第2話:行き倒れの美青年
お読みいただきありがとうございます。
今回は、運命のヒーロー(皇帝陛下)との出会い回です。
エルサの無自覚な規格外っぷりを楽しんでいただければと思います!
「……はぁ、……っ、ここまで、か……」
国境付近、人跡未踏と言われる『沈黙の森』の奥深く。
そこに、一人の男が力なく横たわっていた。
漆黒の軍服には鋭い爪跡が刻まれ、そこから流れる鮮血が地面を汚している。だが、彼を蝕んでいる真の脅威は傷そのものではなかった。
「……ぐ、あああぁっ!」
男の胸元から噴き出す、どろりとした黒い霧。
それは、大陸でもっとも恐れられる『絶望の呪い』だ。
ひとたび発症すれば、本人の魔力を燃料にして内側から肉体を焼き尽くし、周囲の命をも枯らし尽くす死の病。
現に、彼が寄りかかっている大樹はみるみるうちに炭化し、周囲の草花は悲鳴を上げる暇もなく腐り落ちていた。
(意識が……遠のく。……俺は、こんなところで、野垂れ死ぬのか……)
男——アステリア帝国の若き皇帝、ゼノスは薄れゆく視界の中で自嘲した。
最強の魔力を持って生まれたゆえに、誰の手にも負えない呪いを宿してしまった孤独な王。
もはや、彼の苦しみを理解する者も、その体に触れられる者もこの世にはいないはずだった。
「あら? 大変、ずいぶんひどい『魔力詰まり』ですね」
唐突に、場にそぐわない穏やかな声が響いた。
死の霧が渦巻く中を、一人の少女がひょいひょいと歩いてくる。
手には古びたカバンと、さっき摘んだばかりのような野草を抱えて。
「よ、寄るな……! バカか、死ぬぞ……っ!」
ゼノスは残った力を振り絞って叫んだ。
だが、少女——エルサは、止まらなかった。
あろうことか、彼女はゼノスの胸元から溢れ出す黒い霧の中に、素手を突っ込んだのだ。
「ひっ……!?」
ゼノスは絶望に目を剥いた。
次の瞬間、彼女の腕が腐り落ちる光景を想像し、顔を背けようとする。
——しかし、起きたのは「破壊」ではなく「救済」だった。
「よしよし、いい子ですから、大人しくしてくださいね」
エルサが微笑むと、彼女の指先から柔らかな、それでいて圧倒的な密度の純白の魔力が溢れ出した。
その光が黒い霧に触れた瞬間、パチパチと弾けるような音がして、禍々しい気配が霧散していく。
「な……っ!? 呪いが、消えて……?」
「お掃除のコツは、汚れの核を優しく包み込んで、光で溶かしてしまうことなんです。王宮の地下にある巨大な魔力炉の煤払いに比べれば、この程度、可愛いものですよ」
エルサは事もなげに言うと、カバンから小さな乳鉢を取り出した。
その辺に生えていたしなびた薬草を放り込み、指先から一滴、透明な雫を垂らす。
その瞬間、薬草は黄金色の輝きを放つ液体へと変化した。
「はい、これを飲んでください。少し苦いかもしれませんけど、効き目は保証します」
「……あ、ああ……」
ゼノスは呆然としながら、差し出された液体を口にした。
喉を通った瞬間、五臓六腑に染み渡るような清涼感が駆け巡る。
数年間、彼を苦しめ続けてきた「内側から焼かれるような熱」が、嘘のように引いていった。
「信じられん……傷が塞がるどころか、魔力回路の傷跡まで修復されている。……君は、一体、何者なんだ?」
ゼノスが顔を上げると、そこには聖母のような慈愛——ではなく、自分の空腹を思い出して「お腹空いたなぁ」という顔をした、年相応の少女が立っていた。
「私ですか? 私はただの……いえ、元・聖女の『しがない薬師』です。今日、婚約破棄されて追放されちゃったところなんですけどね」
「……追放?」
ゼノスは立ち上がり、彼女の手を取った。
その目は、もはや死を覚悟した者のそれではない。
獲物を見つけた猛獣のような、鋭く、そして熱い光が宿っていた。
「これほどの力を持つ者を、追放したというのか。……その国は、正気か?」
「ええ、まあ。王子様には『地味で役に立たない』って言われちゃいました」
「……そうか。ならば、その愚か者に感謝しなくてはな」
ゼノスはエルサの手を強く握り、その唇に、誓いを立てるように己の額を寄せた。
「エルサと言ったか。俺の名はゼノス。……命を救われた。この恩、お前の全人生をかけて返させてもらおう」
「えっ? 全人生……? あの、お礼ならパンとかでいいんですけど……」
「パンなどいくらでもやる。城ごとやる。……さあ、行こう。俺の帝国へ」
こうして、史上最強の「冷徹皇帝」が、一人の「地味な薬師」に陥落した瞬間であった。
皇帝陛下、チョロ……いえ、一目惚れでしたね。
自分の凄さに無自覚なエルサは、これから帝国でさらにやらかしていく予定です。
次回、いよいよ帝国へ。よろしくお願いいたします!




