第59話:聖なる森の番人と、共鳴する魂
#### 聖域の兆し
『惑わしの霧』が晴れた後、森は、その姿を一変させた。
これまで一行を包んでいた、生命の気配が希薄な「病める森」の淀んだ空気は完全に消え去り、代わりに、胸の奥まで洗い清められるような、清浄で、神聖な気配が満ち満ちていた。
「空気が……違う。まるで、神殿の中にいるようだ」
ローランが、畏敬の念を込めて呟く。
道端には、見たこともない、淡い光を放つキノコが群生し、木々の枝には、まるで水晶細工のような、透明な実がなっていた。
アークの肩の上で、ウルが、これまでになく嬉しそうな声を上げた。
『わかる! わかるよ、アーク! もう、すぐそこだ! とっても懐かしくて、温かい、母様の匂いがする場所が!』
彼の羅針盤は、もはや一点の曇りもなく、まっすぐに森の奥を指し示していた。
一行は、ウルの導きに従い、巨大な一枚岩が門のようにそびえ立つ、荘厳な谷の入り口へとたどり着いた。
そして、その道を、まるで古の王のように塞いでいたのが、**「それ」**だった。
#### 古森の守護者
それは、獣ではなかった。
悠久の時を生きた巨大な樹木と、苔むした古代の岩石が、魔法によって完全に融合した、身の丈5メートルはあろうかという、巨大な人型のゴーレム。
それは、ただそこに『在る』だけで、周囲の空間そのものを支配していた。数千年の風雪にも、荒ぶる魔獣にも、決して揺らぐことのなかった、絶対的な不動の意志。
その体からは、無数の蔦が、まるで筋肉のように蠢き、その瞳があるべき場所には、青白い光が、静かに灯っている。
これまでの魔物のような、飢えや憎悪といった感情はない。ただ、侵入者を許さぬという、揺るぎない「意志」。そして、数百年、あるいは数千年という時を、この場を守り続けてきた者だけが持つ、絶対的な「風格」が、そこにはあった。
「……下がっていろ!」
護衛隊長アルフォンスが、雄叫びを上げる。彼は、仲間たちを背に庇うと、父から授かった大盾と、古のドワーフアックスを構え、その巨大な**『古森の守護者』**へと、真正面から突撃した。
「おおおおおっ!」
渾身の力を込めて振り下ろされた斧が、ガーディアンの岩の腕に叩きつけられる。
だが、響き渡ったのは、甲高い金属音と、痺れた腕から斧を取り落としそうになる、アルフォンス自身のうめき声だった。ガーディアンの体には、傷一つついていない。
「ギ……ギギ……」
ガーディアンは、まるで億劫そうに、その巨大な腕を振り下ろす。アルフォンスは、咄嗟に盾でそれを受け止めるが、凄まじい衝撃に、数メートルも吹き飛ばされた。
(くそっ…!桁が違う…!これまでの魔物とは、重さも、硬さも、何もかもが!だが…!ここで俺が退けば、誰がアークを守るんだ!)
「硬すぎる! 物理攻撃が、全く効かねぇ!」
アルフォンスは、焦りの声を上げながらも、その瞳から闘志を消さなかった。
さらに、ガーディアンが大地に手をつくと、地面から、何本もの鋭く尖った木の根が、槍のように突き出し、一行へと襲いかかる。パーティは、完全に窮地に陥っていた。
#### 植物魔術のハッキング
仲間たちが絶望に顔を曇らせる中、アークだけが、冷静に、その戦いを分析していた。
(違う……あの蔓や根は、ガーディアン自身の魔力じゃない。この森に満ちる、膨大なマナを、直接利用して操っているんだ。だとしたら……)
アークの脳裏に、一つの、あまりにも大胆不敵な戦術が閃いた。
彼は、地面に手を触れ、再び『森との同調』を発動する。
そして、森全体に広がるマナのネットワークの中から、ガーディアンが植物を操るために発している、特殊な**「魔力制御信号」**を探し当てた。
(……見つけた!)
「兄さん、もう一度だけ、突っ込んで時間を稼いで!」
弟の、絶対的な確信に満ちた声に、アルフォンスは一瞬の迷いも見せず、再び立ち上がり、ガーディアンへと向かっていく。
その、兄が命がけで稼いだ、数秒の間に。
アークは、ガーディアンの制御信号に、自らの魔力を、割り込ませた。
「**『植物魔術のハッキング(プランツ・マジック・ハック)』**!」
次の瞬間、戦場の理が、完全に覆った。
それは、剣士が振るう剣の柄を、その剣自身に握らせて、持ち主の心臓を突かせるに等しい、あまりにも理不尽で、あまりにも冒涜的な神の御業。戦いのルールそのものを、根底から書き換える、アーク・ライナスという規格外の存在証明だった。
アルフォンスを串刺しにせんと迫っていた、巨大な木の根が、その寸前で、ぴたりと動きを止める。そして、まるで意志が反転したかのように、その鋭い切っ先を、主であるはずのガーディアン自身へと向けたのだ。
「なっ……!?」
驚愕するガーディアンの足を、自らが操っていたはずの根が、力強く絡め取り、その巨体を、完全に拘束する。
#### 共鳴する魂
動きを封じられたガーディ-アン。
「今だ! とどめを!」
カエルの声に、アルフォンスが斧を振り上げる。
だが、その一撃が振り下ろされる寸前、アークの、必死の声がそれを制した。
「待って、兄さん! この子は、敵じゃない!」
魔力をハッキングした瞬間、アークの脳内に、ガーディアンの、純粋な「心」が流れ込んできていた。
そこにあったのは、悪意ではない。
『聖域ヲ、守レ』
『我ガ主、月光ノ民ノ、安寧ヲ』
ただ、数千年もの間、たった一人で、エルフから与えられた、その神聖な命令を、愚直なまでに守り続けてきた、孤独で、気高い、守護者の魂だった。
アークは、拘束を解くと、ゆっくりと、ガーディアンの前へと歩み出た。
そして、自らの肩の上で、心配そうにこちらを見つめる、ウルを、その両手で、優しく抱きかかえた。
「僕らは、敵じゃない。この子を、ウルの母親を、救うために来たんだ」
アークは、ウルの、世界樹の分霊としての、清浄で、神聖な気配を、ガーディアンに向かって、静かに提示した。
ガーディアンの瞳に灯っていた、青白い警戒の光が、ウルの気配に触れた瞬間、ふっと、穏やかなものへと変わった。
彼は、ウルの奥にある、母なる世界樹の魂の欠片を、確かに感じ取ったのだ。
ゴウ……ン。
ガーディアンは、ゆっくりと、その場に膝をつくように、その巨体を沈ませた。それは、絶対的な忠誠を示す、騎士の礼。
そして、彼が守っていた谷の入り口を、自らの体を横にずらすことで、一行のために、道を開けてみせた。
それは、数千年にわたる孤独な任務の、終わりの合図だった。忠実なる番人は、ついに、自らが待ち望んでいた『真の主』の血統と、森を癒やす『希望』の到来を、その魂で認めたのだ。
ただ敵を倒すのではない。その魂と共鳴し、道を認めさせる。
アークたちの、優しさと力が、ついに、伝説の聖域への扉を、こじ開けた瞬間だった。
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