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熊編

「なあ」

「あ?」

「俺たちもしかして、すんごい歴史的瞬間に立ち会っちゃったんじゃねーの?」

 ワイングラスを片手に文献をまとめているカカシに問いかける。

 やけに落ち着く書庫の一番奥の机の周りには酒樽や酒瓶が持ち込まれていて、既に助手は高いびきをあげている。

 こいつ、酒弱いんだっけ。

 一年に一度の楽しみの酒。

 俺はこの一年これを楽しみに働いてきたといっても過言じゃない。途中から若干違う意欲にも目覚めたのは認めなくはないけれど。

 カリカリと規則正しく音を立てていたペンを置き、カカシが不健康そうな顔を上げる。

「熊。一つ言っていいか?」

「なんだ?」

「とりあえず書き終わるまで黙ってろ。煩いから」

 ひょろひょろカカシに睨まれても別に怖くもなんとも無い。

 でもとりあえず邪魔をしちゃ悪いから、黙って酒瓶に手を伸ばす。

 今日の記録、何て書くつもりなんだろうな。カカシのやつ。

 酔っ払った助手が嬉しそうに「始まりの巫女を越えたっスよ。絶対間違いなく、お嬢はすんげえ巫女ッスよ」なんて興奮してたけどさ。

 ちびちびと口をつけながら思い出すのは、最後の礼拝の時のこと。

 暴漢やら暴動やらに動じなかったなあ、お嬢。

 ホント肝っ玉据わってるよな。

 正直俺ってば「姫派」だったわけなんだけれど、今日の一件で見直したわ。

 お嬢は大した巫女だよ。

 あれで水竜様のお声が聴こえないっていうんだから、聴こえたらどんだけすごいことしてくれるんだろうな。

 それはそれで見てみたいな。

 だからもうちょっと(補助)でいたいかもしれない。いや、いさせてくれ。

 こんな面白い……いやいやすごい巫女を間近で見られる機会なんて無いだろうし。

「なあ、熊」

 書き物をしていたカカシがペンを止めて顔を上げる。

「酒、全部飲むなよ。ここにあるの全部で(補助)分だからな」

「ってことは長老や片目の分も含まれてるってことかよ」

「ってことじゃないんですかねえ。全部飲むとうらまれるぞ、長老に」

「まじかよ、何でそれ先に言わないんだよ」

「いや、お前がそんなに飲むなんて知らなかったから」

 ペンを置き分厚い書物を閉じると、カカシはくいっとワイングラスを空にする。

 おおっ。いい飲みっぷりだ。

「俺らいつまで(補)なんだろうな」

 溜息交じりにカカシが呟く。

 そんなにいやか? (補助)生活。

 まあな。通常業務にプラス業務があるから結構大変っちゃ大変だけれどさ。俺はそんなに嫌じゃないぞ、今は。

「さーなー。お上のみぞ知るってとこじゃないの? 俺らどうせ下っ端だし」

「少なくともお嬢が聴こえるようになるまでは続くんだろうな。きっと」

 深い溜息が落胆のようにも聞こえる。

 カカシのやつ、結構乗り気でお嬢と接してるかと思ったけれど意外だな。

 もしかしてこいつも「姫派」だったりするのか。だとしたら気持ちはわからなくはないが。

「俺さ……」

 カカシが頭をボリボリ掻きながら話し出す。今度は照れくさそうな顔をして。

「もう他の巫女に仕えんの、嫌だな。俺こっそり野心家だからいつかは巫女付きって思ってたのにさ。あーあ。ホントやんなる」

 いや、こっそりじゃなくて野心家だろ。書庫番兼記録係。

 ある意味神殿の要だと思うわけ。そんな仕事に立候補して就いているお前が野心家じゃなけりゃ何なんだ。適材適所とでも言うのか。

 おっと、本題はそこじゃないな。

「なんだそれ。巫女なんて数年で変わるのが当たり前なんだから、それはおかしいだろう」

 他の巫女に仕えたくないって、それは神官を辞めるっていうことと大差ない発言じゃないのか。

 思うままに口にすると、うーんと唸り声を上げてカカシが眉をひそめる。

「いや、そういうんじゃなくて。巫女付きとしては仕えられないって意味。あんたはいいよな。もう巫女付きやってるから気楽でさ」

「じゃあ敬ってへつらえ」

「全力でお断り」

 口だけは達者なんだから、ったく。

「それだけお嬢に骨抜きって事か? ボウズ」

 片目がケタケタと笑いながら書庫の陰から現れる。

「ボウズ言うな、オッサン」

 バチバチっと一触即発の空気が流れる。

 何でこう血気盛んなんだ。このメンバーは。

 片目も面白がってからかうし、カカシは若気の至りか突っかかるし。めんどくさいヤツラ。

「で、今日の記録になんて書いたんだ?」

 ひょいと片目がさっきまでカカシが格闘していた書物を持ち上げてページを捲る。

 ざーっと斜め読みするかのように視線を動かして何枚か捲り、そして手を止める。

「巫女は民衆を諌めるために慣例を破る事さえも畏れず。で、続きはどうした」

 睨み付けていたカカシが片目の手から書物をひったくる。

「浮かばないから困ってるんだよっ。何かピンとくる言葉が浮かばないんだよ。お嬢を形容するのに一番相応しい言葉って何なんだろうなと思ってな」

 お嬢を形容する言葉?

