第44話:螺旋の道と、陽光の誓い
#### 静寂の都、最後の行軍
『山の心臓』が内包する、あまりにもおぞましい真実。それを垣間見た一行の間に、言葉はなかった。ただ一つの目的――この死せる都からの生還――だけが、彼らの心を繋ぎとめていた。
アークの脳裏に焼き付いた、断片的な記憶のビジョンだけが頼りだった。都の最奥、地上へと通じるという古の螺旋通路を目指し、一行は最後の行軍を開始する。
壮麗な石造りの街並みが、まるで巨大な墓標のようにどこまでも続いている。人の気配も、生活の音も、何もかもが数百年前に削ぎ落とされた静寂の都。そこに響くのは、アルフォンスが纏う鎧のかすかな金属音と、固い石畳を打つ仲間たちのブーツの音だけだった。その規則正しい響きだけが、自分たちがまだ生きていることの唯一の証明であるかのようだった。
先頭を行くアークは、時折立ち止まり、記憶の残滓と眼前の光景を照らし合わせる。その横顔には、仲間たちの命を預かる重圧が色濃く浮かんでいた。
やがて、一行は巨大な広場の最奥にたどり着く。そこに鎮座していたのは、アークの記憶にあった通りの、巨大な歯車を模した石の門だった。
「……これだ」
誰かが、かすれた声で呟く。
門の表面には、精緻なレリーフが刻まれていた。「沈みゆく太陽と、嘆き悲しむ七人のドワーフ王」。それは、この都の最後の瞬間を切り取った、悲痛な歴史の証言者だった。
そして、一行の目を奪ったのは、その門に絡みつく異様な光景だった。化石化した巨大な木の根が、幾重にも、幾重にも門を覆い尽くしている。まるで、沈みゆく太陽を永遠に昇らせまいとする、闇の意志そのものが形を成したかのように。
それは、ドワーフたちが遺した、絶望と諦めの物理的な象徴――**『沈みゆく太陽の門』**だった。
#### 道を創る魔法
「ふんっ!」
アルフォンスが渾身の力で斧を振り下ろすが、鋼鉄の刃は甲高い音を立てて弾かれた。化石化した根には、傷一つついていない。男たちが数人がかりで門を押しても、びくともしない。
「ダメだ……。岩盤と一体化している」
「これでは、我々の力ではどうにも……」
絶望的な壁を前に、民兵たちの顔に焦りの色が浮かぶ。その時、アークが静かに一歩前へ出た。
彼は化石化した根には目もくれず、その周囲、数百年という時をかけて新たに張り巡らされた、か細くも力強く生きる植物の根に、そっと手を触れた。
「お願いだ、力を貸して」
アークの瞳が、深緑の輝きを帯びる。
「――『植物成形(中)』!」
派手な光も、轟音もない。アークの手から溢れ出した穏やかな魔力が、生きた根の一本一本に染み込んでいく。すると、根はまるで生命を吹き込まれたかのように蠢き始め、高速で振動を開始した。
ギギギギギ……ッ!
