第56話:英雄の凱旋と、相棒の涙
#### 陽だまりの村へ
辺境伯からの「お墨付き」という、これ以上ない手土産を携えたアークたちの帰還は、村の歴史に刻まれる、本当の意味での「英雄の凱旋」となった。
「アーク様! アルフォンス様! おかえりなさい!」
フィンを始めとした村人たちが、涙ながらに彼らを迎え入れる。その顔には、もはや貧しさや不安の影はない。自らの手で未来を掴んだ、自信と喜びに満ち溢れていた。
その夜、村の広場では盛大な祝宴が開かれ、セーラの作る最高の料理と、温かい笑い声が、夜空に響き渡った。アークは、家族と、かけがえのない仲間たちに囲まれ、この守り抜いた平和の温かさを、心の底から噛み締めていた。
彼の目に映るのは、新しい服をはにかみながら着ているフィン、顔色が良く、心から笑い合っている老人たち、そして、もはや誰も空腹を心配していない、子供たちの屈託のない笑顔。かつての、灰色で、誰もが俯いていた村の記憶と、目の前の陽だまりのような光景が重なり、彼が成し遂げたことの本当の重みが、胸に迫ってきた。
#### 小さな異変
穏やかな日々が戻ってきた。
だが、アークは、その幸福な日常の中で、一つの小さな、しかし、決して見過ごすことのできない異変に気づいていた。
相棒である、ウルの元気がないのだ。
以前のように、アークの肩の上で嬉しそうに飛び跳ねることもなく、セーラが特別に用意した木の実にも、あまり口をつけようとしない。そして、夜になると、時折、悪夢にうなされるかのように、小さく「きゅぅん……」と、悲しげな鳴き声を上げるのだった。
その瞬間、眠っていたアークの脳裏にも、断片的なビジョンが流れ込む。黒く、ひび割れた大地。力なく垂れ下がる、巨大な枯れ枝。そして、森全体から聞こえてくる、言葉にならない、生命そのものの悲鳴。ウルの魂と繋がったアークは、その悪夢を、追体験してしまっていた。
その日、アークは、研究室の窓辺で、じっと森の奥を見つめるウルの、小さな後ろ姿を見つけた。その毛並みは、心なしか艶を失い、嬉しい時に咲くはずの頭の小さな花も、固く蕾を閉ざしたまま。
その背中からは、言葉にならないほどの、深い「哀しみ」が伝わってきた。
「……ウル?」
アークがそっと声をかけると、ウルはゆっくりと振り返った。
そして、その漆黒の瞳から、ぽろり、と一粒、水晶のような涙がこぼれ落ちた。
アークは、全てを理解した。
辺境伯に献上した『世界樹の盆栽』。あれは、アークの魔力と、ウルの神聖な力を凝縮して創り出した、生命の結晶。その行為が、分霊であるウルと、親である世界樹との魂の繋がりを、より強固にしてしまったのだ。
今、ウルの小さな身体は、遥か森の奥で死につつある、母の苦しみを、これまで以上に鮮明に、そして、痛切に感じ取ってしまっている。
アークが、アークイモで、醤油で、ポーションで、村に豊かさをもたらしている、その同じ時間、ウルの母親は、誰にも知られず、一人で、静かに死に向かっている。
その、あまりにも残酷な現実に、アークの胸は、ナイフで抉られるように痛んだ。
#### 原点への誓い
その夜、アークは、書斎に、父と、兄アルフォンス、そしてローランを招集した。ザターラにいるディアナとは、『契約の木』の葉を媒体にした、魔法の通信機で繋がっている。
「みんな、聞いてほしい」
アークは、仲間たちを真っ直ぐに見つめ、静かに、しかし、力強く語り始めた。
「僕らが、ゲルラッハを退け、辺境伯様のお墨付きを得たのは、全て、この村の平和を守るためだった。でも、僕は、気づいたんだ。僕が本当に守りたいのは、この村と、大切な家族だけじゃない」
彼は、膝の上で、小さく震えるウルを、優しく撫でた。
「――僕の、もう一人の家族。ウルの、お母さんを、助けたい。ううん、助けなきゃいけないんだ。瀕死の世界樹を、この手で、必ず癒やしてみせる。**僕がこの村を豊かにするために使ってきた、この木魔法の力は、元を辿れば、世界樹と、その分霊であるウルから与えられた、借り物の奇跡なんだ。この大いなる恩に報いずして、僕らの本当の平和は、決して訪れない!**」
通信機の向こうで、ディアナが息を呑むのが分かった。(この少年は、ただ利益や感情だけで動いているのではない。恩義と、責任と、そして愛。その全てを背負って、世界そのものと戦おうとしている……!)。
それは、経済戦争の勝者が語る言葉ではない。一人の少年が、たった一人の大切な家族を救いたいと願う、純粋で、揺るぎない「誓い」だった。
#### エルフの伝承
「……しかし、どうやってですかな」
ローランが、難しい顔で問いかける。「世界樹の病は、神代の領域。我々人間の知識では、あまりにも……」
その言葉に、アークは頷いた。
「だから、人間の知識じゃないものを、探すんだ」
その時、ローランが、ハッと何かに気づいたように、立ち上がった。
「……まさか。いや、しかし……。先代様が晩年、『森の理の外にある者たち』について、何やら熱心に調べておられたのを思い出しましてな……」
彼は、書庫の奥にある、先代領主が使っていたという、鍵のかかった書見台の引き出しから、埃を被った、一冊の極めて古い書物を取り出してきた。
「あくまで、おとぎ話として伝わる、ただの伝承ですが……」
ローランが、震える指で、その一節を読み上げる。
「――森が、その生命を失う時、月光の民、森を愛でし、長き命持つ者たちが、その叡智をもって、大いなる癒やしをもたらすであろう――」
「月光の民……」ディアナの声が、通信機から響く。「それは、伝説の種族、**『エルフ』**のことではありませんこと?」
「うむ」ローランは、頷いた。「伝承によれば、彼らは、この辺境の、さらに奥深く、地図にも記されぬ『月の谷』に、隠れ里を築いているという。彼らならば、我らの知らない、世界樹の秘密を、知っているやもしれませぬ」
書斎に、新たな希望の光が差し込んだ。
アークは、窓の外に広がる、どこまでも続く、深い森の闇を見つめた。その闇の、さらに向こうにある、まだ誰も見たことのない、伝説の隠れ里へと思いを馳せる。
経済と知略の戦いは、終わった。
そして今、世界の真理と、古の伝説に挑む、新たな冒険の扉が、静かに開かれようとしていた。
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