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片目編

 お嬢が水竜の神殿を水竜様と飛び出した後、偶然にも門前町でお二人に出くわした。

 あの時に水竜様に囁かれた言葉を、今も俺は忘れない。

 透明感のある心に染み入る声。人外の者を示す蒼き瞳。圧倒的な存在感。

 ポンと肩に手を置かれ、耳元で囁かれた。

「サーシャを守ってね。頼んだよ、片目」

 思いがけない言葉に目を見開いて水竜様の顔を見返すと、くすっと水竜様が笑う。

「何でそんな顔するの? ボク別に変な事言ってないよ」

 くすくす笑う水竜様の無邪気な様子に、却って背筋が寒くなった。何もかもを見透かされているような気がして。俺が祭宮に飼われている事も。

「頼んだよ、片目」

 ポンっと背を叩くと、水竜様は柔らかな表情でお嬢に手を伸ばす。

 少し離れたところで待っていたお嬢が嬉しそうに駆け寄り、水竜様も笑みを浮かべ愛おしそうにお嬢を見つめる。そうか、これは恋なんだと納得した。

 人と竜の恋。

 滑稽としか言いようがないが、俺の心には竜の想い人を守るという使命が植え付けられてしまった。


 王都の酒場。

 いつものように道化師の化粧を落として酒を煽る。

 新王の御世が始まって1年。王都はかつての「花の王都」に戻ったようだ。地方はまだまだ戦乱や天変地異の爪痕が痛々しいが。

 初めて祭宮とここで遭遇した時のような静けさは無く、店内はざわめきや笑い声で溢れている。

 目的の相手が来ないことには、王都を離れる事も出来ず、何日かここで酒を飲む日を送っている。

 まあ相手は王族だし、気軽に出歩ける立場でもなかろう。

 懐からタバコを取り出し、ふーっと煙を吐き出す。

 完全にお嬢に無視され続けてるみたいだけれど、何やらかしたんだかな、王子様は。どうせ聞いたところで答えなんかしないんだろうけど。

 水竜様に門前町で会った時、同時に祭宮にも会ってしまった。そして体よく俺は神殿と王族の両方から二人の監視を頼まれる。まあ、途中で文字通り煙に撒かれたわけだが。

 あの時物陰から祭宮とお嬢の遣り取りを見ていたけれど、険悪な雰囲気は全く感じなかったんだよな。それがどうして今の完全無視状態になったんだ。

 まあ、やっと廃人から回復してきた程度だから、あまり多くを求めちゃいけないな。

 逆に俺たち神官には心を以前よりも開いているようにも見えるから、他人を拒絶しているという感じではなさそうだ。

 天敵である神官長様との距離も縮まってきているように思える。

 祭宮だけが、お嬢に拒絶されている。

 ただ、無関心というわけではないようにも思える。

 何なんだろうな。やっぱり何かやらかしたんだろうな、祭宮。祭宮だけに。

 そういえば結局毒殺未遂事件の真相は明かされてない。お嬢は祭宮を庇っていたけれど、もしかしたら本当に毒殺しようとしたのがバレたとかか? ああ、それなら合点がいく。実際その位躊躇い無くしそうだしな。

 ぎゅっと短くなったタバコを灰皿に押し消し、半分以下になったジョッキを煽る。

 これを飲み終わっても来なかったら、今日は退散するとしよう。

 ぼーっと窓の外を眺めてみるが、興味をひくようなものは何も無い。王都にいるのに、王都に興味が無い。

 いつだってそうだ。俺の心は神殿に縛られている。

 水竜様の、そして今は紅竜様の為に働いているのであって、祭宮の飼い犬に成り下がったつもりは無い。たとえどのように周囲の者が思おうとも、神殿の為に祭宮に接触しているのだ。

