第66話:神話の終焉と、最初の一歩
#### 神話からの帰還
光の扉が、静かに背後で閉じる。
『世界樹の原木』の胎内、あの神聖な気配に満ちた空間から、一行は、再びエルフの隠れ里の、穏やかな月光の下へと帰還した。
誰も、すぐには言葉を発することができなかった。
ローランは、自らが読んできた、いかなる歴史書よりも重い、星の運命そのものを垣間見たことに、ただ打ち震えていた。アルフォンスは、その剣が、もはやただの鉄塊ではなく、神話の時代の英雄と同じ、世界の命運を左右する重みを宿したことを、その掌で感じていた。
あまりにも壮大な真実。あまりにも重い使命。ほんの数時間前までとは、世界の全てが、違って見えていた。
「……ははっ」
最初に沈黙を破ったのは、兄アルフォンスの、乾いた笑い声だった。
「とんでもないことになっちまったな。世界の再生、か。俺たちみたいな、辺境の田舎貴族が、背負っていい荷物じゃねぇよ、全く」
その軽口は、張り詰めていた仲間たちの空気を、少しだけ和ませた。
ローランが、深く息を吐きながら頷く。
「……ええ。ですが、逃げるという選択肢は、もはや、我々にはございませんな」
そうだ。逃げられない。アークは、賢者から授かった、温かい樹皮の鱗を、固く握りしめた。
#### 共犯者への報告
一行は、月光樹の下に集まり、今後の行動を話し合うための、作戦会議を開いた。
「まず、この事実を、ディアナさんに伝えなければ」
アークの言葉に、全員が頷く。だが、どうやって? この世界の根幹に関わる、あまりにも重大な機密事項を、手紙や伝令で送るなど、危険すぎる。
「……大丈夫。僕らの間には、誰にも邪魔できない、特別な道があるから」
アークは、そう言うと、月光樹の幹に、そっと手を触れた。そして、意識を集中させる。遥か遠く、中立都市ザターラの、ディアナの執務室に置かれた、あの小さな『契約の木』の姿を、心に思い描きながら。
「**『契約樹の交信』**」
その頃、ザターラの銀月商会本店。
ディアナは、山と積まれた報告書を前に、一人、執務に追われていた。
その、瞬間だった。
机の上に置かれた『契約の木』の苗木が、前触れもなく、眩いばかりの緑色の光を放ち始めたのだ。
ディアナは、驚きながらも、即座に状況を理解した。彼女は、全ての書類を脇にやると、まるで祈るように、その輝く葉に、そっと指で触れた。
次の瞬間、彼女の脳内に、アークの魂が、直接流れ込んできた。
言葉ではない。記憶と、感情の奔流。
原初の賢者の、荘厳な姿。半身を失った、世界樹の深い哀しみ。そして、「三つの破片を集めよ」という、あまりにも重い神託。
ほんの数秒で、ディアナは、アークが体験した、神話の全てを、完全に共有した。
光が収まった後、ディアナは、しばし、呆然と、自らの執務室を見回した。
そして、やがて、その美しい顔に、これ以上ないほど、獰猛で、歓喜に満ちた笑みを浮かべた。
(……世界の、再生? 神話の時代の、再現ですって? ……金貨の勘定など、もうどうでもいい。凡百の商人が富を追い求める中、わたくしは『神話』に投資する! これこそ、わたくしが求めていた、魂が震えるほどの、最高の商売じゃないの!)
彼女は、すぐに羽根ペンを取ると、返信の準備を始めた。そこには、ただ一言だけが、力強く記されていた。
『――資金、情報、人材。我が銀月商会の全てを、あなたの「神話」のために』
#### 最初の一歩
ディアナからの、力強い返信を、魂で受け取ったアーク。
後顧の憂いは、完全に断たれた。
あとは、進むだけだ。
彼は、懐から、賢者から授かった、古木の樹皮の鱗を取り出した。
そして、その鱗に、自らの魔力を、静かに注ぎ込む。
鱗は、温かい光を放ち始め、その表面に、一枚の、ぼんやりとした光の地図を、描き出した。
地図の上には、三つの、ひときわ強く輝く光点があった。
そのうちの一つが、ゆっくりと、明滅を始める。
その瞬間、一行がいた、清浄な空気に満ちたエルフの里に、一瞬だけ、灼熱の風と、硫黄の匂いが混じったかのような、生々しい幻覚が走った。
地図を覗き込んだローランが、目を見開いた。
光点が示すのは、彼らが故郷と呼ぶ、北方地方ではなかった。大陸を遥か南に下った、灼熱の砂漠と、険しい火山地帯が広がる、南方地方の一角。
「……『龍の顎』と呼ばれる、大峡谷。古の時代、竜が棲んでいたと伝えられる、不毛の大地です。まさか、あのような場所に……」
最初の目的地が、定まった。
アークは、光る鱗を手に、仲間たちを見回した。その顔には、使命の重圧を乗り越えた、静かで、しかし、揺るぎない決意の光が宿っていた。
兄アルフォンスが、その肩を、力強く叩く。ローランとカエルも、静かに頷く。
水晶の小鳥ルナが、彼の肩に止まり、ウルが、その足元で、力強く「きゅいっ!」と鳴いた。
「……行こう」
アークが、静かに言った。
「失われた、世界の半身を、取り戻す旅に」
世界の運命を賭けた、壮大なる旅。
その、記念すべき最初の一歩が、今、静かに、踏み出されようとしていた。
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