02. 姫君と略奪者
ビビアナは家族の安らかな眠りを祈ることも許されぬまま、引き摺られるようにして十数台かあるうちの一番後ろを走る馬車に乗せられた。無論貴族の娘が乗るようなものではない。大人数を運ぶことだけを考えた、座席も何もない牢のような、薄暗い荷馬車だ。
彼女は静かに体を丸め、膝を引き寄せた。
「いいなぁ、手柄を上げた兵は今頃ウォルデール城で宴だろう? なんで俺たちは駄目なんだ」
「戦が終わったってのに、兵士たちが戦地でだらだらできるか。守りが緩んだうちに攻め込まれたらどうする」
馬車には帝国兵の男たちも数十人ほどいたが、恐らく皇帝の指示からか、ビビアナに手出しはしなかった。あるいは、ああなるのが怖いのだろう。
不安げに辺りを見回すと、もう夜なのかほとんど暗闇で、そして風は冷たかった。すっかり渇いた唇と泣き腫らした目の下がちりちりと痛む。しかしそれも、家族が受けた辱めとは比べ物にならないのだ。彼女はささやかな痛みを通じて、自分がみっともなく生きているのだと実感した。
「それにしてもひでえ臭いだ。本当にウォルデールの高貴な王族様なのか? あの方の命でなきゃ殴ってやったのに。ちいせぇのはよく吹っ飛ぶぞ」
蹲るビビアナのすぐ傍で囲いに背を預けていた兵士が大袈裟に声を上げた。横を見ると、鼻を押さえている。臭いが気になるのだろうか。
「ま、泣いてもうるせぇだけだろうがな」
男の言葉に、別の男が反応する。
「騒ぐな。女が吐くなんて珍しくもなんともないだろ。弱っちいんだから」
こちらの男は呆れのまじる控えめな声をしていた。
「はっ、お嬢ちゃん、よかったな。俺たちみたいな兵士の慰みものにならずにすんで」
「それを言うならあんたの方だろ? 全く運がいい。加勢する寸前にあの方がいらしたんだから。もう少しで死んでたぞ」
「あれは俺だってひやひやしたが、まあ仕方ねぇだろ。肌も、髪も、なんなら声も、田舎の女とは全然違う」
「そうか? ……だがな、俺たちも帰ったら宴だぞ。溜まってる分酒を浴びればいい」
「酒と女は違えだろうが。はー、やっぱり俺も、あのでけえ城に残りたかったよ。……ったく、あの方だって素直に楽しめばいいものを。まだ十八だろう? お坊ちゃまでもないってのに」
「悪魔と人間じゃ体のつくりが違うのさ。人を殺したってなんとも思っちゃいないんだ、恐ろしい。俺たちみたいにわざわざ女や酒で発散する必要がないのさ」
辺りがざわざわとし始めた。まるで扇子の裏で囁く、貴族たちの談笑のようだ。思ってから、いいや全然違うと首を振った。ウォルデールの人々は誰だって、これほど下品な笑い方はしないと。
「おい、お前ら黙れ。女に聞かれる」
「はっ、分かるわけがねえだろ。亡びちまった国とは言葉がちげぇんだからよ」
皇帝の端正な発音とは異なり、恐らく地方の訛りが強い帝国語がいつの間にかあちこちで飛び交っている。しかし、全く聞き取れないのは幸いだった。ろくなことを話していないだろうから。
ビビアナは硬く目を閉じる。この胸を圧迫する悍ましい感覚は、悪夢の形とよく似ていたから。
その夜はやはり悪夢を見た。夢でまで家族は殺された。
兵士が、青年の胸に次々と剣を下ろす。
──ビビアナ、見るな! 逃げろ!
夢の中で、兄はそう叫んで死んだ。
扉の隙間から覗いた彼女と、母の目が合う。
──どうして逃げなかったの? どうして黙って見ていたの!