 俺はお嬢を守る為に……そう、約束したから。

「タバコ、一本貰えるか」

 ごつい兄さんが目の前の席に腰を下ろす。

 気配を消してきたか。しかし驚くには値しない。あの祭宮の片腕が平凡な男であるわけがない。

「いいけど。今日は一人か」

「ああ。色々立て込んでいてな。代わりに報告を聞くように頼まれた」

 仏頂面で言うと、片手を上げて店主に酒やらつまみやら頼んでいる。

 なんだかなと自分でも思うが、こういう光景が当たり前になっているんだから嫌になる。

 本来なら日陰でコソコソと動くのが性分のはずなのに、堂々と敵の親玉に会っているようなものなのだからな。それが情報を得る上では有益だと判断したものの、しっくりこない。

「報告するような大事は無い。正規の報告以上の事は無い」

「そうか」

 酒が運ばれてきたので、祭宮の部下は一旦口を閉じる。

 目の前に酒とつまみが並び終わると、俺に一杯差し出し、ぐいっと酒を煽る。俺も飲みかけの一杯を飲み干し、新しいほうの酒に口をつける。

 しばらく飲食に口を使っていると、ふいに部下の男は手を止める。

 どうしたんだと思って注視していると、はーっと溜息をつく。

「何で俺がお前とここで酒を飲んでいるんだ」

 はたと現実に気付いたようで、苦々しそうに眉根を寄せる。

 そんなこと俺に言われたって答えられねえよ。あんたらが俺を利用してるんだろ。

 言いたいけれど、とりあえず黙っておいた。

「お嬢様はお元気か」

「ああ。元気そうだよ。以前よりも笑うようになった。少しずつだけれどな」

「それはよかった。主も安心するだろう」

 真っ先にお嬢のことを聞くという事は、やはり心にやましいものがあるのか、祭宮一派。

 俺の中では、祭宮は毒殺未遂事件実行犯として真っ黒な事には変わっていない。灰色だとしても、限りなく黒に近い灰色だ。

 お嬢の命を奪いかけ、今なお後遺症に悩んでいるのだから、気に掛けずにはおられないだろうな。

「非常に失礼な事を聞くが、構わないか?」

 珍しく部下の男が定型以外の言葉を口にする。

「何だ」

 俺に聞きたい事って何なんだ。

「お嬢様が君たちのところに行く前から知っているが、どこで大きく化けたんだ。君たちのお嬢様は」

「は?」

 間抜けな声が出てしまったのはご愛嬌だ。

「どうにもわからん。流布されている姿と実際の姿が結びつかない。どちらが本当のお嬢様の姿なんだ」

 今一番吟遊詩人たちが詠うのは「奇跡の巫女」の話。聞く側の庶民が最も好んで聞きたがるというのも理由ではあるが。

 まあ、その中の「奇跡の巫女」と実際のお嬢は全く別人とまではいかないけれど、かなり異なる人物ではあるな。

「そうだな。話半分どころか1割くらいに聞いておかないと、流布されているのを信じてるとガッカリするかもな」

 思わず笑みが零れた。

 普通の、ごくごく普通のお嬢ちゃん。それが神殿の中の神官たちの相対評価だ。それは今でも変わらない。

 それなのに普通のお嬢ちゃんだと思って舐めてかかると、痛い目を見る。痛い目というか、度肝を抜かれるというか。

 びっくり箱だからな。お嬢は。

 威厳たっぷりの巫女を演じて見せたかと思ったら、次の瞬間には紅竜様に宙釣りにされてどこかへ連れて行かれる。おかしすぎるだろ。大分慣れてきたものの、その光景を唖然と見守るしかない。

 ふーっと大きく息を吐いたかと思うと、部下の男は首を傾げる。

「ということは、俺が見た姿とあまり変わらないと思っていいのか」

「まあ、あんたがどういうお嬢を見たか知らないからなんとも言えないが、大きく変わりはしないんじゃないか。俺の知る限り、鉈を持って奥に行ったなんてのはお嬢以外にいないしな」

