第99話:時の彫刻と、星への階段
世界の天井、『龍の背骨山脈』。
その麓に立った一行は、言葉を失っていた。
目の前に広がるのは、もはや吹雪ではない。古の竜たちが、死の間際に吐き出した、無念と、生命そのものが結晶化した**『竜の吐息』**。生ける者の「時間」を、一瞬にして喰らい尽くす、絶対的な理の壁だった。
「……道は、ない」
ローランが、その長い人生で初めて、完全な敗北を認めるかのように、静かに呟いた。「これは、戦うべき敵ですらない。ただ、そこに在る、世界の法則そのもの。我々が、重力に逆らえぬのと同じことです」
ミカエラもまた、その神聖な魔力をもってしても、この時間の奔流の前では、自らの存在があまりにも矮小であることを、肌で感じていた。彼女が振るう聖なる力もまた、「生命」の理の内にある以上、この壁を越えることはできない。
仲間たちの間に、重い沈黙が流れる。
だが、アークだけが、その絶望的な光景を、まるで、これから挑むべき、最高のキャンバスであるかのように、その二色の瞳を輝かせていた。
**彼の脳裏には、遥か昔、ドワーフの忘れられた都で見た、あの化石樹の記憶が、鮮やかに蘇っていた。**
**(生命は、時を喰らわれる。だが、あの化石樹は? あれは、すでに数万年の時をその身に刻んでいた。死んでいるのに、生きていた。違う。生と死という理を超え、時そのものと化していた。……そうだ、理に逆らうんじゃない。理の、さらに上を行く理を、僕が創ればいいんだ!)**
「――僕らが、**『時の理』そのものに、なってしまえばいい**」
アークは、仲間たちが見守る中、吹雪の、ほんの手前で、大地に深く、その両手を置いた。
「みんな、僕の周りを守って。少しだけ、骨の折れる『彫刻』の時間だ」
「**『時の彫刻』**!」
アークの魂の叫びに、大地が応えた。
彼の足元から、一本の、巨大な『竜骨聖樹』の根が、天を目指して、力強く芽吹く。それは、生命力に満ち溢れた、美しい白亜の根。
だが、アークは、その成長を、途中で止めた。
そして、今度は、全く逆の理を、その根へと注ぎ込んでいく。
成長ではない。**『成熟』**を。そして、**『枯死』**を。最後に、**『化石化』**を。
数万年かけて、星が行うはずの、生命のサイクルそのものを、彼は、自らの魔力で、ほんの数十秒へと、凝縮・加速させたのだ。
緑色の生命の光を放っていた根が、急速にその輝きを失い、静かな灰色へと変わっていく。木肌は、まるで古の化石のように硬質化し、その表面には、悠久の時を刻んだ証であるかのように、水晶化した樹液が、美しい紋様を描き出した。
それは、もはや生きた木ではなかった。かといって、死んだ木でもない。
生命と、時間の理を超越し、その両方と調和する、全く新しい存在。**『時の化石樹』**。
アークは、汗を滲ませながら、完成した化石樹の根を、ゆっくりと、『竜の吐息』の中へと、押し出した。
仲間たちが、固唾を飲んで見守る。
時間の結晶が、化石樹の根に触れた。だが、それは消滅しなかった。
それどころか、吹雪は、まるで、数万年ぶりに再会した旧友を歓迎するかように、化石樹の周りを、穏やかに、キラキラと輝きながら、舞い始めたのだ。
「……道が、できた」
誰かの、震える声。
アークは、休むことなく、次の根を育て、彫刻し、そして、吹雪の中へと繋げていく。
それは、あまりにも地味で、あまりにも根気のいる、しかし、世界の理そのものを、自らの手で編み上げる、神の御業だった。
アルフォンスとミカエラが、彼の左右に立ち、吹雪の余波から、その身を盾として守り続ける。
やがて、彼らの前には、天へと続く、巨大な、**化石樹の螺旋階段**が、完成していた。
一行は、その、あまりにも美しく、荘厳な階段を、一歩、また一歩と、踏みしめていく。
彼らの周囲を、時間の結晶が、穏やかに舞う。
**それは、もはや、死の吹雪ではなかった。**
**一行の耳にだけ、その結晶に封じられた、古の記憶の囁きが、聞こえ始めたのだ。天を駆けた古龍の、最後の咆哮。星に祈りを捧げた名もなき民の、敬虔な歌声。そして、この山で朽ちていった全ての生命の、哀しくも、気高い鎮魂歌。**
**一行は、ただ山を登っているのではない。この星が紡いできた、悠久の歴史そのものを、その魂で体感しながら、天へと昇っていた。**
どれほどの時間が、経っただろうか。
吹雪が、ゆっくりと晴れていく。
そして、一行は、ついに、その螺旋階段の、最上段へとたどり着いた。
そこに広がっていたのは、絶対的な静寂と、神聖なまでの、清浄な空気に満たされた、広大な、広大な、雲の上の頂きだった。
空には、手が届きそうなほど、近く、そして大きく、無数の星々が、瞬いている。
ここが、世界の天井。**『星見の頂』**。
だが、一行は、その、あまりにも美しい光景に、酔いしれる暇もなかった。
頂きの、その中央。
全ての龍脈が、渦を巻いて収束する、巨大な水晶の祭壇の上で。
一体の、あまりにも巨大で、あまりにも神々しい**「存在」**が、静かに、眠っていた。
その鱗は、夜空の星々そのものを砕き、散りばめたかのように、七色に輝いている。その、とぐろを巻いた巨体は、一つの山脈にも匹敵する。
古の時代より、この聖域を、ただ一人、守り続けてきたという、伝説の**『星竜』**。
一行の到着を、感じ取ったのか。
星竜の、星雲を宿したかのような、巨大な瞼が、ゆっくりと、開かれた。
**その、宇宙の深淵そのもののような瞳が、確かに、一行を――いや、アーク、ただ一人を、真っ直ぐに、捉えていた。**
**それは、敵意でも、殺意でもなかった。ただ、悠久の時を待ち続けた者が、ついに現れた『運命』を、静かに、値踏みするかのような、あまりにも神々しく、あまりにも絶対的な、星々の視線だった。**
**最後の試練が、静かに、その始まりを告げた。**
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