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長老編

 ワシから見たら、まだまだどちらも幼い。

 感情を抑える術も身につけておらず、気位の高すぎるお姫様と、自己評価の低いお嬢ちゃん。上手くいくわけが無い。

 二人がその役目に着く事が決まった頃からそう思っていた。

 しかしワシは先代の神官長の退任と共に表舞台から身を引いた身。

 たとえどのようなゴタゴタが起ころうとも、手出し口出しをせずに、新しい世代の台頭を待とうと決めておった。

 長く神官のトップに立ち続けたワシの存在は、老害と言っても過言では無い。

 先代と共に長く君臨していたせいで、次を担う神官が育たなかった。

 中堅どころの神官へと上手く権力の移行が出来なかったせいで、全ては若い二人の神官の肩に圧し掛かってしもうた。

 正義感が強い直情的な下僕。能面のように感情を押し殺し冷淡な執事。

 二人の神官に未来を託したつもりだった。二度と、表には出ないつもりじゃった。


 それが一変したのは、あってはならない暴挙に出た国王と、祭宮が何やら奸策を巡らせたゆえの事。

 巫女とは形なき玉座を守る者。

 水竜様という普遍の存在を象徴する清き存在。

 それを侵略する為に王宮の下衆たちが手を伸ばし、巫女様のお命は危険に晒された。

 一人守り抜こうとする若い神官を心配し、他の神官たちがワシに知恵を請うてきた。

 神殿の危機。

 例え権力の座から身を引こうとも、神官の一人として巫女様をお守りするのはワシの使命。

 信頼のおける幾人かの神官を選び、巫女付きの執事の補佐として就けた。

 傭兵。片目。熊。カカシ。助手。

 それぞれに異なった仕事と能力を有する彼らは、近い未来神殿の要になるであろうと目をつけていた者たち。

 かつて巫女付きを経験した事のあるのは、傭兵、片目、熊。

 未だ経験の無いカカシと助手。

 巫女付きを経験した事のある者は、執事の苦悩に寄り添えるであろう。

 経験の無い者は、偏った見方をせずに巫女様の心痛を和らげる為にと尽くせるだろう。

 まだ異なった職種の彼らが集まる事により、巫女様に必要な全てを限られた人間で賄うことが出来る。

 即ち、強固な守護を可能にした。

 厳選された、限られた人間のみしか巫女様に接する事を許さない状況を作る事により、今後の巫女様の身の安全等に配慮をしたつもりであった。

 それなのにまさか思い寄らぬ人物が巫女様の敵になるとは。

 外部から手を回す事が出来る勢力は、恐らく神殿の中にも手を回しているだろう。

 それがワシの予測であったわけじゃが、嫌な形で的中してしまう。

 女官の中に裏切り者がおるとは。しかも神殿のトップたる神官長様のお身内の者。疑ってもおらなんだ。

 ワシの目も腐っておったな。

 若い者たちがそれぞれに己を責めておったが、賊がどこかに潜んでいる事に気付いておきながらもこれといった手を打たなかったワシの失策じゃ。

 またしても巫女様のお命を危険に晒してしまったことは、先代にも合わせる顔が無く申し訳ない。

 また何よりも巫女様に申し訳ない。


 水竜の巫女。紅竜の巫女。類稀な方。奇跡の巫女。

 平凡そうな少女だった巫女様を形容する表現は年を追うごとに増えてゆく。

 神殿という外部を遮断した世界の中でなら、巫女様の安全は保証されている。

 しかし、一歩その足を外に踏み出した時はどうじゃろうか。

 過去、巫女であった女性が悲惨な末路を送ったという記録もある。

 全ては「巫女」という、国王と対等以上の権力を持っていた過去がもたらした悲劇。

 巫女を手に入れる栄誉。巫女を生み出す名誉。

 もうその力は失われているのにも関わらず、巫女として水竜様の声が聴こえるのではないかという期待。

 巫女という形無き玉座の伝説が流布されているこの国において、巫女であった者とは非常に危うげな存在である。

 巫女を「手に入れる」為に非常に乱暴で下劣な手段に出る者もおる。

 そしてその犠牲になった者も。

 近年稀にみる巫女であらせられるお嬢ちゃんは、巫女を辞めた後にそのような危険に確実に晒されることになる。

 誰か、権力者の庇護下に納まれば良いが、王宮の者たちは信用ならぬ。

 小さな村の長程度では、抑えきれぬかもしれぬ。

 紅竜様が新たな神殿を望んでいらっしゃると聞いたその日から、ワシの心の中にはある考えが浮かんでいた。

 巫女様が水竜の神殿から紅竜の神殿にお渡りになる日、巫女様に申し上げた言葉は本音であった。

「いっそ巫女をお辞めになられた後、守り人としてお戻りになられますか。掃除する人数も足りませんし、お待ちしておりますぞ」

 堅牢な守護の下から、外に出してしまうのは心配じゃった。

 しかし巫女とは、その血を後世に残す事も使命。