「鉈? 何でまた鉈なんか持ち出すんだ」

「それは、まあ、色々な」

 間違っても、水竜様を目覚めされるために起こした一連の事を教えるわけにはいかない。

 水竜様が人の姿をして外に出た事も、口外禁止とされている。

「一言で言えば、変わっている方だよ。お嬢はね」

「部下にそう言わせるのも凄いな。宝石の人、只者ではなさそうだな」

 男は黙り込んでしまった。何が聞きたかったのかはわからないが、何やら納得したようだ。

 何故その時に部下の男がお嬢のことを知りたがったのか、それはずっとずっと後になって知ることになる。


 お嬢が巫女をお辞めになる。

 俺は長老から命を受けていた。影としてお嬢を守るように、と。

 長老はお嬢の今後について懸念があったようで、外に自由に出られる俺にお嬢を可能な限り守るようにと密かに指示を受けていた。

 もしそれがなかったらどうしていただろう。

 考えるまでもない。

 水竜様にお約束をした。お嬢をお守りすると。

 多分長老に言われずとも、お嬢を見守り続けていただろう。幸い、神殿と王都との間にあるお嬢の出身地は、立ち寄るにも問題のない場所だから、足を伸ばすというよりも気軽に立ち寄れる場所だ。

 懸念どおりというのもあれだが、嫌なものを何度か見た。自分の手で事前に防いだものもある。

 ここまで、巫女であった者は無防備に晒されていて良いのだろうか。

 奇跡の巫女だったという過去は隠しているのにも関わらず、巫女であったというだけで人間のどす黒い欲望の対象になる。

 これが奇跡の巫女だとバレたら。想像するまでもない。

 現在の紅竜の巫女であらせられる方も、巫女を辞めた後にこのような目に合われるのだろうか。

 その時には、誰かを見張りにつけなくてはならないな。俺はお嬢だけで手一杯だから無理だから。

 長老および神官長様に進言しておいたし、その辺りの問題はクリアになるだろう。何百年もの間、その問題を取り上げてこなかった事のほうが問題だな。

 神殿という閉鎖空間の中にいて、巫女には興味があるけれど、巫女であった者には全く興味を持ってこなかったせいで、そういった制度を作らなかったのだろうか。誰かは手を尽くしても良さそうなものだが。

 いや、もしかしたらあったのかも知れないな。俺の知らないところで。

 全く野放しにしていたとは考えにくい。

 しかし俺を含めて諜報員だって、四六時中見張っているというわけにもいかない。本来の業務もある。

 お嬢のことは出来うる限り見守るつもりだ。それが水竜様との約束。業務の関係上、この小さな村に俺が滞在できる事のほうが少ない。

 俺の目の届かないところで、事件が起こらなければよいが。

「か……っ。何してんの!」

 小さな村の居酒屋で酒を飲んでいると、聞きなれた声が耳に飛び込んでくる。

「……片目」

 しまった。見つかってしまった。

「どうも、お元気そうで」

 小声で話すと、お嬢はあからさまに頭を抱える。しかしもう大声を出すつもりはないらしい。ゆっくりと向かいの席に腰を下ろし、身体を前のめりにして話しかけてくる。

「何でここにいるのよ」

「仕事ですよ。中の方々があなたが何かやらかしてないかと心配してるんで、確認にきました」

「ひっど。ホント片目って容赦ないよね」

 小声で会話をしていると、お嬢の知り合いらしき男に声を掛けられる。もう一人の女性はお嬢といるところを何度か見たことがある。

 この軽薄そうだがやけに身体つきのしっかりとしている男の正体は何者だろうと思っていると、祭宮の配下の近衛だという。しかし記憶に無い。祭宮の配下にもかなりの人員が割かれているから、小者であれば見覚えが無くて当然か。

