第50話:経済戦争の設計図と、二人の共犯者
#### 共犯者たちの作戦会議
ディアナ・シルバーの執務室。
そこは、これから始まる壮大な「ゲーム」の盤上が広げられた、二人の共犯者のための作戦司令室へと姿を変えていた。
テーブルの上には、この地方一帯の広大な地図と、銀月商会が長年かけて蓄積したであろう、分厚い帳簿の束が広げられている。
「まず、敵を知ることから始めましょうか」
ディアナは、紅茶のカップを優雅に傾けながら、その銀色の瞳に、冷徹な戦略家の光を宿した。彼女の言葉は、まるで熟練の外科医が、メス一本で腫瘍の根源を正確に暴き出すかのようだった。
「代官ゲルラッハ。あの男の力の源泉は、ただ一つ。辺境伯様から与えられた『徴税権』という名の、虎の威ですわ。そして、彼の収入の九割以上は、商人たちから搾取する、法外な『通行税』に依存しています」
彼女は、帳簿の一冊を指し示す。
「面白いことに、彼はその金をほとんど蓄えていません。辺境伯様への上納金と、自身の悪趣味な贅沢に、湯水のように使い果たしている。つまり、あの男は、見た目だけを着飾った、中身は空っぽの張り子の虎。**毎月のキャッシュフローが止まれば、即座に立ち行かなくなる、自転車操業の三流経営者**に過ぎませんの」
その、あまりにも的確で、容赦のない分析に、アークは満足げにうなずいた。
「なるほど。心臓は一つ、資金繰りは杜撰。僕らが狙うべき弱点は、はっきりしましたね」
#### 二段階の『お掃除』計画
アークは立ち上がると、巨大な地図の前に立った。そして、その地図に、そっと手をかざす。
「ディアナさん。僕の考えを、『見て』ください」
「**『地図への投影』**」
アークの言葉に応え、地図の上に、奇跡が顕現した。
彼の手から溢れ出した、穏やかな緑色の光が、地図全体を覆う。そして、平面的だった地図の上に、山脈や森が立体的に浮かび上がり、ゲルラッハが支配する街道が、淀んだ赤色の光の線となって脈打った。商人たちの荷馬車を模した、小さな光の点が、その赤い線の上で、重い足取りで行き交っている。
「これが、今の物流。ゲルラッハの心臓に、富という血液を送り続ける、動脈です」
ディアナが、その、あまりにも幻想的で、あまりにも分かりやすい光景に、息を呑む。
アークは、続けた。
「僕らの作戦は、二段階。第一段階は、**『兵糧攻め』**。この心臓に、血液を一滴も送らせないようにする」
アークの言葉と共に、地図の上に、ライナス男爵領とザターラを繋ぐ、全く新しい、清らかな緑色の光の線――『忘れられた王の道』が、鮮やかに浮かび上がった。
そして、これまで赤い線上を動いていた商人たちの光の点が、まるで磁石に引き寄せられるかのように、一斉に、その新しい緑色の道へと流れ込んでいく。結果、ゲルラッハの赤い動脈は、完全に光を失い、細く、か弱く、死んだように静まり返った。
「僕らの道を、ゲルラッハの通行税より安く、安全なルートとして、他の商人たちに解放します。そうすれば、商人たちは、雪崩を打ってこちらへ流れてくる。ゲルラッハの収入源は、完全に断たれます」
ディアナは、もはや驚きを隠そうともせず、その光景を恍惚とした表情で見つめていた。
(……視覚化された戦略。複雑な情報を、誰もが一目で理解できる形に落とし込み、未来のビジョンを共有させる力。これは、ただ魔法が使えるだけではない。百の軍勢を率いる将軍よりも、千の言葉を弄する政治家よりも、遥かに雄弁に人を導く、真の**『王』が持つべき器**……! 私がずっと探し求めていた、世界を変えるための、最後のピースが、今、目の前に……!)
「そして、第二段階は、**『自爆への誘導』**です」
アークの瞳が、悪戯っぽく、しかし、冷徹に輝いた。
「収入を絶たれたゲルラッハは、必ず、辺境伯様への上納金を捻出するために、別の場所から搾取しようとするでしょう。例えば、自らが治める町の住民に、不当な重税を課す、とかね。その、焦りからくる悪行の『証拠』を、僕らは、一つ一つ、丁寧に集めていくんです」
アークの手の中で、赤い動脈の終着点――ゲルラッハの屋敷を示す一点が、黒く、禍々しい光を放ち始めた。
「そして、全ての証拠が揃った時、それを、彼の任命権者である辺境伯様ご自身に、お届けする。そうすれば、僕らは、一切手を汚すことなく、あの男を、社会的に、完全に**『お掃除』することができる**」
アークは、ディアナの目を真っ直ぐに見つめ、悪戯っぽく笑った。その笑みは、「あなたなら、この言葉の意味がわかりますよね?」と雄弁に語っていた。
#### 共犯者たちの握手
作戦の全貌が、完璧な形で、そこに示された。
ディアナは、しばし、その立体的な地図を黙って見つめていたが、やがて、心の底から楽しそうな、満面の笑みを浮かべた。
「……素晴らしい。完璧な、設計図ですわ。血を流さず、法を犯さず、敵の強欲さそのものを利用して、自滅させる。あなた、本当に悪魔のようなことを考えますのね」
「光栄です」
二人の役割分担は、自ずと決まった。
ディアナが、その広範な情報網と交渉術を駆使し、商人ギルドへの根回しと、ゲルラッハの不正の証拠集めという「情報戦」を担当する。
アークが、その奇跡の魔法と知識で、『忘れられた王の道』の整備・維持管理と、商人たちを惹きつけるための「目玉商品」の安定供給という「兵站」を担当する。
知略と、生産力。二つの歯車が、完璧に噛み合った瞬間だった。
「決まり、ですわね」
ディアナは、アークに向かって、白く、美しい手を差し出した。
アークも、その小さな手で、力強く握り返す。
彼女は、初めて心の底から信頼できる『共犯者』を見つけた子供のように、無邪気で、そして、最高に魅力的な悪女の笑みを浮かべた。
「あなたと組めば、この商売も、退屈せずに済みそうですわ。――さて、我らがパートナー。記念すべき最初の**『お掃除』**、始めましょうか」
辺境の少年と、中立都市の女傑。
二人の共犯者が交わした握手は、一人の強欲な代官の運命に、そして、この地方の経済の歴史に、静かなる、しかし、決定的な終焉の鐘を鳴らしたのだった。
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