第3話:冷徹皇帝、陥落
第3話です。
ようやく物語が動き出し、元婚約者側にも不穏な空気が漂い始めました。
本編の後に「後書き」もございますので、そちらもぜひ。
「——ゼノス様、本当にお歩きにならなくてよろしいのですか?」
エルサは困惑していた。
現在、彼女はゼノスの腕の中にすっぽりと収まっている。いわゆるお姫様抱っこというやつだ。
先ほどまで死の淵にいたはずの男は、エルサの即席ポーションを飲み干した瞬間、全盛期以上の魔力を取り戻し、軽々と彼女を抱え上げたのである。
「気にするな。命の恩人を、こんな泥濘んだ森の中に歩かせるわけにはいかない」
ゼノスの声は低く、心地よく響く。
至近距離で見る彼の顔は、やはり恐ろしいほどに整っていた。冷徹と噂される氷色の瞳は、今やエルサを壊れ物でも扱うかのような熱を帯びて見つめている。
「ですが、私はただの薬師ですし、体力だけは自信があるんです。お城にいた頃は、毎日地下の魔力炉と水源を三往復していましたから」
「……三往復だと? あの重労働で有名な魔力炉をか?」
ゼノスが眉をひそめる。
普通の魔導師なら一回の点検で魔力を使い果たし、三日は寝込むと言われる作業だ。それを「ただの薬師」が毎日こなしていたなど、嫌な予感しかしない。
「ええ。王子のカイル様には『掃除しかできない無能』と言われていましたけど」
「……その王子は、目が腐っていたようだな」
ゼノスは吐き捨てるように言い、彼女を抱きしめる腕に力を込めた。
彼の国——アステリア帝国は実力主義だ。これほどの逸材を、しかもこの若さで使い潰し、あまつさえ追放するなど、国家レベルの損失を通り越して喜劇でしかない。
「エルサ。俺の国へ来れば、もうそんな雑用はさせない。お前には、お前だけが望む研究を、最高の環境でさせてやろう」
「研究……ですか? 私、ただ美味しいお茶を淹れたり、みんなの疲れを取る薬を作るのが好きなだけなんですけど……」
「……ふっ、それだけで十分だ。俺も、お前の淹れた茶を飲んでみたくなった」
冷徹皇帝と呼ばれた男が、初めて微かな笑みを浮かべた。
一方その頃。エルサが去った王国の謁見の間では、異変が起き始めていた。
「——カイル様ぁ、どうしてかしら。魔法の調子が少し悪くて……」
新聖女に指名されたアリアが、困惑した声を上げる。
彼女の前にある大きな水晶玉——国中の結界を維持するための魔力核が、嫌な色に変色していた。
「何を言っているんだ、アリア。お前にはエルサ以上の『光魔法』の才能があるんだろう? さっさと魔力を流して、この不気味な色を消してくれ」
「やってますわよ! でも、いくら光を当てても、奥の方のドロドロが消えないんですもの!」
カイル王子はいらだたしげに貧乏ゆすりをした。
エルサがいた頃は、この水晶玉は常に透き通った青色をしていた。彼女が首輪(魔力抑制具)を通じて、無意識に膨大な魔力を注ぎ込み、不純物を浄化し続けていたからだ。
だが、今のカイルにはそれが分からない。
彼は窓の外を見て、さらに絶句した。
「……おい、庭の花が。……枯れているのか?」
昨夜まで咲き誇っていた王宮の薔薇が、首を垂れ、どす黒く変色している。
さらに悪いことに、王都を流れる川からは、下水のような嫌な臭いが漂い始めていた。
「エルサのやつ、最後に何か細工でもしていったのか……? いや、あんな地味な女にそんな度胸があるはずがない」
カイルは自分に言い聞かせるように呟いた。
彼らはまだ気づいていない。
自分たちが「無能」と呼んで追い出した少女が、この国の酸素であり、水であり、命そのものだったということに。
そして、彼女を救ったのが、大陸一の軍事力を誇る帝国の、恐るべき皇帝であるということも。
「アリア、すぐに神官たちを呼べ! 掃除が足りないんだ、磨けば元に戻るはずだ!」
王子の叫びは、虚しく静まり返った大聖堂に響くだけだった。
王国側、いよいよ不穏になってきましたね。
一方その頃、エルサは帝国の豪華さに目を丸くすることになります。
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