 しかし今後、祭宮の周囲ではこの男に出会わぬように気をつけたほうが良さそうだ。

 店主が運んできた酒に口をつけ、お嬢は男の質問をのらりくらりとかわしている。

 何度見ても、どうもお嬢が酒を飲んでいる姿に違和感を覚える。俺も、心の中に奇跡の巫女の偶像を作り上げているのかもしれないな。

 酒を飲み、巫女として食べていたよりもずっと粗末な料理を口にし、ごくごく普通の村娘として生活をしている。

 この姿が本来のお嬢の姿なんだな。

 初めて酒の席に同席した事によって、どうやら俺の中の偶像が音を立てて崩れ落ちたようだ。

 男の質問攻撃を交わし、あまり中身の無い会話をしばらくしてから早々に店を後にする。

 何せこちとら影で仕事をする身。調査対象者の周囲とあまり知り合いにはなりたくない。その分情報は得られるかもしれないが、それよりも厄介な私情を絡みがちだからな。

 お嬢と別れ居酒屋を後にしたと見せかけ、回り込んで窓の下からお嬢たちの会話に耳をそばだてる。

 どうやら話題はお嬢の恋愛談義になっているようだ。

 もう恋人も出来たのか。

 何故か落胆を隠し切れない。

 当たり前なんだとわかっている。子孫を残すというのも巫女の使命なのだから、恋をして子を為してくれなくては困る。

 それなのにまだ早いんじゃないかとかっていう、俺はお嬢の兄貴か親父かっていうような事で頭が一杯になる。

 水竜様のことはもういいのだろうか。

 まばゆい光の中で笑いあう二人の姿が、脳裏にはまだ鮮やかに残っている。

 手を取り合い二人で肩を並べて歩いていた姿も、恥ずかしそうに笑うお嬢を微笑ましそうに見る水竜様の姿も。

 あの時の恋は永遠ではないのだろうか。お嬢は水竜様から他の誰かへと心変わりをしてしまったのだろうか。

 失望感で一杯になる。

 吟遊詩人の詠う物語の中にある言葉のように「巫女は水竜様に愛され、二人の絆は永遠に続く」ことは無かったという事なのだろうか。

 あなた以外の誰かを想っていても、あなたはお嬢を守れとおっしゃるのでしょうか。水竜様。

 はたと気付く。

 そうか。俺は神殿にも巫女にも、当然お嬢にも心酔していなかった。ただお一人、水竜様だけに信仰心を捧げていたのか。だからお嬢に失望するんだな。水竜様の愛情を受けておきながら、数年で心変わりすることが許せなくて。

 我ながらおかしくて、居酒屋の外壁に寄りかかり紫煙を燻らせる。

 水竜様直々のお言葉。

 それに従い続ける事が、お心に添うことなのか。それともお嬢の心が水竜様から離れた時点で俺の使命は終わったのか。

 教えて下さい。水竜様。俺はこれからもお嬢を守り続けるべきなのでしょうか。

 空を仰ぎ、月を見上げる。煙が天へと昇っていく。

 俺なんかの声が、お嬢の声を差し置いて届くわけなど無い。

 きっとお嬢を守るという使命をこれからも続行する必要があるならば、天の采配がそのようにするだろう。

 風任せ。人任せ。なるようにしかならない。

 どうせ、神殿からはお嬢を見守るように命じられている。その事は変わりないのだから、これからもお嬢の様子を見に来る事は変わらず続けるだろう。

 もしも俺の手が必要になる日が来るのなら、それは水竜様がまだ俺にお嬢を守れと言っているという事なのだろう。

 結論を焦る必要は無い。言葉通り「見守り」続けよう。本来なら、神官は巫女を辞めた後の巫女であった者の生涯に干渉したりしないのだから。

「宝石の人じゃないの?」

 無邪気な声が窓から漏れている。

 どこかで聞いたようなその文句を聞き流し、居酒屋から離れて歩き出す。

 この小さな村には宿などない。

 ほろ酔いの体に鞭打って、近隣の宿場町まで歩かなくてはならない。面倒だが仕方ない。これも仕事のうちだ。

 明日には神殿に帰ろう。主の眠る、水竜の神殿へ。

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