第90話:熾天使の審判と、長兄の盾
北東の街道を埋め尽くす、白銀の津波。
その数、百を超える精霊教会の神殿騎士団。磨き上げられた純白の鎧は初冬の冷たい陽光を反射し、掲げられた天秤の旗印は、見る者に有無を言わさぬ神の威光を知らしめる。
それは、かつて村を襲ったゲルラッハの私兵団などとは、練度も、装備も、そして何より、その瞳に宿る覚悟の光も、全く次元が違っていた。
そして、その軍勢の先頭。
一頭の白馬に跨り、静かに村を見据える一人の騎士がいた。
他の騎士とは一線を画す、神聖なルーンが刻まれた純白の鎧。風に流れるプラチナブロンドの髪。まるで最高位の天使を模して創られたかのような、神々しいまでの美貌。**彼女がただそこに存在するだけで、周囲のざわめきが止み、張り詰めた冬の空気が、まるで神殿の中のように清浄なものへと変わるかのようだった。**
彼女こそ、教会最強の『剣』、『熾天使』ミカエラ。
「――アルフォンス隊長!」
物見台のエルフが叫ぶ。「敵先遣隊、間もなく村の境界線に到達します!」
アルフォンスは、ゴクリと乾いた喉を鳴らした。
(百……だと……?)
絶望的な戦力差。だが、彼の背後には、鍬を槍に持ち替え、震える足を必死に大地に踏ん張らせる村の仲間たちがいる。その隣には、千年の時を生きるエルフたちが、静かな覚悟で弓を構えている。そして、遥か後方の屋敷では、弟が、世界が、眠っている。
(迷うな。俺の理は、ただ一つ)
彼は、父から託された、ライナス家の紋章が刻まれた剣の柄を、強く、強く握りしめた。
村の門前。
アルフォンスは、父とローランを伴い、ミカエラと対峙した。
ミカエラは、馬上から、氷のように冷たい、しかし、どこまでも澄み切った声で告げた。
「我が名はミカエラ。精霊教会が名代、聖地の守護者なり。この地は、我らが第九の精霊『森の聖霊』様が顕現なされた、神聖なる土地。その聖域を、不浄なる人の手から解放し、清めることこそ、我らが使命」
その、あまりにも無慈悲な侮辱。
それが、アルフォンスの魂に、最後の火をつけた。
「……この陽だまりを、土足で踏みにじろうというのなら、相手が神だろうが悪魔だろうが関係ねぇ! このライナス家のアルフォンスが、この村の『守り手』の全てが、お前たちの前に、最後の壁として立ちはだかる!」
「……愚かな」
ミカエラは、哀れむように、その蒼い瞳を伏せた。「神の御業を人の功績と偽る、傲慢なる異端者め。ならば、審判を下す。――神罰の光を以て、この聖地を浄化せよ!」
号令と共に、副官と思しき傲慢な顔つきの騎士、サー・レジスが率いる先遣隊三十騎が、鉄の蹄で大地を揺らし、村へと殺到した。
「田舎者どもに、神の鉄槌を!」
だが、彼らが踏み込んだ大地は、聖なる裁きの舞台ではなかった。
アークが遺した、悪戯心に満ちた、戦いの庭だった。
「――今!」
リオンの号令。エルフたちが放ったのは、矢ではない。彼らの足元の地面に、幻惑の魔法を仕掛けたのだ。
先頭を駆けていた騎士たちの目に、突如として、大地が巨大な口を開け、奈落へと誘う幻影が映る。
「うわぁぁっ!」「罠だ!」
馬は嘶き、統制は乱れ、完璧だったはずの突撃陣形は、あっという間に醜い団子のように崩れ去った。
「――かかれぇぇぇっ!」
その隙を、アルフォンスは見逃さない。
村のあちこちに築かれた、ダグ特製のバリケードの陰から、『陽だまりの守り手』たちが、雄叫びを上げて躍り出た。
彼らの手にあるのは、鍬や鋤を改良した、粗末な武器。だが、その瞳に宿る光は、神殿騎士団のそれよりも、遥かに強く、気高かった。
アルフォンスは、自らその先頭に立ち、古のドワーフアックスを咆哮させた。
「おおおおおっ!」
聖なる剣と、辺境の斧が、火花を散らして激突する。
知恵と、勇気と、地の利。それらを武器に、辺境の民は、格上であるはずの聖なる軍勢と、互角以上に渡り合っていた。
「……小賢しい真似を」
後方で戦況を見つめていたミカエラが、初めて、その眉をひそめた。
彼女は、自らの純白の手綱を握り締めると、そのサファイアの瞳に、絶対的な神威を宿した。
「人の子の、矮小なる抵抗。無意味であると、教えてあげましょう」
彼女は、天に、その美しい白銀の長剣を掲げた。
「天に在します精霊よ、その聖なる御力、今こそ、この地に示し給え! **『聖槍』**!」
天の鉛色の雲が、内側から発光する。そして、雲を突き破り、一本の、あまりにも巨大な光の槍が、姿を現した。その狙いは、アルフォンスたちが死守する門ではない。その奥、村の中枢、父やローランがいるであろう、領主の屋敷そのものだった。
「――まずい!」
アルフォンスが、絶叫した。だが、間に合わない。
仲間たちが、村が、父が、母が、光に呑まれる。
絶望が、彼の心を、黒く塗りつぶしかけた、その瞬間。
**ゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ!**
屋敷の、さらに奥。
アークが眠る、その部屋の、すぐ傍の大地が、前触れもなく、爆ぜた。
そこから、まるで古の神木が、主の危機に応えて目覚めたかのように、何十本もの、巨大な、白銀色の樹木が、天を突く勢いで噴出する。
樹木は、互いに絡み合い、編み込まれ、屋敷全体を覆う、巨大で、神々しい、**『生命の大盾』**を、瞬く間に形成した。
光の槍は、その、あまりにも温かい盾に突き刺さる。だが、貫くことはできない。聖なる破壊の力は、生命そのものと言うべき、絶対的な守りの力の前に、音もなく、光の粒子となって霧散していった。
静寂の中、誰もが、その、あり得ない奇跡の光景に、言葉を失っていた。
後方で戦況を見つめていたミカエラは、自らの目を疑った。
自らが放った、神罰の聖槍。その絶対的な破壊の力が、それを遥かに凌駕する、どこまでも温かく、神聖な『生命』の奔流の前に、まるで春の陽光に触れた雪のように、いとも容易く掻き消された。彼女が信じる『正義』の光が、全く異質な、しかし、より根源的な『理』の光に、完全に敗北したのだ。
(……なんだ、これは……。この土地に眠る『聖霊』は、我らの知る、どの精霊とも違う……? まるで、星そのものが、この村を守っているとでも、言うのか……?)
彼女の、一点の曇りもなかった信仰心に、初めて、小さな、しかし、確かな『揺らぎ』が生まれた。
アルフォンスは、ゆっくりと、その光の根源――アークが眠る、屋敷の一室を、振り返った。
その部屋の窓が、穏やかな、しかし、決して消えることのない、深緑の光を、一瞬だけ、強く放ったのを、彼は確かに見た。
弟は、眠っている。だが、その魂は、この村と、共に在る。
「……聞こえるか、アーク」
アルフォンスの口元に、不屈の、そして、最高に誇らしげな笑みが浮かんだ。
「お前が創ったこの世界は、今度は、この俺が、守ってみせる!」
***
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