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皇帝陛下の傍飾り  作者: 白川雪道
一章 珠は栄華に眠らんと欲す
10/11

10. 鮮血を被った乙女

残酷な描写があります




 向けられた視線は随分と刺々しいものであったが、あの男のものよりは随分と柔らかく感じる。空気感はあまり似ていないのだなと微かに思った。──あぁ、親子仲は悪いのであったか。側室の子供というだけでなく、性格も合わないのかもしれない。

 今すぐにも剣を向けられそうな空気感の中、ビビアナは吐くべき息を呑んだ。


「そう堅くならずともよい。表を上げよ。……なんと、美しい娘だ」


 しかし王は予想外の反応をして薄く笑う。周りの家臣らもそれに合わせて微笑を零した。

 目が、合わない。

 反応は悪くなさそうだが、息子と同じく調子が分からない。喜んでいるのか、怒っているのか、哀しんでいるのか、それとも楽しんでいるのか。あるいはそのような感情など、もとより持ち合わせていないのか。

 ビビアナの不可解な視線に気がついたのか、皇帝はその乾いた薄い唇をそっと動かした。


「これまで閉じ込めてばかりですまなかったな。そなたのことは気にかけておったのだが」


 優しげに飛ばされたその言葉がやけに胸に詰まる。気にかけていた? そう感じられるような心当たりは全くなかったが、無難に微笑みを作ることにした。


「暮らしぶりはどうだろうか。不自由はないか?」


 とは言いつつ、彼女の抗議などは受け付けないのだろう。それもそうだ。ビビアナは何の身分もない小娘。

 あなた様の仰る不自由というものを一つ一つ挙げるよりも、自由なことを数えた方が遥かに早いのですが。だなんてことは、決して言える立場ではない。


「そのようなことは。このわたしには勿体ないような待遇です。陛下には心から感謝しております」


 そんなわけはないのに、嘘はするすると滑らかだった。恨みならまだしも、感謝したことなど一度だって。


「それはよい心がけだろう」


 しかし、今更何の用だと言うのだろう。ビビアナを生かしたのは彼の息子の気まぐれで、この男が指示したことではなかったように思えたが。しかしあの頃は帝国語も完璧ではなかった。訳し方が異なっていた可能性もある。


 ──一体わたしに、何を求めているというの?



「ウォルデールはなんとも、美しい国であったな」


 幾らかの沈黙の末、皇帝は口を開いた。どこか遠くを見つめて。

 その言葉にだけは、ビビアナも強く頷ける。


 国を潤すための戦争が悪だとは思わない。しかし、あんな風に国を殺されるなどとは思っていなかった。野蛮な帝国人は、父を、母を、兄を、姉を、そして民を。そう、どうしてあんな風に……。


「城の装飾にはウォルデールの石も用いているのだ。八年前に逝った妃も、かの国の首飾りを随分と気に入っていた」


 妻を亡くしている、ということだろうか。それはあの男を生んだという側室の方か、あるいは。この男には何人の妻、どれほどの跡継ぎ候補がいるのだろう。


「左様でございますか」


 事務的に返事をすると、男は目元を歪めて嗤う。

 

「そなたの瞳も、それに似ている」

 そうは言うものの、皇帝はこちらを見ていなかった。

 

 瞼が熱を帯び、震える。かつては王族としての身分を示したその緑。もう何の意味もないその色に。


「光栄にございます」


 なんとかそう言いながら、ビビアナは美しい祖国を思い描いた。賑やかな城下。美しい宝石たち。南に広がる山地は空を支え、いつしか雪を被る。そこから春になると、雪解けの恵みが幾筋も流れてゆくのだ。一面に広がる若草はウォルデールの安らぎだった。

 彼女は、父の大きな手が好きだった。賢く逞しい兄が好きだった。母や姉が時折口ずさむ、たゆたう春風に乗せた子守唄が好きだった。


 だから、この国には腹が立って仕方がない。

 いつまでも煮え切らない思いを、神はどう処理しろと言うのだろう?


「あれはよい地だ。緑豊かで、美しい石を持ち、穏やかな国だった。ああ、そなたの父も賢明な男であったな」

 どの口が。そう罵ってやりたかった。けれどもそうしたところでウォルデールが戻ることはない。彼女たちは既に負けているのだから。


「そして」


 王の目が初めて、ぎろりとこちらを捉えた。

 年老いたその瞳。しかしどうしてか皮膚が泡立つ。


「──そして、実に愚かであった」


 呆れたような物言いに、血液が急速に温度を下げてゆくのが分かった。

 ──愚か、愚かですって……?

