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はたちで始まる亜美ニズム

作者: 上坂

 小さな頃は、何にでも魂が宿っているとそれこそ本気で信じていた。晴れの日は空の機嫌が良い、曇りは不機嫌、雨は何か悲しい事があったと思っていた。花は笑って咲き乱れ、鳥は空を飛んで楽しいから鳴く。風が吹けば風という存在がどこかへお散歩に行っているのだ、と。それは自然だけにおさまらず、ぬいぐるみに調理器具といった日用雑貨にまで派生されていった。

 大の大人がそれをすれば、狂人扱いされること間違いなしなのだが、何せ当時は幼児期真っ只中。急成長中とは言えど、まだまだ未発達な年頃だったこの時期、ほとんどの子どもが持つ考えなのだ。


 そんな考えも成長とともに薄れ、今年で亜美(あみ)はその大の大人である二十歳を迎える。物事の考え方はすっかり現実的なものになり、理想はあれどそこにファンタジーな考えは少したりとも含まれちゃいない。そう、少しもだ。そして自分は大人なのだ。


「だからこれは幻なのよ。環境が変わったから多分疲れているんだわ」

「まあ、グダグダ考えず外行こうぜ。婆ちゃんは毎日俺を被って散歩行ってたけど、おめぇさっきから全然外出ねぇし暇」

「おい、そうしたら貴様が帰って来るまで私が消されてしまうではないか」

「君は待機電力とかいうのがあるから結局大丈夫でしょ。ねぇ、お嬢ちゃん。もう少しお茶足さない? 飲みきられたら俺消えちゃう」

「全く、節操のない奴等ね。ところ亜美ちゃん、そろそろ雑草抜きよろしくね」

「すいません、今考えているんでホント黙っていて下さい」


 居間のちゃぶ台で亜美は盛大に頭を抱えた。いつもは耳を傾けるテレビの音も今は遠い。賑やかに好き勝手話す大人が四人もいるのだから当たり前だ。今は亡き前家主が、毎日賑やかで楽しいわよ、と電話口で朗らかに言った言葉の意味を亜美はやっと理解した。


 先日から亜美が住み始めたこの家は、元々祖母が住んでいたものだ。祖父は亜美が生まれる前に事故で亡くなり、祖母も先日老衰で享年95歳と大往生した。本来、その後は家具を片付け、盆や命日に掃除をするだけの主無き家になる筈だった。しかし、祖母の名残が朽ちていく姿を見ていかなければならないことを考えると辛く、両親や親戚と話し合った結果、亜美が暮らすという形で再びこの家は主を得た。

 専門学校へは実家からの電車を利用しての通学だったが、こちらの家の方が田舎とはいえ、バイクに乗れば駅まではさほど遠くない。卒業後のことを考えると一人暮らしの練習にもなる。そのうえ、近所にも幼い頃から可愛がってくれた祖母の知人達やその娘・息子夫婦も住んでおり困っても気軽に頼ることができる。母からの提案に自立の必要性を考えていた亜美が飛びつかない訳がなかった。


 異変に気付き始めたのは住み始めたその日の夜からだ。妙に視線を感じるのだ。振り返ってもあるのは祖母の形見の一つとしてそのまま壁に掛けられた麦わら帽子。かと思えば、今度は台所から。もちろん誰かいる筈もなく、冷蔵庫と元栓を閉めたガスコンロがあるだけだ。

 もしかしていわくつきなのか、と初めのうちはおっかなびっくりに過ごしていたが、いかんせん悪意を感じない。世間一般でいう「霊感」というものがない亜美が言い切るのも変な話であるが、実際にそう感じる以上、次第にそんな生活にも慣れていった。


 そして、事件は住み始めて一ヶ月が経とうというときに起きる。その日は課題も何もない久々にゆっくりとした土曜日の朝のことだった。





 ――……い


 眠気で微睡む意識の中に聞き覚えのない声が入り込む。鐘の音のように響く声は金縛りの際の幻聴のようだ。


「ん……む、うるさぁい……」


 休みの日くらい寝たい。その欲求に従い、亜美は布団で体を巻き包むように大きく寝返りをうった。


 ――い


 次いで体を揺さぶられる。いい加減にしてくれ。いくらまだ扶養されている立場とは言え、高校を卒業した身なのだ。時間が来たら自力で起きることぐらいはできる。

 寝惚けた頭でそこまで考えた時、あれ、と亜美は自身の勘違いに気が付いた。今、一人暮らしをしているのにこの家に第三者がいるのはおかしくないか。そもそも母親は今日は友人と遊びに行くと昨晩電話で自慢していたではないか。


 まさか、泥棒?


