第82話:腐敗の庭園と、生命の診断
#### 偽りの楽園
庭師見習い「アッシュ」としての日々は、想像以上に過酷なものだった。
『奇跡の聖庭園』。その名は、あまりにも皮肉に響いた。
表向きは、神の祝福によって、常に満開の花が咲き乱れる、地上の楽園。
巡礼者たちが訪れる表の庭では、神官たちが聖句を唱えながら、七色に輝く花に『祝福された水』を与えている。だが、アークたちが働く裏の資材置き場では、病に倒れた労働者が、他の者への見せしめとして、罵倒されながら泥水の中に放置されていた。楽園の光が強ければ強いほど、その根元に落ちる影は、どこまでも深く、冷たかった。
植物たちもまた、アークにだけ、その苦痛を訴えかけてくる。瘴気を混ぜ込まれた土壌、無理やり成長を促すための、歪んだ魔力が込められた水。それらは、植物たちを、美しいまま、内側から、ゆっくりと腐らせていた。
そして、その腐敗は、この庭園で働く人間たちをも、静かに蝕んでいた。
#### 小さな友
「……アッシュ、大丈夫か? 顔色が悪いぞ」
声をかけてきたのは、アークより三つ四つ年上くらいの、そばかすが人の良さを感じさせる少年、レオだった。彼は、王都の貧民街で、病気の母親と、幼い妹たちを養うために、この庭園で働いているという。
「ありがとう、レオ兄ちゃん。僕は平気だよ」
アークが微笑み返すと、レオは「無理するなよ」と、自身の水筒から、貴重な水を少しだけ、アークに分けてくれた。
彼は、この腐敗した庭園の中で、唯一、アークが心を通わせた、小さな友人だった。
だが、そのレオの体もまた、日に日に、目に見えて衰弱していった。
最初は、些細な咳だった。やがて、その咳は止まらなくなり、彼の顔からは、血の気が失せていった。
そして、ある日の午後。
レオは、ついに、大量の土を運んでいる最中に、その場に、激しく倒れ込んだ。
「……なんだ、この役立たずは」
駆けつけてきたのは、ローブをまとった監督役の神官だった。彼は、苦しげに喘ぐレオを、まるで汚物でも見るかのような、冷たい目で見下ろした。
「聖なる庭園で働くという、栄誉を授かりながら、この体たらく。信仰心が足りん証拠だ。下がっていろ。今日の給金はないものと思え」
その、あまりにも無慈悲な言葉に、アークは、その偽りの少年の仮面の下で、奥歯を、ギリッと、強く噛み締めた。
一瞬、彼の足元の地面から、怒りに呼応した聖浄樹の根が、数本、蛇のように鎌首をもたげ、神官の足首を砕かんと殺気を放ったが、アークは、それを必死の理性で押さえつけた。(……今は、まだだ)
#### 生命の診断
その夜。
労働者たちが眠る、薄暗く、不衛生な兵舎で、レオは、高い熱にうなされていた。
「……母さん……リナ、ごめん……」
途切れ途切れに、家族の名を呼ぶ、そのか細い声。
アークは、覚悟を決めた。
彼は、眠るレオの額に、そっと、その小さな手を置いた。
(……ごめんね、レオ兄ちゃん。君の体を、少しだけ、見せてもらうよ)
「**『生命系統の診断』**」
アークの意識が、レオの体内へと、深く潜っていく。
彼の脳裏に、レオの体内を流れる、生命力の系統図が、鮮やかに映し出された。
それは、本来であれば、清らかな小川のように、穏やかに流れるはずの、美しい**「緑色の光の川」**だった。
だが、その美しい川に、異物が混入していた。
まるで、黒く、鋭い棘を持った、毒の茨。その**「紫色の瘴気の奔流」**が、肺を中心に、レオの全身へと張り巡らされ、緑色の生命力を、まるで養分を吸い上げるかのように、蝕み、汚染している。
アークは、戦慄と共に、全ての真実を理解した。
(これは、ただの魔力的な汚染じゃない。瘴気の微粒子が、彼の肺胞から血流に乗り、全身の細胞の生命力伝達を阻害しているんだ。人為的に引き起こされた、進行性の、細胞壊死…!)
この庭園全体が、最後の破片が放つ、高濃度の瘴気に汚染されている。そして、ここで働く労働者たちは、知らず知らずのうちに、その猛毒を、呼吸や、水を通じて、その身に、取り込み続けているのだ。
これは、ただの病ではない。ゆっくりと、しかし、確実に、生命を内側から崩壊させる、魔法的な**「被曝」**。
#### 新たなる使命
アークは、懐から、故郷を発つ前にセーラが持たせてくれた、『太陽のリンゴ』の干し果実を、一枚だけ取り出した。そして、それを水で戻し、意識のないレオの口元へと、そっと運んでやる。
凝縮された生命力の塊が、レオの体内に入ると、紫色の瘴気の侵食が、ほんのわずかに、しかし、確かに、後退した。
だが、それは、焼け石に水。根本的な治療には、程遠い。
アークは、眠るレオの、苦しげな寝顔を見下ろした。
彼の目的は、最後の破片を、ただ「盗む」ことだった。
だが、今、それは、変わった。
この、偽りの楽園で、知らず知らずのうちに、命を削られている、レオのような、名もなき人々。
彼らを、このまま見捨てることなど、できるはずがない。
アークは、窓の外にそびえ立つ、大聖堂の、さらに奥、聖庭園の中心部を、鋭い目で見据えた。
彼のソナーが、その、さらに地下深くに、巨大な空洞と、そこに渦巻く、圧倒的な瘴気の「震源地」の存在を、確かに捉えていた。
(……待ってて、レオ兄ちゃん。そして、まだ見ぬ、大勢の人たち)
(君たちを苦しめて-いる、その大元を、僕が、必ず、根こそぎ浄化してみせる)
彼の使命は、今、一つの「宝」を手に入れることから、大勢の「命」を救い出し、偽りの楽園の、腐った**『根』**を断ち切ることへと、より重く、そして、より気高いものへと、昇華されたのだった。
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