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現代知識と木魔法で辺境貴族が成り上がる! ~もふもふ相棒と最強開拓スローライフ~  作者: はぶさん


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第29話:醤油の仕込みと、甘い収穫祭

代官ゲルラッハの脅威が、偽りの報告書によって一時的に退けられてから、数ヶ月の穏やかな時間が流れた。

アークが仕掛けた情報戦は、完璧に機能していた。「ライナス男爵領の森には、得体の知れない恐ろしい魔物がいる」「下手に手を出せば、代官様の私兵団のように、命はあっても酷い目に遭う」。そんな噂が、尾鰭をつけて広まり、物見高い商人やごろつきが、この村に近づくことはなくなった。

アークが勝ち取った『時間』は、村を、そして人々の暮らしを、確かな幸福で満たしていた。


聖浄樹の苗床は順調に育ち、『緑の番人』たちは、今や熟練の農夫のように、奇跡の作物を安定して収穫できるまでになっていた。村の食糧庫は、冬を越してもなお、溢れんばかりの作物で満たされている。

だが、アークは、満ち足りた食卓を囲むたびに、一つの物足りなさを感じていた。


(美味しい。美味しいんだけど……何かが足りない)


セーラが作る料理は、素材の味を活かした、素朴で力強い美味しさがある。

しかし、アークの前世の記憶に刻まれた、あの、深い「味わい」。この世界には、塩味、甘味、酸味といった、はっきりとした味覚は存在する。だが、それらの味を支え、まとめ上げ、料理全体の満足感を何倍にも引き上げる、第五の味覚――そう、**『旨味うまみ』**。一つ一つの味を引き立て、まとめ上げる、料理の**「土台インフラ」**となるべき存在。それを意図的に生み出す技術が、まだ存在していなかったのだ。


その日、アークは、山のように収穫された『奇跡のアーク豆』の前に立っていた。

この、生命力に満ちた豆を使えば、実現できるかもしれない。

発酵という、微生物の力を借りた、食の錬金術。

この世界に、醤油と味噌という、食文化の革命を起こすことを。


「……豆を、腐らせる……?」

厨房で、アークの突飛な提案を聞いたセーラは、さすがに眉をひそめた。隣に立つギデオンも、困惑した表情を隠せない。

「大丈夫だよ」

アークは、自信に満ちた笑顔で言った。「僕の知識と、魔法があれば、最高の『宝物』に変わるんだ。手伝ってくれる?」

その瞳に宿る確信に、二人は、やれやれ、と肩をすくめて笑った。

「……坊ちゃんがそう言うなら、付き合うしかないねぇ」

こうして、辺境の村の片隅で、世界の食文化の歴史を塗り替える、壮大な実験が始まった。


最初の課題は、発酵に不可欠な「麹菌こうじきん」の確保だった。

アークは、屋敷の貯蔵庫から、蒸した麦を取り出すと、清潔な木箱に広げた。

そして、その麦に、そっと手をかざす。

これは、ただ植物を育てる魔法とは次元が違う。目に見えない微生物の中から、有益な麹菌だけを選び出し、その成長を促す。それは、まるで微生物のオーケストラの中から、たった一人の演奏者を選び出し、その音だけを増幅させるかのような、神業的なまでの精密な魔法コントロールを必要とした。アークの額に、じわりと汗が滲む。


「ウル、お願い。この中で、一番『美味しくて、優しい』匂いがする子を、教えて」

ウルは、主人の真剣な眼差しに応えるように、木箱の中の、白く色づき始めた麦の匂いを、一つ一つ、丁寧に嗅ぎ分けていく。彼は、このオーケストラの、最高のコンサートマスターだった。そして、ひときわ良い香りを放つ一角を見つけると、「きゅいっ!」と、嬉しそうに鳴いた。

「ありがとう、ウル! 君は、世界一の鑑定士だね!」


それからは、三人での共同作業だった。

アークの指示の下、ギデオンが、病的なまでに清潔な手つきで、蒸したアーク豆を潰していく。セーラが、その力強い腕で、豆と、ウルが選んだ麹、そして塩を、均一に混ぜ合わせる。

そして、出来上がった『味噌玉』を、ダグがこの日のために特別に打った、頑丈で美しい木桶の中へと、隙間なく詰め込んでいく。

「……これで、あとは、数ヶ月、静かに眠らせるだけだよ」

アークが木桶に蓋をしながら言うと、セーラとギデオンには、それが腐りかけの豆の塊にしか見えなかった。

だが、アークには見えていた。この静かな闇の中で、今、食の歴史を根底から覆す、深い旨味の革命が、ゆっくりと、しかし、確かに始まっていることを。彼は、ただ食料を仕込んでいるのではない。未来の、家族の笑顔を、仕込んでいるのだ。


醤油や味噌という、時間のかかるプロジェクトと並行して、アークは、もっとすぐに皆を笑顔にできる、甘い奇跡の準備を進めていた。

厨房には、アークと、全快した母、そして、セーラの三人が並び立っていた。

彼女たちの前には、村の子供たちが森で摘んできた、野生のベリーが、山のようになっている。

「まあ、アーク。あなた、本当になんでも知っているのね。果物を、お砂糖で煮詰めて、保存するなんて」

母は、昔のように、少しも咳き込むことなく、楽しげに笑いながら、大きな鍋をかき混ぜている。

アークは、ふと、母が小さな声で何かを口ずさんでいるのに気づいた。それは、アークが幼い頃、よく子守唄として歌ってくれた、懐かしい歌だった。長年、咳と共に忘れてしまっていた、幸福の音色。その穏やかなハミングが、どんな言葉よりも雄弁に、彼女の喜びを物語っていた。


「この前、ダグさんが作ってくれた、この包丁、すごい切れ味だよ! フロストウルフの牙でできてるんだって?」

セーラが、ダグが打ったばかりの、黒光りする見事な包丁を、感心したように見つめている。

「うん。ダグさんの腕と、僕の素材が合わされば、向かうところ敵なしだからね!」

温かい湯気、甘い香り、そして、愛する人たちの笑い声。それらが満ちる厨房は、アークにとって、世界で一番、幸福な場所だった。


やがて、鍋の中のベリーは、宝石のようにキラキラと輝く、美しいルビー色のジャムへと姿を変えた。

その日の午後のお茶の時間。

食卓には、焼きたてのパンと、出来立てのジャムが並べられた。

家族と、仲間たちが、その村で初めて生まれる「甘い保存食」を、期待に満ちた目で、口に運ぶ。

「……甘い!」「なんだこれ! パンに塗るだけで、こんなに美味くなるのか!?」「まあ、美味しい……! 酸味と甘みが、口の中で溶けるようですわ」

母も、乙女のように、その瞳を輝かせている。父も、無言で、しかし、いつもより少しだけ速いペースで、パンを口へと運んでいた。


その幸福な光景の片隅で、アークは、静かに、そして、深く、満足感を味わっていた。

そして、彼の視線は、自然と、厨房の奥、醤油と味噌が眠る、貯蔵庫の方へと向けられた。

今、この瞬間の、目の前にある、果実の甘い幸福。

そして、静かな闇の中で、ゆっくりと時間をかけて育まれ、日々の食卓を、人生を、根底から支える、深い味わいの幸福。

その両方を、必ず、この愛する人たちに届けてみせる。

少年は、甘いジャムの味を楽しみながら、心に新たな、そして、より大きな幸福の設計図を描くのだった。


***


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