第71話:共犯者の港と、世界を渡る方舟
#### 新たなる壁
エルフの隠れ里を一時的な拠点とし、一行は次なる目的地『嵐の海域』への方策を練っていた。
ローランが、ディアナの商会から取り寄せた、南方および東方地方の海図を広げる。だが、その表情は、厳しさを増すばかりだった。
「……やはり、噂は本当ですな。『嵐の海域』に至る航路は、ことごとく、有去無還。生きて帰った船は、この百年、一隻もないと記されております」
彼は、古びた羊皮紙の一節を指し示した。
「呪われた海域では、磁石の羅針盤は意味をなさず、星の光さえも、厚い嵐雲に閉ざされる。頼れるは、己の勘と、神の慈悲のみ、と……」
「つまり、普通の船じゃ、たどり着くことすらできないってことかよ」
アルフォンスの言葉に、重い沈黙が流れた。
「……ディアナさん、聞こえる?」
アークは、静かに『契約の木』の小枝を取り出し、意識を集中させた。
『ええ、鮮明に。どうやら、わたくしたちのパートナーは、次なる難問に直面しているようですわね』
ディアナの、どこか楽しげな声が、魂に直接響く。
「船が必要です。でも、ただの船じゃない。羅針盤も、星もいらない。呪われた嵐の海を、自らの意志で渡れる、特別な船が」
『……まさか、アーク様。あなた、船までお創りになるおつもり?』
「うん。僕に、最高の『舞台』を用意してくれるかな」
その、あまりにも常識外れな要求に、ディアナは、しばし絶句した後、心の底から楽しそうに、こう応えた。
『ええ、喜んで。わたくしの共犯者の、新たな神話の始まりですもの。最高の舞台を、ご用意させてもらいますわ』
#### 頑固な船大工
数週間後。ディアナの指示に従い、大陸を横断した一行は、東方地方の、活気溢れる港町『蒼風の港』に到着した。そこは、表向きは独立した交易都市だが、その実権は、銀月商会が完全に掌握している、ディアナの「城」の一つだった。
彼女が手配した、巨大な乾ドック(造船所)で、一行を待っていたのは、潮風と、長年の頑固さで、顔に深い皺を刻んだ、一人の老人だった。
「……わしが、このドックの長、ガレンだ。ディアナ様から、話は聞いている。小僧が、船の設計図を描いた、だと? ふん、ままごとは、砂の上でやってな」
老船大工ガレンは、アークを一瞥するなり、侮蔑の言葉を隠そうともしない。
アークは、何も言わず、自らがライナス和紙に描いた、船の設計図を差し出した。
ガレンは、その図面を、鼻で笑いながら受け取った。だが、その目に図面が映った瞬間、彼の表情が凍りついた。
そこに描かれていたのは、竜骨とマストが一体化した、巨大な一本の樹木のような構造。継ぎ目のない、流線型の船体。帆ではなく、角度を自在に変える、巨大な「葉」のような推進機構。
それは、彼が、数十年かけて培ってきた、全ての造船理論を、根底から愚弄する、あまりにも異質で、あまりにも……美しい設計図だった。
「……馬鹿な。こんなもの、浮くはずが……いや、もし、これが本当に形になったなら……これは、船ではない。海を駆ける、巨大な『生き物』だ……」
だが、次の瞬間、彼は、その設計図を、アークの足元に叩きつけた。
「ふざけるな小僧! これは、船への冒涜だ! わしら船大工が、何百年とかけて培ってきた、経験と誇りを、土足で踏みにじる、悪魔の設計図だ! とっとと失せろ! こんな化け物を造るのに、このガレン、手を貸す気は毛頭ないわ!」
#### 方舟創造
「これから、それを、お見せしますよ」
アークは、乾ドックの中央に立つと、懐から、聖なる光を放つ**『竜骨聖樹』**の枝を、取り出した。
彼は、その枝を、船が建造されるべき中心点に、そっと突き刺す。
そして、その両手を、大地にかざした。
「目覚めよ! 我が声に応え、世界を渡る翼となれ! **『植物成形(極)』**!」
アークの魂の叫びに、竜骨聖樹の枝が、眩いばかりの光を放って脈動を始める。
大地から、何十本、何百本という、白く、強靭な「根」が伸びていく。それは、船の「竜骨」となり、完璧な構造美を描きながら、巨大な船の骨格を形成していく。
そして、ディアナが用意した、最高級のチーク材やマホガニー材が、ひとりでに宙に浮き上がると、まるで意志を持つかのように、その竜骨へと吸い寄せられ、有機的に、継ぎ目なく、癒着していく。
ゴオオオッ、という、生命が産声を上げるかのような、荘厳な音が乾ドックに響き渡る。満ち溢れる生命の魔力は、むせ返るような、真新しい木の香りを放った。
頑固な老船大工ガレンは、その、神の御業としか思えぬ光景を前に、腰を抜かし、ただ、呆然と、その場にへたり込んでいた。彼だけではない。このドックにいた、全ての船大工たちが、己の商売道具である斧やノミを、まるで無価値なガラクタのように手から落とし、ある者はひれ伏して祈り、ある者は、ただ、涙を流しながら、目の前の『創生』の奇跡を見上げていた。
中央からは、竜骨と一体化した、天を突くほど巨大なマストが、ゆっくりと、しかし、力強く伸びていく。
数時間後。
乾ドックには、一隻の、あまりにも美しい、白亜の船が、その威容を誇っていた。
#### 世界を渡る翼
完成した船は、もはや、人の手による創造物ではなかった。
船体は、象牙のように滑らかで、甲板には、美しい木目が、まるで生きているかのように脈打っている。
アークが、その船体に、そっと手を触れると、彼の脳裏に、若く、力強く、そして、どこまでも忠実な、新しい『意識』の誕生が、直接流れ込んできた。船全体が、温かい光を、一瞬だけ放つ。
この船は、生きているのだ。
「……この船の名は、『シルフィード号』と名付けよう」
アークの言葉に、船が、嬉しそうに、キィ…と、心地よい産声を上げるかのような、竜骨の軋む音を、響かせた。
進水式の日。
シルフィード号は、何の抵抗もなく、滑るように、初めて、海の水にその身を浮かべた。
そして、アークが帆を張るように命じると、マストから生えた、巨大な緑の葉が、風を完璧に捉え、船は、信じられないほどの速度で、港を滑り出した。
老船大工ガレンは、その、完璧なまでの航行性能を前に、号泣していた。「……わしは、今日まで、ただの木の箱を作っていたに過ぎなかった……。これこそが、わしが、生涯をかけて追い求めた、船の、本当の姿だ……!」
アークと仲間たちは、彼らが創り出した、新たな翼の甲板の上に立っていた。
ディアナが、港の先端で見送っている。
羅針盤は、いらない。アークが持つ賢者の鱗と、この船の竜骨が共鳴し、進むべき道を、示してくれる。
呪われた嵐の海。海の魔物。そして、船乗りたちの亡霊。
待ち受ける脅威は、計り知れない。
だが、彼らの心に、もはや、一片の恐れもなかった。
アークは、遥か東の空に、不吉な嵐雲が渦巻いているのを、確かに見た。だが、彼の心にあったのは、恐怖ではない。最高の翼と、最高の仲間たちと共に、未知なる世界へと挑む、至上の高揚感だった。
彼は、まっすぐに水平線を見据え、その力強い声を、蒼い海原に響き渡らせた。
「――シルフィード号、出航!」
世界の半身を取り戻す旅は、今、新たな翼を得て、未知なる大海原へと、その帆を広げたのだった。
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