第77話:深淵からの帰還と、白き聖職者
#### 深淵からの脱出
ゴゴゴゴゴ……!
主を失った水中の霊廟が、存在意義を失ったとばかりに、断末魔の叫びを上げて崩壊を始めた。
アークが創り出した『空気根の聖域』も、その土台を失い、ガラスのようにひび割れていく。
「アーク様! 上へ!」
ローランの叫び。一行は、シルフィード号から垂らされた蔓を伝い、決死の覚悟で、水上の船を目指す。
だが、聖域の崩壊によって理のタガが外れた『生命なき水』の残党が、最後の怨嗟とばかりに、一行へと襲いかかった。
「――行かせるかァッ!」
最後尾についたアルフォンスが、ドワーフアックスの一閃で、迫り来る水の触手を薙ぎ払う。彼が、その身を盾として、仲間たちのための道を切り開く。
「兄さん!」
「先に行け! ここは俺が喰い止める!」
兄の、あまりにも頼もしい背中。アークが念じるよりも早く、シルフィード号が、自らの意志で動いた。主の片割れである、兄の危機を、その竜骨聖樹の魂が感じ取ったのだ。
船体から、何本もの、竜骨聖樹の強靭な蔓が射出され、アルフォンスの体を、優しく、しかし、力強く絡め取ると、聖域が完全に水圧で圧壊する、その寸前に、彼を甲板の上へと引き上げた。
#### 共犯者との密議
呪われた『船の墓場』を抜け、シルフィード号が、再び、陽光溢れる海へと帰還した時、一行は、甲板の上で、改めて、二つ目の破片と、王女が遺した謎を見つめていた。
「国教、『精霊教会』……」
ローランが、その紋章の持つ意味の重さに、顔を曇らせる。
アークは、すぐに『契約樹の交信』で、ザターラのディアナへと、事の次第を全て報告した。
『――厄介なことになりましたわね』
ディアナの、いつもより数段、硬質な声が響く。
『その紋章は、間違いなく、精霊教会の、歴史の闇に葬られたはずの、最も過激なセクト……**『聖印の異端審問局』**のものですわ。……アーク様。これまでの敵は、金や力で動く、いわば『盗賊』でしたわ。ですが、次なる敵は、『正義』を信じて動く、『狂信者』。交渉も、妥協も、おそらくは通用しない。最も厄介で、最も理不尽な相手です』
その、あまりにも的確な分析に、アルフォンスが息を呑む。
『あなたと、あなたの村が起こしている奇跡は、彼らにとって、まさに、断罪すべき『異端』そのもの。……どうやら、我々の次なる敵は、一人の代官などでは、比較にすらならない、巨大で、そして、最も厄介な相手となりそうですわね』
#### 陽だまりへの凱旋
数ヶ月後。
長い、長い船旅の果てに、一行は、ついに、見慣れた故郷の港へと帰り着いた。
村に近づくにつれて、アークの魂に、懐かしく、温かい感覚が流れ込んでくる。彼が創り出した畑、聖浄樹の苗床、陽だまりの湯、そして、そこに暮らす人々。その全てが、一つの健康で、幸福な生命体のように、温かい生命力で脈打っている。
それは、単なる魔力の感知ではなかった。畑で働く人々の安堵のため息、陽だまりの湯で笑い合う老人たちの喜び、学び舎で新しい文字を覚える子供たちの好奇心。村人一人ひとりの、温かい『幸福』そのものが、優しい音楽となって、アークの疲弊しきった魂へと、直接流れ込んでくるかのようだった。
村は、一行が不在の間にも、活気に満ち溢れていた。銀月商会との交易で得た富が、村の隅々にまで行き渡り、新しい家が建ち、人々の服は、清潔で、彩り豊かになっていた。
「アーク兄ちゃん! おかえりなさい!」
一回りも、二回りも、たくましく成長したフィンが、満面の笑みで駆け寄ってくる。
アークは、その温かい光景に、長い冒険の疲れが、すっと溶けていくのを感じていた。
#### 忍び寄る白き影
その、穏やかな日々が、数日続いた、ある日の午後。
村の入り口に、一人の、見慣れない男が、姿を現した。
純白の、上質な聖職者服を身にまとった、物腰の柔らかな、壮年の男。その背後には、感情の読めない、二人の屈強な神殿騎士が控えている。
「――これは、これは。噂に違わぬ、素晴らしい場所ですな」
男は、村の活気と、聖浄樹の苗床から放たれる、清浄な気配に、感嘆したように目を細めた。
彼は、出迎えたアークの父に、完璧な礼をすると、柔和な笑みで、こう名乗った。
「私は、精霊教会より、この地方の教区を任されております、司祭のマティアスと申します。近頃、噂を耳にしましてな。この北の果てに、神々の祝福を受けたかのような、奇跡の村があると。これは、是非とも、我が目で見届け、教会からの祝福を授けねばと、罷り越した次第です」
その、あまりにも丁寧で、あまりにも完璧な挨拶。
だが、アークは、その男の、柔和な笑顔の奥にある、全てを見透かすかのような、剃刀のように鋭い瞳に、気づいていた。そして、自らが広げた、温かい生命圏の中に、ぽつんと存在する、彼の魂だけが放つ、異質で、絶対零度のような、冷たい気配をも。
司祭マティアスは、アークの姿を認めると、その前に、ゆっくりと膝をつき、子供の目線に、その顔を合わせた。
その瞳は、笑っている。だが、その奥は、一切、笑っていなかった。
「――あなたが、この地に、数多の奇跡をもたらしたという、若き君主、アーク様ですな? おお、なんと神々しい……。是非とも、お聞かせ願いたい。あなた様が、神々の御業を、どのような**『理屈』**で、この地に顕現させておられるのか、その、深遠なる**『真実』**の、お話を」
その、あまりにも丁寧な問いかけは、アークの魂に、尋問の宣告のように、重く、冷たく、響き渡った。
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