第46話:秘密の隊商と、中立都市ザターラ
#### 静かなる出立
代官ゲルラッハとの経済戦争の火蓋を切る、その旅立ちは、静寂の中で行われた。
ダグが作り上げた、巧妙な隠しコンパートメントを備えた荷馬車。その中に、村の未来を賭けた「至宝」が、丁寧に積み込まれていく。
貴重な『奇跡のポーション』は、一見すると安物の葡萄酒の瓶に。最高品質の『醤油』と『味噌』は、何の変哲もない無地の樽に。そして、その上には、見栄えのしない、普通のアークイモが、カモフラージュとして無造作に積まれている。この旅が、緻密な「諜報作戦」でもあることを、その積荷が雄弁に物語っていた。
旅立つのは、アークが選んだ、少数精鋭の四人。
総司令官兼交渉役のアーク、護衛隊長のアルフォンス、軍事顧問のローラン、そして、斥候の狩人カエル。
屋敷の裏門で、父と母だけが、静かに彼らを見送った。
「……全て、お前に任せる。ライナス家の誇りを、忘れるな」
父が握らせてくれた、ずっしりと重い金貨の袋。その袋を、母が、美しい刺繍を施した、小さな巾着袋に、そっと入れてくれた。「お父様がくれたのは、戦うための力でしょう。お母さんが、あなたに渡すのは、故郷の温もりを、その心に留めておくための、器です。決して、一人で戦っているなどと、思わないでおくれ」
母の温かい言葉が、アークの胸に、深く、深く染み渡った。
#### 新たなる世界の夜明け
一行は、再び、『忘れられた王の道』へと足を踏み入れた。
だが、前回とは、全く違う。彼らは、もはや、未知の道に怯える、ただの村人ではない。崩れた橋は、より強固な「生きた橋」へと作り変えられ、ロックバグが潜んでいた場所は、アルフォンスが、常に警戒を怠らない。この道は、彼らにとって、頼れる「故郷への裏道」となっていた。
数日後、一行は、山脈の反対側の出口へと、無事にたどり着く。
彼らが、洞窟から一歩踏み出した瞬間、目の前に広がるのは、故郷の、厳しくも、清浄な北の空気とは全く違う、様々な匂いの混じった、温かい南の風だった。
#### 中立都市ザターラ
さらに数日、街道を進んだ彼らの目の前に、巨大な城壁に囲まれた、活気溢れる都市が見えてくる。それこそが、彼らの目的地、いかなる国家にも属さず、交易だけで成り立っている、中立都市『ザターラ』だった。
城門をくぐった瞬間、彼らは、文化の奔流に飲み込まれた。
人の波、飛び交う怒号、そして、欲望の匂い。アークの目には、この光景は、驚きであると同時に、前世で、彼が、疲れ果てていた世界の光景と、どこか重なって見えていた。
(……結局、どこまで行っても、世界とは、こういうものなのかもしれないな)
だが、彼の心に、絶望はなかった。むしろ、その口元には、不敵な笑みが浮かんでいた。
(だとしたら、好都合だ。この、僕がよく知るルールの上でなら、負ける気はしない)
その喧騒の中、アルフォンスの肩が、荷物を担いだ商人と、強くぶつかった。
「っ……てめぇ、どこ見て歩いてやがる!」
商人が、忌々しげに、アルフォンスの古びた鎧を睨みつけた。「田舎者の、汚い鎧が! 錆がうつるだろうが!」
カッと、アルフォンスの顔に血が上る。彼が、腰の剣に手をかけかけた、その瞬間。
「――アルフォンス様」
ローランの、静かだが、有無を言わさぬ声が、彼の肩を制した。
「ここは、我らの村とは、戦いの作法が違いますぞ。その剣を抜けば、我らの負けにございます」
アルフォンスは、唇を噛み締め、悔しそうに、その手を下ろした。辺境の価値観(力と誇り)が、この都市では通用しない。その小さな「洗礼」が、アークがこれから仕掛ける「経済戦争」の、最高の引き立て役となった。
#### 盤上の第一手
一行は、街の一角にある、清潔な宿屋に部屋を取る。そして、そこで、ザターラでの、最初の作戦会議を開いた。
ローランが、この都市を牛耳る、いくつかの巨大な商会や、ギルドについて解説する。
だが、アークは、そのいずれにも首を横に振った。
「僕らが組むべき相手は、もっと、身軽で、野心があって、そして、何より、『本物』を見抜く目を持つ相手だ」
ローランは、心得たとばかりに、一つの商会の名を挙げた。
「……ならば、『銀月商会』ですかな。そこの女当主は、確か、平民の出でな。一代で、あの規模の商会を築き上げた、相当なやり手だと聞いておる。古い慣習を嫌い、貴族相手でも、物怖じしないことで有名ですな」
アークの瞳が、キラリと輝いた。「平民出身」「革新的」「権力に屈しない」。その全てが、アークのパートナーとして、これ以上ないほど魅力的だった。
「決まりだね。僕らは、この『銀月商会』と、手を組む」
だが、とアークは続ける。
「僕らから、頭を下げて、商品を売り込みに行くんじゃない。僕らが、この街で、ちょっとした『奇跡』を演出する。そうすれば、必ず、彼らの方から、僕らを見つけに、やってくるはずだよ」
アークは、仲間たちを見回し、その、あまりにも大胆不敵な、計画の全貌を語り始めた。
「ローランさん。明日、この街で一番大きな、闘技場を借りてください」
「……何ですと?」
「そして、街一番と謳われる、現役のチャンピオン剣士に、試合を申し込むんです。賞金は、僕が出します」
「アーク様! ローラン殿は、もう引退された身! いくらなんでも、それは……!」
アルフォンスが、慌てて制止する。だが、その隣で、ローランは、静かに、そして、深く、打ち震えていた。
やがて、彼は、その顔を上げ、子供のように、屈託のない、戦士の笑みを浮かべた。
「……はっ、ははは! アーク様、あなたは、悪魔か、それとも、女神か! この老いぼれに、生涯、忘れられぬほどの、最高の舞台を用意してくださるとは! 謹んで、そのお役目、お受けいたしますぞ!」
アークは、悪戯っぽく笑うと、懐から、美しく輝く、一瓶の『奇跡のポーション』を取り出した。
その液体の中には、聖浄樹の光を思わせる、微細な光の粒子が、キラキラと舞っている。
「大丈夫だよ、兄さん。ローランさんは、試合の直前に、これを一瓶、飲むだけだから」
老騎士が、ポーションの力で、全盛期以上の力を取り戻し、若きチャンピオンを圧倒する。
これ以上ないほど、派手で、そして、効果的な、最高の「商品説明」。
その、あまりにも胸の熱くなる計画に、ローランとアルフォンスは、息を呑む。
辺境の少年が、活気溢れる大都市を相手に仕掛ける、壮大なる経済戦争。その、あまりにも大胆不敵な、第一手の計画が、今、静かに、幕を開けた。
***
最後までお読みいただき、ありがとうございます。面白いと思っていただけましたら、ブックマークや評価、フォローをいただけますと、執筆の励みになります。




