第7話:頑固な鍛冶屋と、世界を変える設計図
セーラの店での熱狂から一夜が明けた。
村はアークイモの話題で持ちきりだった。誰もが、あの天上の恵みの味を忘れられずにいた。しかし、供給は初日だけで途絶え、村人たちの間には「もう一度食べたい」という熱烈な期待と、「あれは夢だったのではないか」という一抹の不安が入り混じった、奇妙な空気が流れていた。
その日の午後、ライナス男爵家の厨房は、秘密の作戦司令室と化していた。
テーブルを囲むのは、アーク、ギデオン、そして人目を忍んで屋敷を訪れたセーラの三人だ。
「まずは、坊ちゃん、本当にありがとう。あんなに嬉しそうな村の皆の顔、アタシも初めて見たよ」
セーラは心からの感謝を述べた後、すぐに厳しい表情になった。
「でも、問題は山積みだ。昨日だけで、村中の人が『次はいつだ』『どうすれば手に入るんだ』って店に押しかけてきてね。このままじゃ、期待が失望に変わっちまう」
「うむ……」ギデオンも難しい顔で頷く。「アーク坊ちゃまの畑だけでは、とても村全体の需要は満たせませぬ」
アークは、二人の顔をまっすぐに見据えた。
「だから、屋敷の裏手にある使われていない荒れ地を開墾して、大きな畑を作る。それが僕の計画だよ」
「荒れ地を!? あそこは岩だらけで、普通の鋤じゃ歯が立たないよ!」
セーラの驚きの声に、アークは静かに頷いた。
「うん。だから、新しい鉄の農具が必要なんだ。もっと軽くて、もっと頑丈で、もっと効率よく土地を耕せる、特別な農具が」
その言葉に、セーラとギデオンは顔を見合わせた。村で鉄の道具を作れる人間は、一人しかいない。
「……ダグ、か」
セーラが、苦虫を噛み潰したような顔でその名を呟いた。
「村一番の頑固者だよ。腕は確かだけど、気に食わない仕事は金輪際受けない。昔、アーク坊ちゃんの親父さん……領主様が、騎士団で使う剣の改良を頼んだ時も、『俺は農具専門だ』って断ったことがあるくらいの偏屈者さ」
領主の頼みすら断る職人。その事実に、アークはごくりと喉を鳴らした。
一筋縄ではいかない。ただ「作ってください」と頭を下げたところで、門前払いされるのが関の山だろう。
「大丈夫だよ」
だが、アークの瞳には迷いの色はなかった。
「ただお願いするだけじゃ、ダメなんだ。彼が、どうしても作りたいって思うような『何か』を、僕が見せなきゃ」
その小さな胸に秘策を宿し、アークは決意を固めた。
未来の領主として、最初の、そして最大の交渉へ。彼はギデオンだけを伴い、村のはずれにある鍛冶場へと向かった。
カーン! カーン!
村のはずれに近づくにつれて、鉄を打つ甲高い音がリズミカルに響いてくる。
ダグの鍛冶場は、壁のない吹きさらしの小屋だった。燃え盛る炉の熱気、汗と鉄と石炭の匂い、そして鼓膜を揺さぶる槌の音。そこは、五歳の子供が足を踏み入れるにはあまりにも荒々しく、濃密な仕事場だった。
その中心に、熊のような大男が立っていた。
日に焼けた褐色の肌、丸太のように太い腕、汗で張り付いた無精髭。ダグは、アークたちの存在など意にも介さず、巨大な槌を真っ赤に焼けた鉄塊へと一心不乱に振り下ろしている。その姿は、あまりにも威圧的だった。
音が途切れた一瞬の静寂を突き、アークは意を決して声を張り上げた。
「こんにちは! 鍛冶屋のダグさん!」
ダグはちらりとアークに視線を向けたが、すぐに興味を失ったように鉄塊へと向き直る。
「……子供の来るところじゃねぇ。用がねぇなら帰りな」
「用があります! 新しい農具を作ってほしいんです!」
アークの言葉に、ダグの動きがぴたりと止まった。
彼はゆっくりと振り返ると、値踏みするような目でアークを頭のてっぺんからつま先まで眺めた。
「農具だと? 村にあるもんで十分だろうが」
「十分じゃありません! もっと良いものがあれば、村はもっと豊かになります!」
「……ふん」
ダグは鼻で笑うと、再び炉へと向き直った。
「貴族の坊ちゃんの遊びに付き合うほど、俺は暇じゃねぇんだ。仕事の邪魔だ、さっさと帰れ」
その言葉には、身分に対するあからさまな不信感と侮蔑が込められていた。ギデオンが「ダグ殿、アーク坊ちゃまは本気で……!」と口添えしようとしても、ダグは聞く耳すら持たない。
カーン! カーン!