 この神殿におられたのでは、それは不可能になってしまう。それでは水竜様や紅竜様のご意思に逆らう事になってしまう。

 何よりも、巫女であった者が神殿にいることによって、余計な争いの火種になったりすることもあるじゃろう。

 慣例うんぬんではなく、神殿に憂いを生み出す事は出来ない。

 それでも、もしも巫女様が外に出て危険に晒される事になるのならば、ワシはお守りしたい。

 もう二度と、ボロ雑巾のようになり心を打ち砕かれてしまった巫女であった者を見たくは無い。

 外に出る事の許されている神官の一人、片目を巫女様がその座を退いた後の警固にあたらせる事にしよう。


 紅竜の神殿建立にあたり、お姫様であった神官長様から一つの相談を受ける。

 神殿の中枢は全て紅竜の神殿に移すが、水竜の神殿を蔑ろにすることは出来ない。

 新たに水竜の神殿に組織を構築する必要があるのではないかと。

 表舞台から一度は退いた身ゆえ、そのお申し出を丁重にお断りしたが、しかし水竜の神殿を手中に収める事が出来れば、積年の憂いを払う事が出来るのではないだろうかとも考えた。

 巫女がいない神殿。

 そこになら巫女であった者がいても、混乱の火種にはならないのではなかろうか。

 神の都合により巫女に召抱えられ、大勢の神官に傅かれた数年を終えた後の巫女であった者は、ワシらが思うように平凡な人生を送れるのであろうか。

 躓く者のほうが多いのではないだろうか。

 身を危険に晒される者のほうが多いのではないだろうか。

 巫女も、神官長もいない水竜の神殿。

 そこでなら……。

 ワシは数日考え込んだ末に、神官長様のお申し出を受ける。

 しかしその時にある言葉を付け加えた。

「お移りになられた後の事は全てこの爺にお任せ下さい。よろしいかな」

「ええ。お任せするわ。あなた以外に任せられる人などおりませんもの」

 その答えに頬が緩む。

 これで助けられる。命が奪われてしまう前に、心を壊されてしまう前に、その身を穢されてしまう前に。

 巫女様が紅竜の神殿にお渡りなられた後、幾度と無く紅竜の神殿に神官長様から召還される。

 そろそろお姫様にもワシなしで独り立ちして欲しいものじゃが、傍の者が未熟なのか、ワシが後継者を作らなかったのが災いしたのか難しいようじゃ。

 ただ、決して巫女様には会わぬように配慮した。

 そのほうが二人の幼い女性には良いだろうと判断したからじゃ。

 今なら思う。

 あの混乱の時、ワシが手を出すべきでは無かった。

 どんなに困難な場面であっても、若い者たちと若い神官長様に全てを委ねるべきであったのだ。

 神官たちもワシを頼りにする。

 本来なら長であるのは神官長様であるにも関わらず、ワシが神官たちを束ねる実権を握ってしもうた。

 それは神官と神官長様の間に亀裂を生み、巫女様と神官長様の間の距離を作ってしまった。

 まだまだワシも未熟ということじゃな。

 倒れた巫女様と、今にも倒れそうな巫女付きを目の前にして、手を差し出すまでは良かった。やりすぎたのじゃ。ワシが神官長様の領域を侵してしまった。

 紅竜の神殿という新たな場所において、お姫様とお嬢ちゃんの二人が共にその役割に相応しい姿に成長するのを、水竜の神殿から見守ろう。

 そしていつの日か、お嬢ちゃんがワシらの保護を必要とした時に手を回せるように、体制作りをしておこう。

 それがこれからも生まれてくる大勢の巫女たちの一助となろう。


「執事」

 埃っぽい部屋の中で帳簿と格闘している神官に声を掛ける。

 巫女付きを辞め、水竜の神殿に戻ってきた執事は、赤字経営と化している水竜の神殿の建て直しに頭を悩ませていると聞く。

「長老。このような場にお越しにならなくとも、お呼びいただきましたらこちらからお伺い致しましたのに」

 立ち上がってワシのところへ早足で来る執事に笑いかける。

「運動じゃ運動。どうも最近身体がなまってのう。大体皆がワシから仕事を取り上げすぎなんじゃよ」

「長老が精力的に動きすぎなだけかと思われますが」

 表情一つ変えずに言う執事は、かつて鉄仮面と呼ばれたのが良くわかる能面ぶりじゃ。

「どうじゃ、立て直せそうか」

 帳簿の一つに手を伸ばし、執事がポンポンと埃を払う。

「まず第一に収入がかなり減っています。水竜様が眠っていらっしゃり、神殿機能も紅竜の神殿に移っておりますから、寄付等も大半が紅竜の神殿に流れております」

「ふむ」

「ですので、まずは支出を減らすべきであると思われます」

「具体案を」

「神殿機能をもう少しコンパクトにすべきでしょう。必要最低限の人員で水竜の神殿を動かす方法を考えるべきです。ただかなり広い神殿ですので、手入れだけでもそれなりの人数が必要です。将来的には痛んでいる部分も多々ありますし、建て直しを含めて抜本的な改革が必要になるかと思います」