 さて。

 しかも今日のあの神懸りとしか言いようのないお嬢を、だろ。

 うーん。暫く考えてみてから、考える事を放棄する。だって俺の仕事じゃないし。

 真剣な表情で考えるカカシを面白そうに眺めている片目がボソっと呟く。

「びっくり箱」

「ああ。成程」

 思わず同意した。

 あの田舎臭い村娘がよくもまあ化けたもんだ。それを一言で形容するなら、言いえて妙だ。

「んなこと、公式記録に残せるかっ」

 カカシの怒りもごもっともだ。

 しかし他人事じゃないな。今日の記録をこっちも残さなくてはいけない身だ。

 あのお嬢をどう書き残したら良いんだろな。

 すっごい神聖な巫女として書き残しちゃおうかな。後世の人間がこいつはすごいって思うくらいに。そう思えるほど凄かった。

 カカシじゃないけど、(補助)やってて良かったな。

 あんな姿を間近で見ることが出来たんだから。

 あれは奇跡だと思う。

 血塗られた衣を身に纏い、祭壇の前に立ち民衆を説得する姿。

 本来そんなことが出来るような器じゃないのにさ。

 で、だ。

 結局俺とカカシは「奇跡の巫女」という文言を残した。後世に。さすがにびっくり箱とは書けなかった。

 更なる奇跡を起こすとは、その時は思いもせずに。



 お嬢が何やら思い悩んでいて、書庫で何やら練っていたのは知っている。

 それに積極的に加わろうという意思は無かった。

 巫女として認めているという事と、何やらやらかす片棒を担ぐってのは別の話だ。

 やたら神殿の起源やら何やらを調べているのは、勉強熱心程度に思っていた。

 しかしまさか「最後の巫女」になりたいなんて思っているとは思わなかった。どうやったらその発想になるのか、全く想像もつかない。

 まさに「びっくり箱」だ。意表をついてくれる。

 ただ俺がそれに乗れるはずも無い。

 俺は「式典官」として、神殿で行われる大小無数の行事を取り仕切っている。

 神殿の正当性。由来。

 そういったものの積み重ねが重要だと思っている。

 前例、形式。

 人は形を重んじる。

 何年もかけて作り上げてきた式典は何の為にあるのかって?

 全ては水竜様をお祀りするためだ。

 正直、小娘の一存なんかで覆していいものじゃない。少なくとも俺はそう思う。

 何故水竜様を解放したいと思ったかなんて理由はどうだっていい。

 俺にとって大切なのは、どうやってこの先の未来も水竜の神殿を守っていくかだ。

 水竜無き水竜の神殿なんて、ありえねえ。

 どうして祝詞が一言一句違うことなく今まで伝えられてきたかっていうと、始まりの巫女の行為の継承、そして水竜様にとって一番心地良い言葉で、日々の糧を与えてくださる事への感謝やこれからの未来への願いを伝えようとしてきたからだ。