 眠気は吹き飛び、一気に血の気が引く。下手に起きると殺されるかもしれない。そう思い立った亜美は体の震えを抑えつけて、寝たふりをした。その時だ。


「おい、早く外行こうぜ! いい加減暇なんだよ! 暇暇暇暇! 起きろぉ!」


 布団を掴まれ、勢いよく引き剥がされる。反射でそちらを見れば、そこには快活そうな青年がいた。


「い、」

「暇!」

「きゃああああ!!」

「うるせ……!  っぶ!?」


 顔面にそば枕を叩きつけ、這って距離をとる。人間、驚きすぎると腰が抜けるというのは本当らしい。警察に連絡するために携帯はどこだ、と辺りを見回すがなかなか見つけられない。


「ってぇ……。おめぇなあ、婆ちゃんから物は投げちゃいけません、って習わなかったのか?」

「ひっ!!」


 何のダメージもなく、立ち上がった青年に亜美は悲鳴を上げた。このままでは殺されてしまうかもしれない。しかし、恐怖で体は動かない。武器になるものは、と手と視線が辺りをさ迷うが残念ながら手は空を切るばかりだ。

 もう駄目だ。死を覚悟して、亜美は瞼をぎゅ、と閉じた。


「……なーにしてんだおめぇ?」

「え……?」


 しばらく、といっても体感で10秒程度であるが不審者は何も行動を起こさない。それどころか、惚けきったその声色に思わず亜美も目を開けて間抜けな声を出した。

 目の前には首をかしげ、きょとんとした様子の青年。カジュアルなポロシャツと半ズボンに首へ麦わら帽子を下げた姿は、明らかに空き巣や強盗向きでなかった。


「ど、どなたですか?」

「いや、だから暇!  散歩行こうぜ、散歩!  婆ちゃんいなくなってから俺、ずうっと壁にかけられっ放しだから体が凝ってしょうがねぇんだよ」


 何を言っているんだこの男は。亜美自身、パニックを起こしている状況にあるが、それにしても青年の話はおかしかった。まるで、祖母と知り合いであるような発言だ。町内有数の過疎と高齢化率の高さを誇るこの地区では若者は大変目立つ。だが、見かけたという記憶は出てこない。


「……ひとまず、お茶飲ませて下さい……。寝起きで喉渇いたんで……」

「おう、いいぞ!  ダッスイには注意しなきゃいけねぇって婆ちゃんも言ってたしな」

「はあ……」


 やはりだ。二言目には『婆ちゃん』。それが亜美に引っかかった。警察に通報した方がいいのかと思う反面、祖母との関係が気になる。

 注意は謎の青年に向けたまま、亜美は土間の台所へとよたよたと茶の準備に向かった。湯飲みにポットの湯を入れ、その間に急須と茶葉を準備する。茶筒を開けると一回分の量もない茶葉が亜美の目に入った。

 切れたのか、ツイてない。あの不審者といい散々だ。はあ、とひとつの溜め息と一緒に肩を落とす。


「え……っと、袋は……」

「そこの床下。小さい方は去年の古茶で開けてないのはこの前のゴールデンウィークに摘んだやつね」

「そんなん分かっていますよ」

「ありゃ、余計なお節介だった?」

「いや、親切は……ん?」


 今、誰と話した。先ほどの青年とは全く違う声に亜美はブリキの玩具のようにゆっくりと視線を向けた。


「や、初めまして」

「……増えた……」


 勘弁してくれ。亜美はその場で膝から崩れ落ちそうになった。意地でも耐えるが。本当に訳が分からない。半分現実逃避のつもりで茶を淹れることをあの青年に申し出たのだが、それ自体が現実逃避したいことになってしまった。

