第65話:原初の賢者と、魂の対話
#### 世界樹の胎内
『記憶の番人』が開いた光の扉をくぐった先は、洞窟ではなかった。
一行が立っていたのは、巨大な『世界樹の原木』の、その胎内とも言うべき、広大な、広大な空洞だった。
壁面は、まるで生きているかのように、穏やかな光を放つ木肌に覆われている。その表面には、星の誕生、生命の芽生え、文明の興亡といった、世界のあらゆる歴史の光景が、淡い影絵のように、ゆっくりと流れ、明滅を繰り返していた。
一行は、ただ歩いているだけで、肌を撫でる空気から、生命の誕生の歓喜を、文明が滅びる哀しみを、魂で感じ取っていた。ここは、ただの場所ではない。星そのものの、夢の中だった。
「……ここが、世界の、中心……」
ローランですら、その神聖な光景を前に、膝をつきそうになるのを、必死にこらえていた。
#### 原初の賢者
一行は、その聖域の中心へと、導かれるように歩を進めた。
そして、その中心で、**「それ」**は、眠っていた。
聖域の中央に、ひときわ強く輝く、巨大な心臓部。そこに、まるで世界そのものを抱きかかえるかのように、一体の、巨大な竜が、静かにとぐろを巻いていた。
その鱗は、数万年の時を刻んだ、古木の樹皮そのもの。その角は、天を突くように伸びる、磨き上げられた黒檀。そして、固く閉じられた瞼の下で、星々の光が、確かに瞬いている。
それは、力や恐怖の象徴ではない。ただ、あまりにも永い時を生きてきた者の、圧倒的な叡智と、そして、魂の底から滲み出るような、深く、静かな哀しみの気配だけが、そこにはあった。それは、あまりにも多くの誕生と、それ以上の数の死を見送り、喜びも、怒りも、全てが悠久の時の中で摩耗し尽くした果てに残った、純粋な**『哀しみ』**の結晶のようだった。
一行が、その10メートル手前で足を止めた、その瞬間。
竜の、星空を宿した瞼が、ゆっくりと、開かれた。
その視線は、アークたち人間には向けられない。ただ、アークの胸の中で、ブルブルと震える、小さなウルだけに、真っ直ぐと注がれていた。
『…………小さき、我が同胞よ』
その声は、音ではない。世界の始まりの、全ての記憶が、直接、魂に響き渡った。
『永き眠りの果てに。よくぞ、再び、この始まりの場所へ、還ってきた』
#### 魂の対話
『最初の眷属』。原初の賢者は、言葉を続けた。
『そして、小さき同胞を導きし、人の子よ。汝の目的は、聞き及んでいる。だが、悠久の時を生きる我にとって、汝らの命は、瞬きにも満たぬ。その、儚き命で、世界の理を覆せると、本気で信じているのか』
ローランが、必死に、これまでの経緯と、アークの功績を説明しようとする。
だが、賢者は、静かに首を振った。
『言葉は、偽りを生む。我は、もはや、言葉を信じぬ』
その、星空の瞳が、アークを、射抜いた。
『救い手の子よ。汝の真実を、その魂そのもので、我に示せ。汝の魂が、この星の未来を託すに値するかどうかを、我に、感じさせてみせよ』
それは、究極の試練だった。
アークは、覚悟を決めた。彼は、仲間たちに一度だけ頷くと、賢者の前に進み出た。
そして、胸に抱いたウルを、そっと、祭壇に置くかのように、目の前に差し出した。
「**『魂の共鳴』**」
アークは、語らない。ただ、**見せた**。
賢者の、星空を宿した巨大な魂の宇宙。その中に、一つの、小さく、しかし、どこまでも温かい光の流星が飛び込んできた。それは、孤独な死から始まり、家族の愛に触れ、仲間との絆を紡ぎ、小さな相棒との約束を胸に、世界の理にまで到達した、一人の人間の、あまりにも眩しい、魂の軌跡そのものだった。
彼の魂に刻まれた、全ての記憶と、感情を。
病に苦しむ母を救いたいと願った、必死の祈り。
仲間たちと共に、村を豊かにした、誇りと喜び。
眠りについたエルフたちを前に流した、悲しみの涙。
そして何より、この小さな相棒、ウルと交わした、「必ず、君のお母さんを助ける」という、一点の曇りもない、約束の輝きを。
#### 真実の道標
どれほどの時間が、流れただろうか。
賢者の、星空の瞳から、ぽろり、と、一粒、光の雫がこぼれ落ちた。それは、数万年ぶりに流す、涙だった。
『……視えた。汝の魂の理、確かに、受け取った』
賢者は、初めて、その声に、温かい感情を宿した。
『人の子よ。汝は、資格がある。この世界の、最も深き真実を知る、資格が』
賢者は、語り始めた。
アークが推測した通り、この世界には、かつて二本の対なる世界樹があったこと。
だが、『陰の世界樹』は、ただ失われたのではない。遥か古の時代、この星の外より飛来した「大なる厄災」との戦いの末、その身を、無数の**『破片』**と変え、厄災を、世界の三つの果てに、封印したのだ、と。
『――瘴気とは、半身を失った、母なる樹の、終わらない涙。そして、山の心臓とは、陰の樹の、最も大きな破片が、大地の歪みと結びつき、暴走した、悲しき成れの果て』
「……じゃあ、どうすれば」
アークの問いに、賢者は、最後の答えを示した。
『母なる樹を癒やす道は、ただ一つ。失われた半身を、再び、この地に蘇らせること』
『**世界の三つの果てに封印されし、陰の樹の、最も強大な三つの破片を集めよ**。そして、それを、この始まりの場所へ持ち帰り、汝の、生命を創造する力で、新たな苗木として、蘇らせるのだ』
それは、あまりにも壮大で、あまりにも絶望的な、神話の時代の英雄ですら、成し得なかった、世界の再生そのものだった。
賢者は、アークの前に、自らの鱗である、一枚の、古木の樹皮を差し出した。
『これを持つがよい。陰の樹の破片に近づけば、温かく、光り輝き、汝の道を、示してくれるだろう』
全ての真実を知り、具体的な道標を手に入れた一行。
だが、その使命の、あまりの重さに、誰もが、言葉を失っていた。
アークは、賢者から渡された、温かい樹皮の鱗を、固く、固く、握りしめた。それは、もはや個人的な約束ではない。この星の、全ての生命の涙を拭うための、神話の時代から続く、壮大な使命のバトンだった。
彼の本当の、世界の運命を賭けた冒険は、今、まさに、始まろうとしていた。
***
最後までお読みいただき、ありがとうございます。面白いと思っていただけましたら、ブックマークや評価、フォローをいただけますと、執筆の励みになります。