 長ったらしい文句や形式ばった事も多々ある。

 しかしそれも長年水竜の神殿が培ってきた伝統。

 馬鹿馬鹿しいと言う者もあるが、そんなのは俺から言わせると祭事とは何かってのを深く考えていない奴らだと思うね。

 少しでも真剣にそういった事実に向き合えば、何が必要で何が不必要かわかるだろう。

 この場合、必要なのは「水竜様が水竜の神殿に座している事」であって、「水竜様の自由」というのはあまり重要ではない。

 お嬢の要求は突っぱねたので、それからどんな画策をしていたのかは知らない。

 そして何故、あんな離れ業が出来たのか、全く持って謎でしかない。


 春のある日、礼拝堂の扉が開き、思いがけない人物が現れる。

 あんな奇跡を一体どうやって起こしたんだろう。

 どうやって水竜様を人に具現化なんてしたんだ。さっぱりわからない。解明されていない謎として語り継がれそうだ。

 この世界に到底存在しないような透明感を持った男性。瞳の蒼が人ならざる存在である事を如実に語っていた。

 視線一つで他者を足元に跪かせるほどの存在感。

 一目見て、その存在が人じゃないと直感した。あんな、影もないような人間なんて見たことが無い。

 人払いをされてしまって、中の礼拝堂の様子はわからず、(補助)のメンバーが扉の前で顔を付き合わせる。

「なんだ、あれ」

「なんだって言われても、見ての通りだろう」

「だよなー」

 軽口でも叩いてないと、お互い頭がおかしくなりそうだ。

「類稀な方で、奇跡の巫女って、一体何者なんだよ」

 苦笑交じりにカカシが言うのに釣られ、俺もまた笑みが浮かぶ。

「びっくり箱、侮れねえ」

 俺の漏らした言葉に、長老が眉をひそめるが、気にしない。

「やっぱ公式文書にびっくり箱って書かねえか、カカシ。俺、こっそり書いておこうかな」

「ばーか。そんなの書いたら記録者の品性疑われんだろ」

「じゃあオブラートに包んで、驚嘆の巫女。もしくは驚愕の巫女」

「ボキャブラリーねえな」

 ノリの悪い相手にイラっとしたが、本当にこんな事でも口にしてないとやってらんねえだろ。

 有り得ない事実に対峙して、冷静でいられるか? 普通。

「普通に奇跡の巫女だけで十分なのではありませんか」

 執事が素っ気無い口調で口を挟む。

 おやおや、お前さんがこんな会話に参加するとは思っていなかったぞ。

「万の言葉で飾り立てるより、一つの言葉で表現する方が重みがあるのでは」

「ふーん。考えとく」

 だからお前は普段やたらと無口なのか?

「お嬢、やっぱりいなくなっちゃうんっすかね」

 そういや、そんな希望をお持ちだったな。すっかり忘れてたけど。

「どうなんじゃろうな。わしらはあの方々の判断に全てを委ねるしかなかろう。仮に水竜様や巫女様がおらなくなったとしても、ここが水竜の神殿である事は変わらないからのう」

 俺にはその、崇め奉る存在の無い神殿ってのが有り得ない。受け入れられない。

 そこにいるからこそ、神殿なわけだろう。

 長老のいわんとする事が全くわからず、理解困難だ。

 祈るべき存在がいないのに、礼拝を行って何になる。感謝の言葉も、願いの言葉も、聞く相手がいてこそだ。

 ごくごく自然の考えだと思うが、あまりこのメンバーでは受け入れられない考えらしい。

 大体、全員お嬢に傾倒しすぎなんだよ。

 悶々とそんな事を考えていると、内側から礼拝堂の扉が開く。

 一体どのくらいの時間が経っていたのか、時間の感覚さえなかった。

 俺もどうやら奇跡に気圧されていたらしい。

 でも後で聞くと、他の誰もがそういう状態だったと聞いた。

「水竜様と巫女は旅立ちました」

 神官長様の言葉にざわめきが一斉に起きる。

 何故それを許したんだ。

 敬愛する神官長様のお言葉とはいえ、咄嗟に頭に浮かんだのは批判。

 そんなこと、許されてはいけない。

 バっと走り出そうとする執事の行く手を、神官長様と祭宮がその腕で塞ぐ。

 また祭宮かよっ。

「追う事は許しません。必ず二人は戻るでしょう。それまで今までと変わらぬよう業務に励んで下さい」

 衣を翻し、神官長様は神官を伴って礼拝堂に背を向けて歩いていってしまう。

 短い指示に、俺たちは右往左往するばかりだ。

 空の神殿。空の玉座。

 そんなものを守って、何になる?


 水竜様を失って数ヶ月。

 お嬢はやっぱり「びっくり箱」らしい帰還を果たす。

 ありえねえ。

 竜に乗って帰ってくるなんて。

 二頭目の竜の存在に、俺の心は躍った。

 おかしな話かもしれないが、俺がこれからの歴史を作っていくんだと思ったからだ。

 水竜様ではないもう一頭の竜、紅竜様の為の儀式、礼拝。

 それを一から組み立てていくのは俺たち式典官だ。

 何て心躍る仕事なんだろう。

 カカシに野心家って言った事があるけど、俺もすっごい野心家なんだ。これで歴史に名を残せる。

 いや、名が残らなくとも、俺の作り上げたものは後世まで受け継がれていく。

 憔悴しきっているお嬢には悪いけど、ありがとうって心から言いたいね。

 紅竜様を受け入れるかどうかなんて話が上がっているらしいけど、馬鹿だねえ。歴史の転換点にいる事に気付いてないんだろ。

 こんな遣り甲斐のある仕事なんて無いぜ?

 最も、式典官ゆえにそう思うのかもしれないがな。

 さあ張り切って、新しい体制を作ろう。

 次の大祭も、酒が美味いだろうなあ。

 今年は水竜様と紅竜様の、二神を奉るもの祭りになるだろう。

 願わくば、酒も二倍振舞って欲しいもんだ。

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