 すっかり固まってしまった亜美に男は、「早くしないと湯飲みの湯、冷めすぎちゃうよ」と湯飲みを指先でチンと軽く弾いた。


 30代後半だろうか。渋めの面をしてベストを着こなす男がナイトバーでそれをやれば、相手の女はイチコロだろう。しかし、ここはしがない田舎の日本家屋にある土間である。しかも男は不審者2号。それを死んだような目で少し見つめた後、亜美は作業に再び取りかかった。


「あ、お茶だけど、見た感じ帽子くんのも準備してあげてるみたいだし、五つ準備すると後の手間かかんないよ」

「五つ……?」

「うん、お嬢ちゃんでしょ。んで、帽子くん、電気くん、金木犀の姐さん、俺。これで五つ」


 男の言葉に亜美は一瞬、意味が分からず座敷へ引き返して土間から部屋を覗いた。


「んもう、帽子ちゃんは我慢が効かないだからまったく」

「だってよー……、あいつ普段の昼間はいねぇし、帰って来たらテレビみるか、何か書くかして風呂入って寝るだろ?  んで、たまに家にいるかと思ったらごろごろ。暇でたまらねぇよ。あーあ、婆ちゃん帰ってこねぇかなぁ……」

「馬鹿か貴様は。(おうな)は先日召されたではないか。今はあの小娘が家主ぞ」


 増えているどころではない。気づけば亜美は自身の頬をつねっていた。頬はじわじわとつねられた温かみを持つが、現実は全く変わらない。この後、亜美は自分がどのように茶を準備したのか記憶になかった。

 そしてちゃぶ台と茶を中心に五人で囲んでいるのが現在の状況である。




「……まず、お尋ねしたいんですが、うちの祖母……鶴子さんとお知り合いということでよろしいんでしょうか。あと名前もよろしくお願いします。私はこの家に住んでいる孫の()()(ない)亜美といいます」


 ことの始まりを振り返り、事態をまとめて亜美は質問を飛ばした。男達は各々リラックスした様子で亜美を見る。万が一強盗であったにしても、こんなゆるい強盗 がいてたまるか。

 目頭を押さえて唸る亜美に麦わら帽子の青年から口を開いた。


「知り合いっつうか、婆ちゃんとはずっと一緒だからなあ。家族?  あ、俺麦わら帽子。名前は無ぇ」


 煎餅いただき、と中央に遠慮なく伸びてきた手をバシリと叩き牽制する。

 麦わら帽子だと、ふざけるな。そんな気持ちでいつもそれがある壁へと目を向ければ、何もかかっていないフックを見て、亜美は何も見なかったことにした。


「まあ、俺達の存在を作ったのはお嬢ちゃんを始めとしたこの家の人達なんだけどねぇ。俺、水ね」


 先ほど茶葉のことをわざわざ教えてくれた男だ。おじさんの領域に入りたてといった渋めの顔面は年上好きに好まれそうである。出会いは強烈であるが、イケテる面は二人とも悪くない。母譲りのミーハーがひょこりと顔を出す寸前で亜美はハッとし、頭をぶんぶんと振った。 いきなりの奇行にぎょっとした自称水を放置して、亜美は次を促した。問題はここからだ。


「……で、あなたは?」

「電気だ。特に何も」


 確かにピカピカしているけども。

 某男性アイドル事務所を通り越して、金髪碧眼をこさえた青年は完全にファンタジー映画の王子様か神様である。恐らく顔面偏差値はカウントストップしているのだが、青を基調としたサリーに似た服は築百年を越える日本家屋の居間には大変不釣り合いだった。それよりも男がサリーは一歩間違えれば不味いだろう。七分丈や短いズボンや股引きのようなものはきちんと履いているのか。非現実的な顔に亜美はとうとうおかしな所へ意識を集中した。


「このお家の顔、金木犀とはあたしよ。で、話の続きだけどそろそろ庭のお手入れよろしくね」


 アルビノ系の儚さを感じさせる唯一の同性である自称金木犀。美人だが、中性的な顔立ちにもしかして男か、と不安を抱えていた亜美はその口調に安堵する。流石に見知らぬ男にばかり囲まれるというのは精神衛生上よろしくない。