再び、槌の音が無慈悲に響き渡る。
それは、交渉の終わりを告げる音だった。
万策尽きたかのように見える、絶望的な雰囲気。だが、アークはここで引き下がらなかった。
「……言葉だけじゃ、伝わらないみたいだね」
アークは静かに呟くと、ふっと表情を変えた。
五歳の少年の顔から、必死の色がすっと消えた。代わりに宿ったのは、幾多の現場を指揮し、数多の設計図を描き上げてきた者だけが持つ、深く、静かな集中力。その小さな瞳に宿る光は、もはや子供のものではなかった。
「じゃあ、見せてあげる」
アークは鍛冶場の床に転がっていた、手頃な大きさの木片を拾い上げると、その場に膝をついた。
そして、その木片に右手をそっとかざす。
彼の頭の中には、人間工学に基づき、テコの原理を極限まで応用した新型の鍬の設計図が、完璧な三次元データとして存在していた。
緑の光が、アークの掌から溢れ出す。
それは、植物を育む時のような、穏やかに広がる光ではなかった。まるで外科医のメスのように、細く、鋭く、凝縮された光の刃。極限まで高められた集中力が、魔力を生命を「育む」力から、万物を「創る」力へと変質させていた。
ミシミシ……キィィ……!
木が悲鳴を上げるような音を立て、ただの木片が、ありえない速度でその姿を変えていく。
それは、この世界の誰も見たことがない、革新的なフォルムだった。
少ない力で深く土を掘り起こすための、絶妙なカーブを描く刃。
握る者の手首への負担を最小限に抑える、流線型の持ち手。
全体の重心を計算し尽くし、振り下ろすだけで自重が効率よく刃先へと伝わる、完璧な構造。
それは、この世界には存在しない革新的な農具の、完璧な**『木製モデル(立体設計図)』**だった。
不意に、世界から音が消えた。
あれほど鳴り響いていた槌の音が、止まっていた。
ダグが、槌を握ったまま、化け物でも見るかのような驚愕の表情で、アークの手元を凝視していた。
彼の職人としての全人生が、目の前で起きている超常現象を理解することを、完全に拒絶していた。
やがて、緑の光が収まる。
アークは汗ひとつかかず、完成した木製モデルを静かに床に置いた。
沈黙。
熱気と喧騒に満ちていた鍛冶場を、息苦しいほどの静寂が支配していた。
ゆっくりと、ダグが動いた。
彼は無言でアークの前に膝をつくと、まるで至宝に触れるかのように、その木製モデルをそっと手に取った。
鉄を知り尽くしたその指が、木製のモデルをなぞる。……なんだ、これは。全ての曲線に意味がある。全ての角度が、長年自分が格闘してきた問題への完璧な解答を示している。それは、己の職人人生を嘲笑うかのような、あまりに侮辱的なまでの完璧な設計図。……だが、同時に、これまで見たどんなものよりも、美しかった。
「…………坊主」
長い、長い沈黙の後。
ダグが、初めてアークの顔を真っ直ぐに見つめて、掠れた声で問いかけた。
「そいつは……一体、何だ?」
その瞳には、もはや侮蔑の色はなかった。
ただ、己の理解を遥かに超えた「本物」を前にした、職人の純粋な探求心と畏怖だけが燃えていた。
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