ビビアナは耳を塞いだ。
──やめて、痛い。やめて……。
姉たちは啜り泣きながらそう訴えていた。
そして。
──生きのびなさい。
「おい、起きろ」
大きく体を揺すられて、目が覚めた。どうやらビビアナは眠っていたらしい。帝国に着いたのだろうか。
上半身を起こすと、腹の辺りでばさりと音がする。
視線を下げると、そこには長袖の薄汚れた、未だ血の臭いが染み付く軍服がある。ブランケットの代わりに掛けられていたらしい。
そして彼女が頭を付けていた辺りには、雑に畳まれたものがもう一着と、その上に泥や雨の臭いがする鞄が置かれている。恐らく元々は食料や水袋が入っていたのだろう。軍服に付着した血の臭いを紛らわせるために中身を出し、それを覆ったらしかった。
馬車の揺れは収まっている。周りを見てみると、何人かの兵士たちが薄着で座っているのが見えた。夜を越すのに、このような小さな子供では死んでしまうとでも思われたのだろうか。
感謝を述べるのは、瞬きをするように容易なことだ。けれど、ビビアナがそれを口にすることはなかった。帝国語での言い方を知らなかったのではない。むしろ体に染み付いていた。基本的な会話文は何度も口に出して覚えたから。
気持ち悪い、と腹の底から思う。
──どうして? なぜわたしにこんなことをしたの? ……人殺しのくせに。
まるで善人であるかのような気遣いが、彼女には心から恐ろしく思えたのだ。家族を殺しておいて、人間でいるつもりなのかと。しかし、吐き気はなんとか我慢する。
「早く降りろ」
彼女を起こした兵士が、短くそう言った。恐らく降りろとのことだろう。
ビビアナは言われた通りに馬車を降りると、男たちも次々に地に足を付ける。こんな時にも太陽は陽気で眩しくて、地の底で絶望するビビアナを拒絶する。
そこは帝国でも、国境の森付近ですらなかった。流石に一晩では辿り着けなかったらしい。
ではどこなのかと思い振り向くと、そこは王城には及ばずとも広大な敷地を持つであろう、邸宅だった。造りから見てウォルデールのものに違いないが、どこの貴族のものかと問われれば名は出てこない。
兵士たちはビビアナを横目にぞろぞろとその屋敷へ侵入する。その手には武器を持っていた。
嫌な予感がしてそれを追うと、やはり彼らは硬く閉ざされた両開きの大扉を、力尽くで開けようとしている。斧や荷馬車に積んでいたと思われる丸太でひたすら扉を打ち付けるという、品のないやり方で。
逃げも話しも抗いもしない扉は、やはり男たちに負けた。耳を塞ぎたくなるような音が響いて、その次に短い悲鳴が飛び出してくる。
「あ、あなた方を客人として持てなしましょう。それをお望みでないのなら、家長である私の首を持ち帰りなさい。……ですから、ど、どうか、家族の命だけは」
兵士たちの嘲るような笑い声。ホールの中央に立っていた壮年の男が、こちらに頭を下げている。その男の姿を見て、ビビアナはここが子爵邸であることを確認した。
兵士たちは子爵家の者たちを縛り上げ一室に閉ざすと、広い玄関ホールにテーブルや椅子を運び出して宴を始めた。最も位の高い上席には皇帝が座っていると思ったが、不思議なことにあの男はいない。
屋敷全体に、子爵家の貯蔵庫を無理矢理開けてきて運び込んだであろう酒の香りが充満していた。血肉よりはましであるが、吐き気がするのは変わりない。
兵士の中にははテーブルにブーツを履いたままの足を乗せ、そのまま天を仰いで寛いでいる者もいた。
「おい。本当にいいのかよ、貴族の屋敷なんて。あの方になんて言われるか」
「忘れたか? ──『戦利品はどうしようと構わん』つってただろ。この国はもう俺たちのもんさ。それに、食いもんもほとんどなかったんだ。亡国の姫さんも、俺らの硬いパンじゃ満足できねえだろうしなっ」
相変わらず聞き取れない言葉と濁音混じりの下品な笑い声ばかりが響き、居心地が悪い。ビビアナは階段の一段目に座ってぼんやりと足を揺らした。
「おい、お前も食え。死なれちゃ困る」
兵士の一人がビビアナに、何かを言って肉の盛られた小皿を差し出してきた。小さくカットされているがぴりっと香る香辛料の乗った、柔らかく贅沢なものだ。子爵家の料理人が慌てて作ったものらしい。こんな時にも美味しそうに見えるのは、やはり腕がよいからなのだろう。
けれど、彼女は首を振る。他の家のものを略奪なんてしない。誰がお前らと食事するものか。そう怒りが湧いた。というのもあったが一番は、肉そのものを見たくなかったからだ。口に入れたらきっと、吐き出してしまう。
しかし男らは皆、よく肉を食べていた。あの健康的な色のものを、まるで人を殺したときのように楽々と口に運ぶ。
目を伏せて唇を嚙んでいると、年老いた男に声を掛けられた。子爵家に仕えている者らしく、執事の制服を着ている。
「ビビアナ様、侍女に体を拭かせましょうか?」
薄汚い王女を哀れに思ったのだろう。しかし彼女はそれも断った。一時でも兵士たちの視界から外れれば、逃げようとしていると思われかねない。それに、許可されても近くで監視されるのが嫌だった。
「さようでございますか」
男はどこか納得のいかない表情で、けれども優しく微笑む。それはどこか慈愛深いものだった。
「では、せめてこちらをお食べください。お野菜だけを挟んであります。後で果実水もお持ちしましょう」
ビビアナは彼がこっそりと渡してくれた柔らかなサンドイッチを、泣きたくなるのを堪えながら静かに咀嚼した。