「いやあ、金木犀の姐さんとは長いけどさ。花は女性の象徴だってのに股にイチモツがあるのはやっぱり納得がいかないのよねぇ」

「え」


 股にイチモツ。自称水の言葉に反応して、亜美は思わず自称金木犀の体を見た。

 ふんわりとしたワンピースにカーディガンとレギンスという上半身の線が分かりにくい服装であるが、確かに心なしかある部分が真っ平らであるような。そこまで分析した時、亜美の両頬は万力のような圧迫を受け、顎は鈍い関節音を上げた。


「何を見ているのかしら?」


 ねえ、亜美ちゃん。女神と表現ができそうな自称金木犀の満面の笑みに亜美の脳裏に走馬灯が駆け抜けた。視界の隅には畳を血で濡らす自称水。畳の手入れ後でしなければ。生きていたらという話だが。

 私は何も見ていません、と消え入りそうな声で言えば、自称金木犀は満足したように頷き、その手を亜美の頬から話した。赤くなっているかもしれない、と思わず頬をさする。


 それにしてもだ。自称金木犀を最後にそれぞれの自己紹介は終わったわけだが、内容が理解しがたい。流行りのキラキラネームかとも考えたが、自称麦わら帽子は同年代、自称電気はやや年上、自称水は若い叔父程度、自称金木犀は謎といった外見年齢だ。


「では、冗談はこれくらいにして、申し訳ありませんが、今度は真面目にお願いします。再度になりますが、私は小山内亜美といいます」


 結論として、亜美は仕切り直すことにした。今までの可笑しな会話を日本人特有の曖昧な笑顔で誤魔化す。そんな亜美を不審者四人がポカンと見つめるが、構うものかと無理矢理頬の筋肉をつり上げた。そして、しばらく見つめたかと思えば、何故か彼らは部屋の隅に寄り、こそこそと話し始めた。


「や……り、信……じゃ……か?」

「いや、……な……も」

「……に言……れ……、ら?」

「何故……れが……だ」


 話の内容は聞こえないが、雰囲気を見る限りえらく異端に扱われている気がする。話し合いの様子に、あれ、もしかして私何かおかしな勘違いしてる? と亜美は焦ったが先ほどの会話を思い出す限り、頭がおかしいのはあちらの団体だ。そう意識し直して、不安で下がった目元に力を入れ、きりりと眉を引き上げた。


 私は普通だ。あいつらがおかしい。うむ、間違いない。自身にそう言い聞かせていると、意見がまとまったのか不思議な四人はそれぞれを見合せ頷いていた。そして、唐突に自称麦わら帽子がこちらに向き、手を真っ直ぐ挙げて立ち上がる。


「一番! 麦わら帽子行きまーす!」

「……はあ? 何言っ、……て……」


 突然の奇行に思わず亜美の素が出るが、苛つきは驚きに塗り潰される形で霧散した。

 ぽん、と軽い破裂音と共に青年が消える。そして、目の前には祖母が愛用していた麦わら帽子が現れた。


「は……」

「意味、分かった?」


 固まる亜美の顔を水が覗き込む。何の意味だ。水を見つめた後、麦わら帽子に視線を戻す。麦わら帽子だ。どこからどう見ても麦わら帽子だ。


「はは……」


 不思議と亜美は笑ってしまった。違う、笑うしかなかった。

 祖母の麦わら帽子は腕白な青年でした。黄色い救急車が愉快にサイレンを鳴らし、今にもドリフト駐車して駆けつけて来そうな一文だ。 


「……散歩、行こうか」


 亜美はおもむろに麦わら帽子を手に取り、玄関へ足を向ける。天気は爽やかな快晴だ。絶好の散歩日和だろう。


「行ってらっしゃい。途中でのど渇かない? 俺連れて行かなくて大丈夫?」

「女、気に食わんが外出するならば明かりを消せ。電気代の無駄だ」

「あ、外に出たついでに雑草抜いてくれないかしら! あと、お花達への水も頼んだわよ!」

「ひゃっほー! 散歩だー!!」

「ちょっとは現実逃避させろお!!」


 手元で活きた魚のように跳ね震える麦わら帽子を居間へ投げつけ、亜美は人生最大の叫びを上げた。

家のモデルは人口6000人弱の町の中にある人口40人弱の山頂の集落に住む私の祖母の家です。

※祖母はまだまだピチピチの90台で元気に農業しています。

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