 なるほど。

 確かに眠っていらっしゃる水竜様をお守りするのには、以前のような人数は必要としていない。

 しかし紅竜の神殿に半数以上を移した今、それでも過剰であるか。

 広大な迷宮であるこの神殿を、水竜様の座する場所として清潔に保つ為には、掃除だけでもかなりの時間と人員を要する。確かに神殿の建て替えまで視野に入れた改革は必要かもしれんな。

「ただし建て替えを行うにはかなりの費用を要すると共に、民の心情にも配慮せねばなりません。始まりの巫女をお守りする為に建立された水竜の神殿に手を入れることは、善しとされないでしょう」

「そうじゃな」

 感情論。

 執事はお嬢ちゃんの巫女付きとして、それを学んだか。

 非常に対照的だった巫女と巫女付きであった二人。互いに刺激しあい、一人の神官を成長させたか。

 理屈では納得できないもの、それが信仰なのであるから。

「まずは様々な場所に機能が散らばりすぎていますので、集約するところから始めてはいかがでしょうか。導線が短くなれば、例えば回廊に設置する蝋燭の本数など、非常に些細な部分ですが減らす事も可能です」

「検討しておこう」

「よろしくお願いいたします」

 水竜様と巫女様不在の神殿。

 新たな体制作りにはまだまだ長い時間が掛かるであろう。

 数百年続いた神殿の体制が一変されるのを、長い時間をかけて神官も民も受け入れていくのだろう。

 もっとも、劇的な変化を求めたところで、先立つものが無いのでは何も出来んがな。

「ああ、それと。例の件は進んでおるかな」

 ワシの考えた、巫女であった者を守る為の施設作り。

 神官長様にもその事はお伝えしてあり、ご了承を頂いておる。ごくごく内密に一部の者だけが知る、秘密裏の計画。

 今は使われていない、比較的奥に近い区画。歴代の巫女たちが使用した部屋の居並ぶ場所。

「改築は進んでおりますが、大工が先日怪我を致しまして、大分作業が遅れております」

「そうか。まあその区画の整理が整わなくとも、部屋なら山のように空いておるしな。何とかなるじゃろう」

 執事が考え込むように、顎に指をやる。

 視線を巡らせ、手にしていた帳簿を机の上に置く。

「使わないで済むと良いのですが」

「そうじゃな。それが一番じゃな」

「はい。巫女様も、再びこちらに足を踏み入れようとは思ってはいらっしゃらないでしょう」

 執事の言う巫女様とは唯一人。奇跡の巫女のみ。

「何故そのように思う?」

 目を伏せ、執事が口元に笑みを浮かべる。

「あの方は未来だけを見つめる事の出来るお方です。心が壊れてしまわれたかと思われていたのに、立ち上がり紅竜の神殿を立ち上げ、そして次代へと未来を繋いだ。過去を振り返ったりはなさらないでしょう」

「そうかのう」

「ええ。あの方にとって最愛の存在が眠るこの場所に戻る事は、過去に引きずり戻される事になります。それを望んだりはなさらない方です」

「そうかもしれんのう」

 お嬢ちゃんとお姫様にとって最愛の存在である水竜様。

 二人の女性、いやかつてワシの仕えたあの方も、その心を水竜様に奪われていた。

 永遠の片思いとおっしゃっていた遠い過去を思い出す。

 そのような想いを残した場所に戻っては、新たな恋など出来ぬか。恋が出来ねば、血を後世に遺すことも出来ない。

「戻られないのが一番です。ここに戻られる時、それは巫女様が苦しい思いをなさったという証明でもあり、またそのお心深くに刻まれた傷を掘り返す事にもなります」

 執事は目線を奥殿へと向ける。

 かつてワシらが仕えた主たちがそうしていたように。

 水竜様の眠る、水竜の神殿。

 その瞳が再び開くのは、きっと遠い遠い未来の事。

 それまで、ワシら神官は永遠とも思える長い時間を、奥殿に眠る方を守る為に、竜たちに愛された女性を守る為に費やそう。

 その新たな体制を確立する事。それが老いぼれたワシの最後の願い。

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