第5話:村一番の料理人と、小さな友達
『アークイモ』は、瞬く間にライナス男爵家の食卓の主役となった。
蒸かしただけでも十分に美味しいが、ギデオンが腕を振るい、スープに入れたり、潰して焼いたりすることで、その魅力はさらに花開いた。栄養価の高い食事のおかげか、母の顔色は日増に良くなっていく。
だが、アークとギデオンだけは、まだ根本的な問題が解決していないことを理解していた。
「アーク坊ちゃま。奥様の体調は安定しておりますが、やはり冬の寒さが本格的になる前に、病の根を断つ薬が必要でございましょう」
二人きりの厨房で、ギデオンが心配そうに呟く。
アークも静かに頷いた。今の安定は、あくまで環境改善によるもの。病そのものを治したわけではない。
(薬草……。森の奥深くに行かないと手に入らない、特別な薬草が必要だ)
だが、今の自分はまだ五歳。一人で森の奥へ行くことなど許されるはずもない。
力をつけ、信頼を得て、行動の自由を手に入れなければ。
(そのためにも、まずは村だ)
アークは、秘密の畑で増産に成功したアークイモの山を見つめた。
家族だけのものにしておくつもりは毛頭ない。このイモは、村の人々を飢えと貧しさから救うための、最初の切り札なのだ。
「ギデオン。このイモを、村の人に食べてもらいたいんだ」
「なんと!……しかし、どうやってですかな?我々がこれを育てていると知られるわけには……」
「だから、まずは一人だけ。このイモの価値を一番わかってくれて、最高の食べ方を見つけてくれる人に、試してもらいたいんだ」
アークの脳裏には、一人の女性の姿が浮かんでいた。
村で小さな食堂を営む、料理上手のセーラだ。母もギデオンも、彼女の作る素朴な料理をいつも褒めていた。彼女なら、きっとアークイモの真価を見抜いてくれる。
アークの真剣な眼差しに、ギデオンは何かを察したようだった。
彼は深く頷くと、「……分かりました。アーク坊ちゃまのそのお心、この老いぼれが必ずや村へ届けますぞ。さあ、参りましょう。未来の領主様」と、慈愛に満ちた瞳で力強く請け負ってくれた。
翌日。
アークはギデオンに連れられ、屋敷の門を抜けた。
籠の中には、「森の奥で見つけた、珍しいイモのおすそ分け」という名目のアークイモがたっぷりと入っている。
眼下に広がるのは、アークが治めるべき村の全景だった。
石と木でできた質素な家々が十数軒。畑は痩せ、村人たちの服も、ギデオンと同じように繕いの跡が目立つ。
だが、人々の表情に卑屈さはない。子供たちは元気に駆け回り、大人たちは道端で立ち話をしながらも、アークとギデオンに気づくと、作業の手を止めて深々と頭を下げた。その瞳には、貧しさに負けない実直な光が宿っていた。
(この人たちを、僕が豊かにするんだ)
アークが改めて決意を固めていると、道の先から一人の少年が駆け寄ってきた。
アークと同じくらいの歳だろうか。そばかすの浮いた顔に、好奇心旺盛な目を輝かせている。
「あ! 男爵様んちの、アーク様だ!」
少年はアークの目の前でぴたりと止まると、興味津々な様子でアークをじろじろと見つめた。
「坊ちゃまに馴れ馴れしいですよ、フィン!」
ギデオンが窘めるが、フィンと呼ばれた少年はへっちゃらな様子だ。
「だって、アーク様が村に来るなんて珍しいんだもん! ねぇ、どこ行くの?」
「セーラおばさんの所に、届け物だよ」
アークがはにかみながら答えると、フィンは「そっか!」と嬉しそうに笑った。
「じゃあ、僕もついてっていい? セーラおばさんのパイ、世界一うまいんだ!」
こうして、アークの初めての村訪問には、フィンという小さな友達候補が加わることになった。
セーラの店は、村の広場に面した一番大きな建物だった。
中に入ると、木のテーブルと椅子がいくつか並べられ、奥の厨房からは香ばしい匂いが漂ってくる。
「あら、ギデオンさんと……まあ、アーク坊ちゃま! どうなさったんです?」
厨房から現れたのは、快活な笑顔が似合う、働き者の女性だった。彼女がセーラだ。
ギデオンが事情を説明し、アークがイモの入った籠を差し出すと、セーラは驚いたように目を見開いた。
「これが、あのギデオンさんを唸らせたっていう……天上の恵み?」
「うん。それで、お願いがあるんだ」
アークは、セーラの目を真っ直ぐに見つめて言った。
「このイモの、一番美味しい食べ方を、村の皆のために見つけてほしいんだ」
その言葉に、セーラの店の空気が一瞬、シンと静まり返った。
彼女はアークの顔をじっと見つめる。
「へぇ……。貴族の坊ちゃんが、自分の手柄のためじゃなく、『村の皆のため』、ねぇ。……気に入ったわ。アンタのその澄んだ目と、その心意気、確かに受け取った」
セーラは籠の中のアークイモを一つ手に取ると、そのずっしりとした重みを確かめるようにポンと掌で弾いた。
そして、腰に手を当て、村一番の料理人としての自信に満ちた顔で、アークに力強く宣言した。
「このイモの最高の食べ方、このセーラが必ず見つけ出して、村の皆を笑顔にしてあげる! 任せときな!」
その頼もしい言葉に、アークの胸は熱くなった。
『アークイモ』という一つの種から、ギデオン、フィン、そしてセーラへと、確かな絆が芽吹き始めていた。アークの描く設計図は、もう彼一人だけのものではなくなっていたのだ。
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