第6話:村を揺るがす奇跡の料理と、次の設計図
セーラにアークイモを託してから、三日が過ぎた。
アークは屋敷での日課である魔力筋トレに励みながらも、その心のほとんどは村へと向いていた。
(うまくいくだろうか……)
自分の知識と魔法が生み出した作物が、家族以外の、全く知らない人たちの口に入る。
それは、五歳の少年の肩にはあまりにも重いプレッシャーだった。もし、皆が喜んでくれなかったら? もし、辺境イモの方がマシだなんて言われたら?
そんな不安が、夜、ふとした瞬間に胸をよぎる。それでも、あの家族の笑顔を、今度は村中に広げたいという想いが、アークを奮い立たせていた。
その日の午後、アークの葛藤を見透かしたかのように、フィンが息を弾ませて屋敷を訪ねてきた。
「アーク! 大変だ! 村中が大騒ぎになってる!」
「大騒ぎ? 何があったの?」
「セーラおばさんの店だよ! なんか『天上の恵みを使った特別な料理』を、今日から出すんだってさ! 村の皆、朝からそわそわして仕事が手につかないって、うちの父ちゃんが言ってた!」
フィンの純粋な期待に満ちた目に、アークはゴクリと唾を呑む。
もう後戻りはできない。自分の蒔いた種が、今、芽吹こうとしているのだ。
「僕、見てくる!」
「坊ちゃま、お待ちくだされ!」
ギデオンの制止ももどかしく、三人は期待に沸く村の中心、セーラの店へと向かった。
道中、村の井戸端では女たちが噂話に花を咲かせている。
「聞いたかい? セーラの奴、とんでもないものを隠し持ってたらしいよ」
「どうせ、いつもの硬いパンに草でも混ぜたんでしょ」
「それが違うんだよ! 屋敷のギデオン様が『腰を抜かす』って保証した、天上の恵みだって話さ!」
普段は静かな村が、未知の美味への期待でざわついている。
店の前に着いたアークは、その熱気を肌で感じて息を呑んだ。いつもは閑散としているはずの広場が、村中の人々でごった返しているのだ。子供たちは走り回り、大人たちもどこか落ち着かない様子で、まだ開かない店の扉をじっと見つめていた。
やがて、店の扉が開き、エプロン姿のセーラが威勢のいい笑顔で顔を出した。
「へい、おまちどう! ライナス男爵領、いや、この国で一番うまいイモ料理、腹いっぱい食ってきな!」
その声と同時に、店の中から、甘く、香ばしく、そして温かい匂いが溢れ出し、村人たちの腹を直撃した。
セーラの店は、あっという間に満員御礼となった。
アークたちも隅の席になんとか座り、目の前に運ばれてきた料理に目を奪われる。
セーラが用意したのは、二つのシンプルな料理だった。
一つは、皮ごとこんがりと焼かれ、表面で貴重な岩塩がキラキラと輝く**『焼きアークイモ』**。もう一つは、村で採れるけもの肉の欠片と数種類の野菜と共に、アークイモがとろとろに溶け込むまで煮込まれた**『アークイモのあったかシチュー』**だ。
村人たちは、目の前の奇跡のような料理を、それぞれの思いで口に運ぶ。
そして、次の瞬間。店のあちこちで、堰を切ったような感動の声が響き渡った。
村一番の頑固者で知られるオズワルド爺さんが、シチューを一口すする。いつもは眉間に刻まれた深いしわが、ゆっくりと消えていく。
「……うめぇ……。生きてて、よかった……」
その呟きは誰にも聞こえなかったが、彼の目には、遠い昔に亡くした妻が作ってくれた、温かいスープの記憶が蘇っていた。
野菜嫌いで有名な少女リリは、母親に促されても「嫌だ!」と首を横に振っていた。だが、隣の子が夢中で頬張る焼きイモの甘い香りに負け、恐る恐る一口かじる。
途端に、リリの目が大きく見開かれた。まるで蜜のような甘さと、ホクホクの食感。彼女は母親の制止も聞かず、小さな手でイモを掴むと、無言で夢中になって食べ始めた。その光景に、母親は驚きと喜びで静かに涙を拭った。
熱狂の渦の中心で、店の隅の席に座る一人の老人が、静かにシチューを味わっていた。他の村人たちとは違う、落ち着いた空気をまとっているその男は、アークの家の食客として暮らす、元・王国騎士のローランだった。
「セーラ、見事な腕だ。だが、それ以上にこの芋が傑物だな」
食後、ローランは満足げに息をつくと、近くにいたアークに気づき、声をかけた。
「坊主、お前さんが森で見つけたと聞いたが、本当か?」
「は、はい……」
「ふむ……」ローランはアークの目をじっと見つめる。「これはただ腹を満たすだけのものではない。少ない塩分でも満足できる味、冷めても固くなりにくい性質、そして何より体に力がみなぎる感覚。戦場でこれがどれほどの価値を持つか……辺境を守る兵糧として、これ以上のものはないかもしれんぞ」
元王国騎士ならではの視点からの評価。その言葉は、アークにこのイモの新たな可能性を示唆していた。
熱狂が少し落ち着いた頃、セーラがアークの隣に座り、悪戯っぽく笑った。
「どうだい坊ちゃん。アンタのイモは本物だよ。村の皆、こんなに笑ってる」
「うん……すごいよ、セーラさん」
村人たちの笑顔が、自分の力から生まれたという事実。それは、胸が張り裂けそうなほどの喜びをアークに与えてくれた。
だが、セーラはすぐに真剣な顔で囁く。
「嬉しい悲鳴だけどね、もらったイモはもうほとんど残ってない。皆、もっと食いたい、自分たちでも育てたいって言い始めてるんだ」
その言葉に、アークは決意を新たにする。この奇跡を一過性の祭りで終わらせてはならない。
(問題は生産量だ。今の秘密の畑では、村の全員に行き渡らせるのは不可能だ)
(解決策は、耕作地の拡大。屋敷の近くにある、使われていない荒れ地を開墾する)
(必要なのは、その硬い荒れ地を耕せるほどの、頑丈で効率の良い農具。今の村にある木製の鋤では歯が立たない)
(鉄製の、新しい農具……。それを作れるのは、この村ではただ一人……)
アークの脳裏に、一人の男の、厳つい背中が浮かんだ。
村のはずれの鍛冶場で、いつも一人、頑固に槌を振るい続ける無骨な男。
村唯一の鍛冶屋、**ダグ**だ。
村人たちの笑顔を守るため、そして、さらに大きな奇跡を起こすための次なる設計図を完成させるため。
アークは、煙の立ち上る鍛冶場の方をじっと見つめ、次の仲間を迎えに行く固い決意を固めるのだった。
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