第52話(幕間):空っぽの料金所と、代官の焦燥
#### 傲慢な朝
代官ゲルラッハの朝は、いつもと変わらず、贅沢と傲慢に満ちていた。
南方の国から取り寄せた高級な肉を頬張り、女奴隷に高価なワインを注がせる。彼の頭の中は、今月末に商人どもから巻き上げる通行税で、王都の宝石商から新しい首飾りを買い付ける算段でいっぱいだった。
ライナス領の小僧と、銀月商会の小娘が、何か小賢しい動きをしているという噂は耳に届いていたが、彼にとっては取るに足らない戯言だった。
(所詮は田舎貴族の悪あがきと、成り上がり女の空回り。この地方の本当の支配者が誰であるか、すぐに思い知ることになるだろう)
彼は、自らの権力が、この地方において絶対であると信じて疑っていなかった。
#### 異変
最初の異変の報は、月の半ばに届いた。
街道の料金所の徴税官が、顔面蒼白で彼の前にひれ伏したのだ。
「も、申し上げます、代官様! 今月の街道の通行量が、例年の半分以下にまで落ち込んでおります!」
「……何だと?」
ゲルラッハは、ワイングラスを持つ手を止めた。
「天候でも悪いのか? それとも、山賊でも出たか? くだらん。さっさと対処しろ」
彼は苛立ちを隠さずに吐き捨てた。まだ、この時点では、それが自らの支配を揺るがす、巨大な地殻変動の始まりであるとは、夢にも思っていなかった。
だが、数日後。事態は彼の想像を遥かに超えて悪化する。
「通行量、ほぼゼロにございます! 商人たちの荷馬車が、一台も、街道を通りません!」
収入が、完全に、途絶えた。
ギリッ、と奥歯を噛み締める音が、静かな執務室に響いた。彼の額には、いつの間にか脂汗が滲んでいた。絶対的だと信じていた、自らの支配に、初めて生じた明確な『亀裂』。その事実に、彼の心臓が、嫌な音を立てて軋んだ。
その衝撃的な報告に、ゲルラッハはついにワイングラスを床に叩きつけた。
「馬鹿なッ! 商人どもは、どこへ消えた! 奴らは、荷を運ばねば商売にならんはずだろうが!」
彼は、腹心の部下であり、かつてライナス領で屈辱を味わったロリックに、ザターラでの徹底的な調査を命じた。
#### 戦慄の報告
数日後、ロリックが持ち帰った報告は、ゲルラッハの常識を粉々に打ち砕くものだった。
「……代官様。商人たちは、消えたのではございません。彼らは……別の道を使っておりました」
ロリックは、震える声で続けた。
「銀月商会のディアナがギルドをまとめ上げ、ライナス男爵領が提供するという、未知の新ルート……『忘れられた王の道』なるものを、全ての商人が使い始めております!」
「ライナス領だと!? あの小僧が、またしてもわしの邪魔を!」
ゲルラッハは激怒した。だが、その怒りの奥には、まだ侮りが残っていた。
「ふん、どうせ山賊がうろつく、危険な獣道に違いあるまい。すぐに数人が死に、泣きついて戻ってくるわ!」
しかし、ロリックは絶望的な表情で首を横に振る。
「……それが……違うようなのです。商人たちの間で、とんでもない噂が……」
ロリックが語ったのは、商人たちが実際に体験したという、信じがたい話だった。
曰く、その道は、緑の絨毯を敷き詰めたかのように滑らかで、馬車が全く揺れないらしい。
曰く、夜でも月光苔の光で街道のように明るく、危険な崖には頑丈な柵まで設けられているらしい。
曰く、道の途中には、清水が湧き、馬の飼料となる実がなる、不思議な『宿場樹』なるものが生えており、旅の疲れを癒してくれるらしい。
ゲルラッハの顔から、血の気が引いていく。
彼の侮りは、得体の知れない、人知を超えた力に対する、原始的な「恐怖」へと変わっていた。
(獣道ではない? 魔法だと? 馬鹿な! そんなことが出来るのは、国の最高魔術師か、あるいは……神話の時代の化け物だけだ! あの小僧は、一体何者なのだ!? 俺は、一体、どんな得体の知れない怪物を敵に回してしまったのだ……!?)
#### 破滅への引き金
月末が、無慈悲に迫る。
辺境伯への上納金。自身の贅沢な生活を維持するための金。その全てが、底をついた。
金庫は、空っぽだった。
焦燥と恐怖に駆られたゲルラッハは、ついに、アークとディアナが描いた設計図の上で、最も愚かな、そして、最も予測された一歩を踏み出してしまう。
「ええい、ええい! こうなれば誰でも同じだ! 商人どもが払わぬのなら、あの愚かな領民どもに払わせれば良い! 奴らは俺の家畜だ! 骨の髄まで、一滴残らず搾り取ってくれるわァ!」
彼は、執務室に響き渡るほどのヒステリックな声で、残った部下に命令した。
「我が代官領の全ての民に、税をこれまでの二倍に引き上げると布告しろ! 納められぬ者は、財産を差し押さえ、逆らう者は、目に付いた者から順番に、見せしめに広場で吊るしてしまえ!」
その、あまりにも短絡的で、あまりにも悪辣な命令が下された、わずか数時間後。
中立都市ザターラ、銀月商会の本店。
ディアナの執務室の机の上に、一羽の伝書鳩が運んできた、小さな報告書が、静かに置かれた。
彼女は、その内容に目を通すと、満足げに、そして、冷ややかに微笑んだ。
彼女は、アークへ宛てた手紙を取り出すと、美しい羽根ペンで、ただ一言だけを、そこに記した。
『――『第二段階』へ、移行しますわ』
強欲な代官が、自らの手で、破滅への扉を開いた。
二人の共犯者が仕掛けた、静かなる戦争の盤上で、チェックメイトを告げる、次なる駒が、今、静かに動き出そうとしていた。
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