九匹目
姉の凪は最近良く俺を色々誘いに来る。
友達等は忙しいらしく、全く掴らない、もしくは遅くなるから悪いってんで、俺が毎回駆り出されている…。
弟の俺は良いのかー?!
「…いい加減、付き合っている奴に付き合ってもらえよ…」
俺は凪の車から降りながら、運転席に居る凪に話しかけた。
今日も学校帰りに凪に捉まったんだ…。
ま、美味いメシにありつけた代わりに、今度凪の部屋の片付けを何故か手伝う約束をさせられたんだけどな…。
「…もう、付き合ってないよ」
硬質な鋭い凪の声が俺に返ってきた。
「…凪?」
「もう、アイツとは別れたの…!」
「………」
「だから、付き合ってよ…。拓海」
「…凪………」
「今度、部屋に来て」
「……分った…」
…そういう訳。
要するに、元彼の荷物を出す、ってことだろ?
ついでにあるか分らないが、もめた時の身の安全確保…か?
俺はボディーガードかよ。
ま、別に良いけどさ。
「じゃ、またな」
「うん、またね、拓海」
さて、凪も帰ったし、俺も帰るか。
ま、送ってもらったから、直ぐ目の前が家なんだけどな。
あー車は便利だね。
―…そんな水瀬姉弟の会話を物陰から静かに聞いている者達が居た。
それは、ちび猫番長こと、亜紀と彼女の舎弟の二人であった。
「………………」
「水瀬の兄貴と話している、あの美人のねーちゃん…誰っスかね?」
「亜紀?…顔、やけに青いぞ?」
「…そ、そうかな?は、ははッ…はは…はぁ…」
間宮に言われ、亜紀は無理に声を出そうとして、結局沈んだ声しか出せずにいた。
そんな遣り取りをしていた時、間宮の後ろから他の人物が声を出してきた。
「わぁ?!!亜紀さん、顔色が青を通り越して、真っ白ですよ!!」
「政、うっせぇぞ。声、でけぇし…。水瀬と近い位置に居るんだから、少し小声で喋れ…」
間宮は自分の後ろから声を出してきた"政"こと、"政行"をたしなめた。
間宮に言われ、政行はそのまま黙って一歩後方へ下がって、二人の遣り取りを見出した。
「亜紀」
「望…」
「…そんな顔、すんなよ。今の弱々しい顔を他の奴等が見たらどうするんだよ…確実につけ入られるぞ…お前、頭だろ…」
「だって…水瀬が…あの人との会話からいくと…やだ…。…やだ…」
少し駄々っ子の様に頭を抱えて亜紀は間宮の前で頭を左右に振った。
この時、全員が水瀬に対して背を向けていた。
そう、誰も水瀬が近づいてきた事に気が付かないでいたのだ…。
―…何だ?あの塊は…って、ちび猫番長と間宮と…えーと?他一名は何か見た事ある気がするけど…、誰だ?ま、舎弟の一人だろ。
しかもこんな時間でこんな所に居るなんて、珍しいな?
だって、俺んちの近くだぞ。
「…お前等、こんな所で何やってんだ?」
「!!」
「…水瀬…」
俺は建物の影に不自然に居るちび猫番長と舎弟の間宮と他一名に声を掛けた。
3人して何だ…その驚いた表情は…。
…ああ、鯛焼きか?ちび猫番長はウチの鯛焼き屋の餡子が恋しくなったのかもしれないな!
だって、餡子好きだもんな?
ちなみに祖父の鯛焼き屋と俺の家は二軒しか離れていない。とても近いんだ。
「…もしかして、日曜日以外に珍しく鯛焼き買いに来たのか?この時間は…ま、ギリで開いてるぞ」
「………」
「高尾?」
俯いたままで居るちび猫番長を、俺は少し前かがみで覗き見た。
少し横を見ていたちび猫番長の瞳と視線が合わさる。
すると、眉を吊り上げて、じわっと頬が染まっていく様が見て取れた。怒っているのか?
「…違う…。鯛焼きじゃない!ちょっと用事が…だから、み、水瀬に…あいに…!!」
「…え?俺?」
へぇ、驚いた。俺に会いに来たんだ?
…俺に…。
「んじゃ、何の用だよ、高尾」
「!」
ちょっと口角が上がるのを抑えられない…。
ま、単純に言えば、今の俺は軽い笑顔だ。
ちび猫番長が来てくれた事が嬉しいんだ。
…"おまけ"は居るけどな。深く考えない事にする。
だってあいつ等はちび猫番長の"舎弟"だし? 大体いつもつるんでいるのを俺は知っている。
そして七夕の一件は間宮が本当の相手か分らないから、とりあえず保留中…にしている!
「ん?」
さ、ちび猫番長は俺にどんな用があるんだ?
…って、あれ?顔が耳まで全部真っ赤…?しかも、眉が更に吊り上っている??
「たか…」
「~~~ッ!!!!」
―…ドフッ!
「ごほッ…?!」
な、何で俺はちび猫番長に綺麗にボディーにパンチを食らわないといけないんだ?!!
しかもその後は全力ダッシュで走り去っていったぞ…!訳がわからん!!
俺は身体を折って何とか立っているけど、信じられない鋭さだったぞ、今の!
ちょ、ちょっと足が浮いたし!!突き上げが半端無い!!
…お、俺への用事、ってまさか今の"高速パンチ"だったのか?!!
「亜紀?!」
そんな事を考えていたら、驚いた間宮の声が俺の耳に滑り込んできた。
「~~…ッはッ…!」
息すら苦しい。目尻に僅かに涙めいたものを感じる…。
―…パシャ
「…何で撮るんだ、間宮…?」
「…珍しいから?亜紀のパンチ食らっても一応立っている水瀬が、さ。記念…」
「や、止めろ…く…け、消せよ…!」
「嫌だ」
こ、この!その携帯からデータ消してぇ!!
こんな姿を記録されるなんて…!
「ま、間宮は知らないか…高尾の用事…」
「…知ってる…けど、水瀬には教えない。俺じゃなく、亜紀から直接聞けよ」
写真を撮るのを止めて、やや間を空けて間宮は俺に答えてくれた…けど、何だよ、それ。
聞いたらパンチを食らった俺が、また聞けと!ぞっとする!
俺はそんな間宮からの言葉を俯いて聞いていた。
パンチの鈍痛は未だ続いており、俺は上手くこの痛みとこの場の状況を分けられないでいた。
全部ゴチャゴチャだ。混ざって、グルグルしてくる…。
「…ただなぁ…水瀬、亜紀を泣かせたら、俺はお前を許さない…」
「…何だ、よ…それは…?」
間宮の言葉に顔に掛かる髪の隙間から見上げると、闇の中の僅かな月光で光る間宮の瞳が俺を鋭く捉えていた。
…冗談、じゃないな…。
今の間宮を冗談と捉える奴の方が、冗談だろう。
い、意味が分らない。まったく、意味が分らない。
俺の知らないところで何かが進んでいるのか?
「…政、帰るぞ」
「…ぁ、うす!」
間宮は最後に俺を振り向き様に一度見て、そのまま闇に消えて行った。
それだけで、言葉は無くとも俺は念押しされたのだ。
そして変に取り残された俺はその場でしばらく動けずに居た。
一人、月明かりの下で。
答えは何も出ずにいた…。