 どっと、皮膚の上に汗が浮く。困惑と怒りが染みてゆく。


「そうだ、そなたは知っているだろうか? ウォルデールの王冠、王座を示すそれの持つ価値を」


 しかし王は目の前の娘の思いに気がつかぬとでも言うように、ぶつぶつと言葉を並べた。

 

 ──王冠? 何を……。


 ウォルデールの鉱山からとれる石たち、そしてそれらで彩られる装飾品はどれも一級品だ。しかし彼が言うのは、恐らくそういうことではないのだろう。そんなものは、わざわざ面と向かって問うことではないのだ。


 王冠とは多くの国が用いる、王の象徴であるという。しかし、ウォルデールにはそれが存在しない。ウォルデール王は他の国と異なり、王笏によって王位を得る。冠は王座を示さないのだ。


「どういった、意味でしょう」


 嫌になる。帝国人は回りくどい言い方しかできぬのだろうか。


 ビビアナが帝国語を学ぶ際に苦戦したのはその部分だった。どの国の大人も、言葉を言葉の通りに使おうとしない。大人になればなるほど、高貴な者であればあるほど、少しの言葉に多くの好奇と苦みを隠す。


「なるほど」


 皇帝は伸ばしているであろう髭に触れ、目元を歪めてみせた。


 瞬間、空気が一変する。


「だが……知らぬとは言わせぬぞ、亡国の姫君よ」


 思わず肩が跳ねる。その声は彼女の骨にまで響いた。地を這うような鈍い音。

 先程までのくたびれた様子は、もはや窺えない。突如現れた高圧的な態度。なるほど本性はこちらかと、もう一人の冷静な自分が溜息を吐く。しかし勝ったのは恐怖の方で、指先一つ動かせなかった。


「そなたの国を征服し、実に二年半が経った」

 退紅の細い毛髪を乱雑に混ぜながら、皇帝は立ち上がった。苛立つように靴音を立て、彼女の恐怖を煽る。


「……あぁ、おかしいとは思わぬか! 探しても探しても、一向に出てこようとはせぬ」


 皇帝の言葉は徐々に荒々しくなり、彼女の頭を雷雨のように打ち付ける。


「いっ」

 反射的に喉が絞られた。突如、視点が大きくずれる。


「あれが連れてきた小娘をいたぶるのは憚られたが、この王の時を無駄にした罪は重いだろう」


 旋毛に新鮮な痛みが走っている。目が開けられない。

 王が彼女の髪を摑んで上に向けさせたのだ。血は流れていないようだが、額が露わになっており、汗が滲む。


「言え! そなたの国は、あれを一体どこに隠した!」


 痛みを堪えながら瞼を持ち上げると、感情的な皇帝の顔が、すぐそこにあった。


「……な、んの、ことでありましょう」


 理不尽さに目眩がしそうだった。どんなに責め立てられようと、何も知らぬのだからそうするしかない。


「確かにわたしは、仰るとおり、王族の血筋、でございますが。陛下のご期待には、きっと、応えられ、ません……!」

「しらを切るか!」


 あまりの痛みに涙が滲む。ビビアナだって、応えられるものなら応えたかった。


「いいえ。──なんの力も持たない小娘を暴力で捩じ伏せる、というのが、帝国のやり方なのでしょうか。まあわたしったら、何も知りませんでしたわ。お恥ずかしい」


 せめてもの抵抗で、静かに火花を散らす。すると皇帝は不愉快そうに目元を歪めた。

 そこでようやくはっとする。

 微かに動かした視界に入るのは、皇帝と家臣らが腰に吊す長剣。


「愚かな。家族のように無様な死に方を望むか!」


 おかしなことを。あんな風に家族を殺したのは、あなたたちなのに! そのような言葉が口を出そうになったが、形にする前に、男の腕に力が入った。


 摑まれていた髪を払われ、体が地に叩き付けられる。腕で頭を守ろうとしたものの、間に合わなかったようだ。頭や肩に悍ましい衝撃が走る。誰かの声か、それとも床から放たれた音か、不思議な鈍さが木霊した。


「小国風情が、不躾な……」

 

 いっそ気絶した方がよかったのに、とおもう。それでも意識は飛んでくれなくて、頭の打った辺りを押さえながらゆっくりと上半身を起こした。それでも耳鳴りは続いていて、痺れと共に視界がぐらぐら揺れている。


 そこから暫く、彼女は動けなかった。

 体と意識が切り離されているような感覚。思考が働かない。時がぬるく止まったかのように。頭がまっしろで、きりきりとした音以外はなにも。鮮度の落ちた五感。つかめない夢のように。するすると。


