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鼻腔をくすぐる馥郁  作者: 人鳥迂回


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1/3

前編

短編です

 神宮寺啓介じんぐうじけいすけは鼻腔をくすぐる焙煎の香りに導かれ、喫茶店「ルブラン」に訪れようとしていた。

 後輩である冬霞雪音ふゆがすみゆきねから何度もしつこく誘われ、五回目にして断ることも億劫となり共に出かける約束を取り付けられる。雪音の心情は知らず、啓介はデート等と浮ついた物だとは考えていない。

 雪音からの誘い文句も「新しい謎を探しに行きましょう」と言われたからだ。雪音からの照れ隠しを額面通り受け取った啓介は新たな謎を求め、嬉々として街へと繰り出した。


 二人の関係性を一言で表すのなら学校の先輩と後輩で探偵部というたった二人の部活動を行っている。探偵に憧れを抱く啓介が創り上げた探偵部。これまでも失せ物探しから、校内で亡くなった女子高生についてなど様々な謎を解き明かしてきた。


 二人では部活として認められない校則も、冬霞雪音の前では無いに等しい。雪音の家は冬霞グループで、この辺り一帯を治めていると言っても過言ではないほど力を持っている。学校の運営資金も冬霞グループが出しているため、学校としては雪音の要望に陰ながら応えなければならないのだ。

 

 そして冬霞雪音は、名が体を表すように雪のように白い髪をしており、霞のように儚い女子だった。幼い頃に見た目で揶揄われた経験から常に大きなキャスケット帽を被って生活をしている。

 校内で生徒たちと一緒に授業を受けることはなく、律儀に登校し探偵部の部室に居座っているが、学校としては自宅で学習を勧めている。しかし、雪音は啓介に会うため学校へと登校している。

 啓介が謎にしか興味を持たない性質上、雪音の見た目や家の位に無関心で普通の人として接してくれる事が嬉しかったからだ。段々と啓介に懐き、次第には啓介の行動を全て容認する都合のいい女になっていた。


 当の啓介は雪音が自分にとって便利な存在であることには気付いているが、向けられている感情の重さには気が付いていない。

 本日も五回ほど誘われている事にさして疑問も持たず、謎を餌に釣られてしまったのだ。


 そんな啓介を雪音は一言で評している。

『謎狂い』と。



「ふむ。雪音はまだ来ていないみたいだね。自分から誘ったというのに困ったものだ」


 時計を確認すると約束していた時間の十五分前であった。啓介は早め行動を心がけており、雪音が遅刻をしたわけではない。しかし啓介が雪音を待っていることは事実のため、ひとり無意味なつぶやきをこぼす。


「女性は支度が長いって聞くけど、僕と出かけるだけでお洒落しなくていいと思うけどな」


 啓介の格好は無地のティーシャツに群青が濃いジーンズ。歩くことも想定してスニーカーを履いている。肌寒い季節に差し掛かろうとする頃のため、ジャケットを持ってこようか迷った末に、荷物となることを懸念して止めていた。

 服を着替え、軽く身だしなみを整えるだけで外出をしている啓介は、起床してから三十分も経っていなかった。


 喫茶店で話したいという雪音に店を選んで貰った結果、待ち合わせ場所に指定されたのは「ルブラン」だった。古くからある喫茶店らしいが、最近改装して新しめの外装をしている。若い女性客や観光客からの収益を目論んでいるのだろう。

 喫茶店の外で待つ啓介からすれば、コーヒーの香ばしい匂いに鼻腔をくすぐられながら待つ時間は拷問に等しかった。数歩行けば店内に辿り着き、香りの正体を胃に流し込めると言うのに、待ち人が来ないせいで些細な願いも叶わない。


「喫茶店で待ち合わせって言われてるだけだし、中で待ってても良いよね。外で待っててなんて一言も言われていないし」


 スマホを取り出し、雪音からのメッセージを確認すると「「ルブラン」という喫茶店でお話をしましょう。現地集合で」と簡潔な文章が目に入る。

 こういう時は待っている方がいいと、名前も知らない女性芸能人が言っていた記憶が朧気にあり実践していたが、啓介には合わなかった。


 スマホをポケットに仕舞い、店の入口へと歩みを進める。

 扉越しに中を確認すると、テーブル席がひとつ使われているだけで空席が目立っていた。それでも室内は閑古鳥が鳴いている雰囲気ではなく、安らぎの空間が流れている。

 

「雪音は中々センスが良いのかもしれないね」


 未だに来ていない待ち人を褒めてから啓介がルブランの扉を開けると、テーブル席からうめき声のようなものが聞こえてくる。

 騒がしい客がいるなと、特に気にせずルブランの中へと啓介が足を踏み入れた瞬間、テーブル席に座っていた男が床へ転がり落ち喉を押さえて苦しみ始めた。

 異様な光景に、ルブランのマスターとテーブルに座っていた男三人が倒れた男に駆け寄る。男はペンを握りながら必死に藻掻き苦しんだ後、力がけたように動きを止めた。

 

「おい、ケビンっ。どうしたんだ。ケビンっ。き、救急車を呼んでくれっ」


 男たちは必死になって倒れた男に声を掛けるがその声は届くことなく、男に反応はない。

 マスターが固定電話の元へと走り、震える指で救急車を呼んでいた。


「(倒れた男は外国人かな?顔立ちでどこの国か分からないけど。駆け寄った男三人は日本人。マスターも日本人。あの外国人がうめき声を上げて倒れるまで少しだけ時間があったから外傷ではないかもしれないね)」


 神宮寺啓介は謎狂いである。

 この場に紛れ込んだ異物は、人が倒れているにも関わらず、特に反応を見せず、淡々と状況を整理していた。



「あ、啓介さん。先に入っていたんですね」


 マスターが救急車を呼んでいる最中、何も知らない雪音がカランコロンと扉に取り付けられたベルを鳴らしながらルブランへ入ってきた。


「丁度いいところにきたね」

「どういうことですか?」


 入口には啓介が立っており、身長の小さい雪音からは中の様子を伺うことはできない。

 啓介の胸のあたりから小さく整った顔を覗かせて店内を見渡せば、倒れて動かない外国人の男と必死に声を掛ける男たち。そして焦りながらも電話をしている店主と、落ち着けるはずの喫茶店が繁忙期の中華料理屋のような慌ただしさを見せていたのだ。


「人が、倒れてます。何があったんですか」

「僕が入っきた瞬間にあの外国人が倒れた。もしかして僕を疑ってる?」

「こんな時にふざけないでください。不謹慎ですよ」

「謎は大体不謹慎なものさ。誰かが被害にあったから謎が生まれる。僕たちは謎が出来上がる貴重な場面に出会しているよ」


 雪音に「入口の看板をCLOSEDにしてきて」と一言告げて、啓介は倒れた男の元へと向かう。


「大丈夫ですか?」

「だ、大丈夫じゃない。ケビンが、急に胸を押さえて倒れたんだ。救急車を呼ばなきゃ」

「マスターが呼んでいますよ」

「ああ、ケビンさん。もうすぐ救急車が来ますよ。頑張ってください」


 返答のないケビンへ必死に声を掛ける男二人。残った一人はその場に立ち尽くして呆然としている。急に変化した状況に頭が追いついていないのだ。

 倒れて動かないケビンの手にはしっかりとペンが握られており、意識を手放した今もその手からペンは落ちていない。


「(倒れる直前まで何かを書いていたのか?)」


 啓介は横目に四人が座っていたテーブルを見た。

 元々ケビンが座っていた場所には手帳が開いて置かれており、そこには『offi』と謎のアルファベットがミミズが這うように記されていた。

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