それは、派手な破壊の魔法ではなかった。生きた根を、意志を持つヤスリのように、あるいは極小の削岩機のように操り、数百年かけて石と化した根を、分子レベルで削り取っていく。自然の摂理そのものを、数百年単位で加速させる、あまりにも緻密で、あまりにも根気のいる、アークならではの「土木工事」だった。
一滴、また一滴と、アークの額から汗が流れ落ちる。膨大な魔力と、それ以上に精密な集中力が要求される作業だ。
その、終わりが見えない数時間。仲間たちは、誰に言われるでもなく、自らの役割を果たしていた。
アルフォンスと民兵たちは、アークを中心に円陣を組み、盾を構えて周囲を警戒する。万が一にも『山の心臓』が目覚めた場合に備え、片時も油断はない。
ローランは、アークの顔色と魔力の揺らぎを冷静に見極め、的確なタイミングで声をかける。
「アーク様、一度手を止めなさい。五分、休憩を」
フィンは、アークの傍にしゃがみ込み、セーラが持たせてくれた栄養満点の干しリンゴを、彼の口元へとそっと運んだ。
「アーク兄ちゃん、これ、食べて。セーラ姉ちゃんが作った、一番甘いやつ」
誰一人として、焦りや不満を口にしない。ただ、黙々と仲間を支える。それは、絶望的な状況下で生まれた、揺るぎない信頼の絆の証。まさに、**『静かなる共同作業』**だった。
そして、どれほどの時が経っただろうか。
ミシリ、と。これまで聞こえなかった、乾いた音が響いた。
次の瞬間、バキィッ!という鋭い亀裂音と共に、門を塞いでいた化石樹の根が砕け散り、一行がようやく通れるだけの隙間が生まれた。
#### 光への帰還
門の先にあったのは、天へと続く、巨大な螺旋状の通路だった。
一行は、その果てしないかのように思える道を、一歩、また一歩と、無心で上っていく。どれくらい歩いただろうか。不意に、先頭を歩いていたアークが足を止めた。
「……匂いがする」
その言葉に、皆が鼻をひくつかせる。
石と水晶と、死の匂いしかしないこの世界で、確かに、何かが違った。最初は微かだったそれは、上へ進むにつれて、次第に濃くなっていく。
やがて、彼らの鼻腔を、懐かしい匂いがくすぐり始めた。湿った土の匂い。雨に濡れた葉の匂い。そして、生命の匂い。
道の先に、これまで見てきたどんな水晶の光とも違う、温かく、力強い、本物の**『太陽の光』**が見えた。
「光だ……!」
誰かの叫びを合図に、一行は雪崩を打つように、その光の中へと飛び出した。
最初に彼らの全身を包んだのは、暖かな陽光と、新鮮な風だった。
そして、鼻腔を満たしたのは、懐かしい故郷の香り。土の匂い、風の香り、雨上がりの森が放つ、生命そのものの匂いだった。数日間、死と、石と、無機質な水晶の光の世界にいた彼らにとって、その、あまりにも当たり前の**『生命の匂い』**が、何よりも強烈な生還の実感をもたらした。
ある者は、その場に膝から崩れ落ち、大地に感謝の祈りを捧げた。またある者は、大の字に寝転がり、空を仰いで歓喜の涙を流した。
#### 陽光の誓い
彼らが出てきたのは、山の反対側の斜面に巧妙に隠された、洞窟の出口だった。
目の前には、どこまでも続く青い空と、見渡す限りの緑の森が広がっている。
「……間違いない。我々は、山脈を完全に踏破した。代官ゲルラッハの支配する交易路を、完全に迂回できる新ルートを発見したのです。アーク様、我らの最初の任務は、見事達成されましたぞ!」
ローランの力強い言葉に、仲間たちが「おおっ!」と、生還と任務達成の喜びに沸き立つ。
だが、アークだけが、その歓声の輪から少し離れ、静かに彼らが出てきた洞窟――そして、その奥に眠る巨大な山の頂きを、険しい表情で見上げていた。
(村へ続く道は、見つけた。でも、本当の戦いは、これからだ。あの『山の心臓』を、そして、それを生み出した母なる『世界樹』の苦しみを、このままにはしておけない)
彼は、無意識のうちに、自らのこめかみに垂れる、一筋の髪にそっと触れた。
奇跡の代償として、その色を失った白い髪。
それはもはや、単なる傷跡ではなかった。
この都で起きた悲劇を、そこに眠る脅威を、そして自らが果たすべき使命を決して忘れないという、覚悟の**『物理的な証』**へと、確かに変わっていた。
辺境の地に生まれた奇跡の産物を、世界に届けるための秘密の道は、今、開かれた。
だがそれは同時に、この世界の、より深い真実と闇へと、一人の少年がその足を踏み入れる、始まりの道でもあった。
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