第79話:聖地の布告と、潜入の決意
#### 共犯者からの凶報
司祭マティアスが、嵐のように去ってから、数週間。
ライナス男爵領には、一見、穏やかな日々が流れていた。だが、アークと、彼の仲間たちだけは、その静寂が、次なる大嵐の前の、不気味な凪でしかないことを、知っていた。
その報せは、ある夜、ザターラにいるディアナから、『契約樹の交信』を通じて、もたらされた。
『……アーク様。覚悟してお聞きくださいまし。あの、食えない狐たち、とんでもない手を打ってきましたわ』
ディアナの、いつもより数段、冷たい声が、アークの魂に響く。
『精霊教会は、中央の枢機卿会議において、ライナス男爵領で起きている一連の奇跡を、**「第九の精霊『森の聖霊』様による、神聖なる御業である」**と、公式に認定しました』
「……なんだと?」
報告を聞いていたローランが、絶句する。
ディアナは、続けた。
『そして、その「聖なる奇跡」を、俗世の権力から守り、正しく管理・研究するため、と称して。ライナス男爵領を、教会が直接管理する**『特別聖地』**に指定するよう、王家と、辺境伯様へ、正式に上奏したとのこと。……表向きは、最大級の名誉。ですが、その実態は、私たちの全てを、教会の鳥籠に閉じ込めるという、あまりにも悪辣な、政治的な罠ですわ』
#### 絶望的なチェックメイト
書斎の空気が、凍りついた。
『それは、善意と名誉という、誰も逆らえない砂糖でコーティングされた、猛毒の鳥籠。アーク様の奇跡を否定すれば、王家や民を敵に回す『不敬罪』。肯定すれば、その全ての『所有権』を教会に奪われる。どちらに転んでも、我々には『詰み』しか残されていない、完璧なチェックメイトでしたわ』
ディアナの、冷静な分析が、一行に、絶望的な現実を突きつける。
アルフォンスが、怒りに拳を握りしめる。
「ふざけるな! 俺たちの村を、奴らの好きにさせてたまるか!」
「……無駄です、アルフォンス様」
ローランが、静かに、しかし、絶望的な声で、首を横に振った。
「教会からの『聖地の指定』という名誉を、我らのような辺境の小貴族が拒絶すれば、それは、神の祝福を足蹴にする、不敬の極み。我らは、王家と、そして、敬虔な信徒である民草の、全てを敵に回すことになる。……我々は、完全に、詰んでいる」
仲間たちが、言葉を失う。
だが、アークは、その絶望的な盤面を、全く違う目で見ていた。
彼の脳裏に、水葬の王女が遺した、最後の言葉が、鮮やかに蘇る。
『――最後の破片は、もはや、理の中にはない。人の欲望と、偽りの教えの中にこそ、隠されている』
(……そうか。そういうこと、だったのか)
(教会は、僕の『奇跡』を『偽りの教え』で塗りつぶそうとしている。王女の言葉通りだ。だったら、これは罠じゃない。奴らの方から、最後の破片の在り処へと、僕を招待してくれている**『招待状』**なんだ!)
「……僕が、行くよ」
アークの、静かな声に、仲間たちの視線が、一斉に集まった。
「教会が、僕らの村に、その鳥籠を被せに来るのを、黙って待っているんじゃない。僕の方から、**奴らの本拠地、王都の、その心臓部へと乗り込んで、最後の破片を、盗み出してくる**」
#### 生命偽装
「無茶だ!」「正気か、アーク!」
アルフォンスと父が、同時に叫ぶ。
「今の君は、教会にとって、最重要監視対象だ。王都に一歩足を踏み入れた瞬間に、捕らえられるのが関の山だぞ!」
「大丈夫だよ、父さん。だって、王都に行くのは、『アーク・ライナス』じゃないから」
アークは、そう言うと、研究室から、一枚の、虹色に輝く、不思議な葉を取り出した。
彼は、その葉を、そっと、自らの舌の上に置く。そして、魔力を、静かに練り上げた。
「**『生命偽装』**」
次の瞬間、仲間たちは、信じられない光景を、目の当たりにした。
アークの、陽光を思わせる、輝く金色の髪が、ゆっくりと、ありふれた、平凡な栗色の髪へと、その色を変えていく。
彼の、森の深淵を思わせる、深緑の瞳が、どこにでもいる、ごく普通の、茶色の瞳へと、その輝きを失っていく。
ほんの数十秒で、そこに立っていたのは、もはや、誰も知らない、ごく平凡で、人々の記憶にも残らないであろう、一人の、**名もなき少年**だった。
それは、ただ姿形が変わっただけではなかった。彼が放つ生命力の波長そのものが、完全に別人のものへと書き換えられていた。たとえ、マティアス本人が目の前にいたとしても、彼が『アーク・ライナス』であると見抜くことは、絶対に不可能だろう。
「……これで、僕を知る者は、誰もいない」
アークは、自らが創り出した、完璧な偽りの姿で、静かに微笑んだ。
#### 逆襲の狼煙
その夜、旅立ちの準備が進められていた。
「……俺も、行く」
アルフォンスが、アークの前に、立ちはだかった。
だが、アークは、静かに首を横に振る。
「ううん。兄さんの役目は、ここにある。僕がいない間、この村を、父さんと、母さんを、みんなを守ること。それが、兄さんにしかできない、一番大事な仕事だよ」
アルフォンスは、唇を噛み締め、何も言えなかった。(本当は、俺が行くべきなんだ。お前を守るのが、兄である俺の役目のはずだろう…!)込み上げる無力感と、それでも、弟が託してくれた『村を守る』という、ただ一つの誇り。その二つの感情が、彼の胸の中で、激しくぶつかり合っていた。
「……必ず、帰ってこい。アーク」
「うん。約束する」
兄弟は、固い、固い握手を交わした。
次の日の早朝。
二人の、ごく平凡な旅人が、ライナス男爵領から、王都へと向かう、乗合馬車に、静かに乗り込んだ。
栗色の髪を持つ、気弱そうな少年と、その護衛を務める、無口な狩人、カエル。
彼らに、注意を払う者は、誰一人としていなかった。
アークは、馬車の窓から、遠ざかっていく故郷を見つめていた。
(待ってろよ、精霊教会。君たちの、偽りの教えの中に隠された、『真実』を、今から、いただきにいく)
静かなる反撃の狼煙は、今、確かに、上がった。
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