第93話:兄の賭けと、聖女の誓い
「――その神様とやらにじゃなく、この俺に、な」
アルフォンスの、静かだが、絶対的な傲慢さを孕んだ声が、張り詰めた天幕の中に響き渡った。
その瞬間、天幕を包囲していた近衛騎士たちが、主君への侮辱に激昂し、一斉に雪崩れ込んでくる。十数本の、聖なる気をまとった剣の切っ先が、三人の喉元、心臓、その急所全てに、寸分の狂いもなく突きつけられた。
もはや、指一本動かせば、肉を断たれ、骨を砕かれる。絶対的な、チェックメイト。
「貴様! ミカエラ様の前で、その不敬な口を!」
近衛騎士の筆頭が、怒りに顔を歪ませ、アルフォンスの首筋に、剣をさらに深く押し当てる。血が一筋、流れ落ちた。
**だが、アルフォンスは、その刃に一瞥もくれなかった。まるで存在しないかのように、その視線はただ一点、目の前のミカエラの瞳だけを射抜き続けていた。**
その、あまりにも不遜な、絶対的な覚悟。その刃を制したのは、ミカエラ自身の、凛とした声だった。
「――待ちなさい」
彼女は、ゆっくりと立ち上がった。その所作の一つ一つが、気品と、揺るぎない威厳に満ちている。
「……面白いことを言う。人の子よ。貴様は、自らが置かれた状況を、理解しているのか? 貴様の命は、今、完全に、我が手の中にある」
「ああ、理解しているさ」
アルフォンスは、首筋の血を、指で無造作に拭うと、不敵に笑った。
「だが、あんたも、理解しているはずだ。俺たちをここで殺したところで、あんたが探し求めている『答え』は、永遠に手に入らない。あんたは、ただの盲信者じゃない。真実を求める、求道者だ。違うか?」
その言葉は、ミカエラの、心の最も柔らかな部分を、正確に抉った。
彼女の信仰心に生まれた、小さな亀裂。アルフォンスは、その一点を、見逃さなかったのだ。
「……何が望みだ。命乞いか?」
「まさか」
アルフォンスは、この戦いの、あまりにも無謀で、あまりにも美しい、逆転の一手を、静かに、盤上へと置いた。
「――決闘だ」
その一言に、天幕の中の、全ての空気が凍りついた。
「俺と、あんた。一対一の、神聖なる決闘を申し込む。俺が勝てば、あんたたちは、二度とこの村に手を出さず、兵を引く。逆にあんたが勝てば、俺の首も、この村の全ての民の魂も、抵抗なく、あんたたちの神様とやらにくれてやる」
「馬鹿な!」近衛騎士が叫ぶ。「貴様のような異端者に、ミカエラ様との神聖な決闘を汚す資格など!」
「黙りなさい、レジス」
ミカエラは、その部下を、鋭い一瞥で黙らせた。
彼女の脳裏で、高速の思考が駆け巡る。
(決闘……? この状況で? だが、確かに、神の御前における『決闘』は、その勝敗を以て、神の御心とする、古来よりの神聖な儀式。もし、私がこれを受け、勝利すれば、それは、我が正義が神に認められた、絶対的な証明となる。何より……)
彼女の視線が、アルフォンスの、その、揺るぎない覚悟を宿した瞳へと注がれる。
**(この男が、これほどの自信を懸ける『理』の正体。神罰の光すら打ち消した、あの温かい奇跡の根源。それを、この身で、直接確かめる、またとない好機……! もし、この男の言うことに一片の真実があるのなら、この決闘こそが、神が私に与えたもうた、真実への『扉』なのかもしれない)**
「……よかろう。その、傲慢なる挑戦、神に仕える騎士として、受けて立とう」
ミカエラは、静かに、しかし、力強く言った。
「だが、条件がある。決闘は、神聖なる儀式。一切の小細工、魔法による干渉は、許さぬ。ただ、互いの剣と、魂の全てを懸けた、一対一の、真剣勝負とする」
「望むところだ」
アルフォンスは、即答した。そして、彼もまた、自らの条件を突きつける。
「ただし、決闘の場所は、ここじゃない。俺たちの村の中。あんたたちが『聖地』と呼び、そして、俺たちが『陽だまり』と呼ぶ、あの場所で、だ」
その、あまりにも大胆不敵な要求。
敵の懐に、自ら飛び込むという、絶対的な自信の表明。
ミカエラは、一瞬、息を呑んだ後、その美しい唇に、初めて、獰猛な戦士としての笑みを浮かべた。
「……面白い。どこまでも、面白い男だ。いいだろう。その条件も、呑もう」
二人は、互いの魂を見つめ合いながら、神聖なる誓いを交わした。
ミカエラは、精霊に。
アルフォンスは、弟が眠る、故郷の陽だまりに。
「――道を開けなさい」
ミカエラの、凛とした命令。
近衛騎士たちは、悔しげに、しかし、主の絶対的な命令に従い、その剣を下ろし、三人のために、道を、開けた。
アルフォンス、リオン、カエルは、もはや追われる者ではなく、神聖な契約を交わした、対等な決闘者として、堂々と、敵陣を後にする。
夜明け前の、薄明かりの中、三つの影が、村へと帰還した。
出迎えたローランが、その、あまりにも異様な結末に、目を丸くする。
「アルフォンス様……一体、何を……」
アルフォンスは、眠る弟の部屋の窓に、穏やかな光が灯っているのを、一度だけ振り返った。
そして、仲間たちに向き直ると、その顔に、これから始まる最高の戦いを前にした、至上の笑みを浮かべた。
「少し、時間を稼いできた。それと、最後の決着をつけるための、最高の舞台をな」
彼は、ドワーフアックスを、その肩に担ぎ直すと、その瞳に、絶対的な覚悟の光を宿した。
**アルフォンスの脳裏に浮かんでいたのは、屈強な己の姿ではない。それは、弟が遺した、この村の『陽だまり』そのものを武器とする、あまりにも大胆不敵な『設計図』だった。**
「さあ、始めようぜ。聖女様に、本物の『奇跡』ってやつを、見せてやるための準備をな」
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