第8話:最高の相棒と、最初の契約
熱気と静寂が支配する鍛冶場に、ダグの掠れた声が響く。
「そいつは……一体、何だ?」
その瞳には、もはやアークを子供として見る色はなかった。ただ、己の職人人生を揺るがすほどの「本物」を前にした、純粋な探求心と畏怖だけが燃えていた。
アークは、設計士の顔のまま、静かに立ち上がった。
「僕が考えた、新しい鍬の形だよ」
彼は床に置かれた木製モデルを指し示す。
「今の鍬よりも少ない力で、もっと深く、もっと速く土地を耕せる。全ての形に、そのための意味があるんだ」
「意味、だと……?」
ダグは疑念の目で木製モデルを手に取り、あらゆる角度から検証を始めた。彼の無骨な指が、流線型の持ち手を、絶妙なカーブを描く刃を、確かめるように何度もなぞる。
「この持ち手の捻りは何だ。これでは力が逃げるだけじゃねぇか」
「逆だよ、ダグさん」
アークは即座に答える。「その捻りが、力を振り下ろした時に手首が自然な角度になるように支えるんだ。だから、長く使っても疲れにくい」
「……馬鹿な。じゃあ、この刃の角度が僅かに反っているのは」
「土を掘り起こした後の、土離れを良くするためだ。土が刃にくっつく抵抗を減らせば、次の動作にすぐ移れる」
五歳の子供の口から、よどみなく紡がれる、あまりにも合理的で精密な設計思想。
一つ答えるごとに、ダグの眉間のしわが僅かに深くなる。それは敵意ではなく、己の常識が揺さぶられることへの戸惑い。彼が長年の経験と勘で漠然と掴もうとしてきた「理想の形」を、この子供は完璧な理論で裏付け、さらにその先を行っていた。
「……理論だけでは、わからん」
長い沈黙の後、ダグは唸るように言った。
その声には先ほどまでの敵意はなく、職人としての強い衝動に駆られたような響きがあった。
彼は木製モデルを作業台に置くと、炉に石炭をくべ、巨大なふいごを動かし始めた。
「今から、こいつを鉄で打つ。お前さんの言うことが本当かどうか、この俺の腕で確かめてやる」
「うん。鉄のことは、ダグさんが専門家だ。細かい調整は任せるよ」
アークが相手を尊重する言葉をかけると、ダグは一瞬意外そうな顔をしたが、すぐにフンと鼻を鳴らした。
ゴウッ、と音を立てて炉の炎が勢いを増す。ダグが鉄塊を炉に入れ、真っ赤に焼けるのを待つ。
カーン! カーン!
真っ赤に焼けた鉄塊が金床の上に乗せられ、ダグの槌が振り下ろされる。
火花が激しく飛び散り、鍛冶場に命が宿ったかのような音が響き渡った。
言葉はほとんどない。
ダグが鉄の色を確かめようと槌を止めた瞬間、アークの魔法が灰を吹き飛ばし、視界をクリアにする。ダグは一瞬アークを見たが、無言で頷くと、再び槌を振り下ろした。
鉄を打つ音、飛び散る火花、互いの呼吸を読むような連携。「最高の道具を作りたい」という一つの目的の下、モノづくりという共通言語が、世代も身分も超えた不思議な信頼関係を二人の中に芽生えさせていた。
どれほどの時間が経っただろうか。
ついに、ダグは焼きの入った刃を水に入れ、最後の仕上げを終えた。
ジュウウウッという激しい音と水蒸気が収まった時、そこに現れたのは、黒光りする、美しい一振りの鍬だった。
それは、アークの木製モデルが、ダグの職人としての魂を注ぎ込まれることで完成した、まさに芸術品と呼ぶべき代物だった。
ダグは汗を拭い、完成したばかりの鋤を手に取ると、無言で鍛冶場の裏にある硬い地面へと向かった。
そして、大きく振りかぶる。
ザシュッ!
信じられないほど滑らかな音と共に、鍬の刃が、石ころ混じりの硬い地面に吸い込まれるように突き刺さった。
抵抗が、ほとんどない。
ダグは驚きに目を見開きながら、鍬を軽く引き上げる。すると、掘り起こされた土は刃にまとわりつくことなく、綺麗に横へと流れていった。
圧倒的な性能。それは、彼がこれまで作ってきたどんな農具とも、次元が違っていた。
ダグは言葉を失い、自分の手の中にある「作品」を呆然と見つめていた。
それは、間違いなく、彼の職人人生における最高傑作だった。
鍛冶場に戻ってきたダグは、アークの前に立つと、ごつごつとした拳を握りしめ、ゆっくりと、しかし深く、頭を下げた。
「……参った。俺の、完敗だ」
それは、子供に負けたのではない。己が信じてきた経験と勘という道が、理論と設計という、全く知らなかった道に、その完成度で完膚なきまでに打ち負かされたのだ。
「この村に、いや、この国に……こんなすげぇモンを考えつく奴がいたとはな」
そして、ガバッと顔を上げる。
その瞳には、挑戦的な、そして心の底から嬉しそうな光が宿っていた。
「坊主、面白いじゃねぇか! あんたのその頭の中には、一体いくつの『お宝』が眠ってるんだ? 俺に、あんたのその『設計図』を、最高の形で打ちさせてくれ!」
それは、頑固な職人が、自分を超える才能を認め、最高のパートナーシップを申し込んだ瞬間だった。
アークは満面の笑みを浮かべると、差し出されたダグの大きな手を、小さな両手で力強く握り返した。
「うん! これからよろしくね、ダグさん!」
「おう!」
それは、紙の契約書などよりも遥かに固い、魂の契約だった。未来を設計する少年と、それを最高の形で打ち出す職人。辺境の小さな鍛冶場で、世界を変える最初の歯車が、確かに噛み合った瞬間だった。
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