 放心。


 その時のビビアナの頭に浮かんでいたのは、困惑だった。

 痛む頭を撫でる。ぬるりと滑った。

 ──いたい。な、にが、起きて……。

 これまでに殴られたことも、蹴られたことだってない。鞭を打たれたことはあるが、これまでの痛みではなかった。


「やはり躾が足りなかったか。この、愚か者め!」

 肩を蹴られ、よろめく。不思議なほどに、何も感じなかった。事態が飲み込めない。


 皇帝の顔は赤く赤く、血が詰まっているよう。

 いっそ滑稽なほどに現実味のないその光景に、自分の両眼が信じられなくなる。


 そして気がつけば、彼の腰元の剣がぎりりと身を出そうとしていた。どうやら皇帝は、瓜二つの息子よりも遥かに短気であるらしい。


「陛下、いけません!」


 彼女が冷静になるよりも先に声を上げたのは、意外にもカーティスであった。しかし皇帝はすっかり激高しており、そのようなものに意味はない。


 二年半もビビアナを生かしていたのだ。恐らく何らかの理由があって。ならば、何も考えずに彼女の首を刎ねるということはないかもしれない。しかし、腕の一本、目の片方、足の腱、死なない程度に痛め付けられる可能性ならば、十分にある。


 ──よけな、ければ……。

 彼女の思考は多少の冷静さを取り戻したものの、体はふらつくばかりで、まともに動きはしなかった。


 その銀の身が完全に露見するという瞬間。


 背後から、その緊張を断ち切る不自然な音が聞こえた。


「何だ」

 そう呟き、皇帝も手を止める。ぼんやりする頭だけを動かし振り返ると、あれだけ重々しかった扉が開かれていた。それも来客自らの手によって。しばしの間静寂が訪れる。


 まずそれを破ったのは、この場の支配者である皇帝だった。


「イェンス。貴様、何をしに来た!」


 先程までの勢いのまま怒号を吐き、現れた男を睨みつける。


 ビビアナは思わず身震いした。見えるのは、血に濡れたような赤い髪。そしてそれよりも更に濃い瞳。

 生々しい恐怖が、彼女の意識を完全に覚醒させる。


「お久しぶりです。皇帝陛下」

 新たな来客がそう告げたのを、皆黙って聞いていた。

 瞬きなんてできない。いつも高圧的な態度を取っていたものだから、そのように丁寧な言葉遣いができるとは思わなかった。


「イェンス……」

 皇帝が呼んだその名を、唇でなぞる。イェンス。慣れない響きが身体中を巡り、体温が下がるのを感じた。


 ばち、と火花が散る。目が合った。


 かつかつかつ、と、イェンスと呼ばれた男はこちらに歩みを進める。部屋に焚かれた炎をてらてらと反射するその切っ先が、彼女の精神をぞわぞわと撫でつけた。

 知っている。どこかに既視感を覚えていた。あの時のように、まるで血を求める獣のようだと。


「何の用だ? 無礼な。母親があれなら子も子だな。やはり王位は……」


 皇帝の言葉が半端な場所で途切れる。彼女の唇の隙間からも、あ、と微かに声が出た。


「お静かに。息子として、父の苦しむ姿は見たくありません」


 嘘吐き。


 思わず口元を押さえる。


 鮮血を欲していた長剣は、皇帝の腹部を貫いていた。破れた箇所からじわりと広がる赤い染み。切っ先にも紅が伝い、中央に敷かれた絨毯の上に染み込む。赤を帯びたそれは艶やかに輝き、その場の全ての目を奪っていった。


 皇帝ははくはくと唇を動かし、息子の肩に手を置いてゆっくりと目を合わせる。怒りすらをも滲まることができない老けた目元は、頼りなく震えていた。

 つい先程までビビアナを痛めつけていたとは思えないほどに、弱々しい。


 沈黙に退屈したように剣が引き抜かれると、皇帝の体に巡っていたその血液が散る。

 すぐ足元で腰を抜かしていたビビアナにも、その飛沫は付着した。

 皮膚の上に気持ちの悪い温度が広がる。睫毛にも落ちたようで、視界の隅が何かに覆われていた。


 先程まで王座に身を預けていたその男が、膝から崩れ落ちる。

 その手は縋り付くように息子の体を這っていたが、やがてそれも力を失った。


 いっそ喜劇だと言われた方が信じられるような、その光景。


 ──その挨拶がほんの少し先であれば……。

 そうだ。確かに彼はそう言った。しかしこんなこと、誰が予想できただろう。


 目眩がする。また吐いてしまいそうだった。


「フロレンツィア様!」


 遠くでカーティスの声がする。けれども眼球が彼の輪郭を捉える前に、彼女の意識は落ちていった。




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