

 それと同時に、男の動きが停止する。まるで映像を一時停止させたかのように不自然な制止の仕方。それもそのはず、現在男の動きは五十鈴が強制的に停止させているのだ。とはいえ、それもあまり長くは持たない。確か、三十秒くらいだったか。

 その間に男を取り押さえるべく、百メートルほどの距離を全力で駆け抜ける。驚愕と恐怖に彩られたその表情を一瞥してから、後ろから抱きついて両腕を掴んだ。

「五十鈴、もういいぞ」

途端、硬直していた両腕が激しく動き、俺を振りほどこうとめちゃめちゃに振り回される。それを渾身の力で抑えながら、誰かが呼んでいたのか、赤いランプを回して駆けつける警察官に叫んだ。

「こいつです!」

 いつの間にか、男の両手にこもっていた力は跡形もなく消えていた。

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