第26話:蛇の道と、屈辱の泥
#### 傲慢なる進軍
代官ゲルラッハの私兵団を率いる隊長の名は、ロリックといった。
元傭兵である彼は、腕っぷし一つで成り上がり、その地位の証として、見事な銀の装飾が施された長剣と、磨き上げられた鋼の鎧を、何よりも誇りにしていた。
「おい、貴様ら、聞け!」
村へと続く渓谷の入り口で、ロリックは、自慢の剣の柄を親指で撫でながら、部下たちに檄を飛ばした。
「仕事は簡単だ! 老いぼれ男爵と、ションベン臭い百姓どもを、ちょいと脅してやるだけよ! 抵抗するようなら、女子供の二、三人、見せしめに吊るしてやれ! 終わったら、代官様が振る舞ってくださる、あの『天上の恵み』とやらが、俺たちを待っているぞ!」
「「「オオオッ!!」」」
三十人近い、ならず者たちの雄叫びが、静かな谷に響き渡る。彼らにとって、これは戦ですらなく、略奪前の、楽しい余興に過ぎなかった。
騎馬で意気揚々と渓谷に進入した彼らは、すぐにその傲慢な鼻をへし折られる。
アークの指示で配置された、巧妙な倒木や岩。それは、道を完全に塞ぐのではなく、馬が通れない、ギリギリの隙間しか残されていなかった。
「チッ……小賢しい真似を」
ロリックは舌打ちし、「田舎者の、稚拙な嫌がらせだ」と一笑に付すと、部下たちに馬を降りて徒歩で進むよう命令した。
だが、その心には、まだ余裕の光が宿っていた。
#### 迷宮の洗礼
しかし、道を進むにつれて、兵士たちの顔から笑みが消えていく。
道は、不自然なほどに曲がりくねり、視界は常に遮られている。足元は、隠された木の根や浮石でわざと歩きにくくされており、重い鎧がじわじわと体力を奪っていく。
「……おい、何か聞こえなかったか?」
「監視されてるような気がする……」
森の奥から聞こえる不気味な獣の鳴き声や、木々が揺れる音(村人たちによる陽動)が、彼らの間に、疑心暗鬼と恐怖を芽生えさせていた。
焦りと苛立ちが募る中、彼らは、道の中央に巧妙に隠された、浅い落とし穴へと足を踏み入れてしまう。
中に仕掛けられているのは、鋭い竹槍ではない。ダグが特別に用意した、粘度の高い泥と、家畜の糞尿を混ぜ合わせた、強烈な悪臭を放つ肥溜めだった。
「うわぁぁっ!」「助けろ! 糞尿だ! 糞尿の海だぁ!」
数人の兵士が、悲鳴と共にその中へと落ちる。
仲間たちが、鼻を摘みながら、なんとか彼らを引っ張り上げる。だが、物理的なダメージはゼロでも、その精神的なダメージは、計り知れなかった。
助け出された兵士たちの、自慢の鎧は、見るも無残な汚物まみれ。強烈な悪臭が、渓谷に充満する。他の兵士たちが、その悪臭に顔を歪め、汚れた仲間から無意識に距離を取り、侮蔑の視線を向け始めた。
「てめぇら、こっち来んな!」「臭ぇんだよ!」
「隊列を乱すな、このクズどもが!」
ロリックが怒鳴っても、一度生まれた嫌悪感と不信感は、もはや消せない。敵の「団結」は、その内側から、静かに、しかし、確実に破壊され始めていた。
#### 心を折る『おもてなし』
兵士たちが、悪臭の中で仲間割れを始め、隊列が完全に乱れた、その瞬間。
彼らの頭上、渓谷の崖の上で、セーラが、総料理長としての威厳に満ちた声で、高らかに宣戦布告した。
「さあ、お嬢さんたち! 招かれざる、行儀の悪いお客人に、アタシたち自慢の『おもてなし』を、腹いっぱい食わせてやるよ! この村の味を、骨の髄まで、魂に刻みつけておやり!」
「「「ヘイ、喜んで!!」」」
セーラの号令と共に、数十個の『スライム爆弾(悪臭玉)』が、一斉に彼らの頭上へと降り注いだ。
パリンッ! パリンッ!
素焼きの壺が、兵士たちの兜や鎧の上で砕け散る。中から、肥溜めとは比較にならない、強烈な刺激臭を放つ、ベトベトの樹液が、彼らの全身に降りかかった。
「ぐあああっ! 目が、目がぁ!」「なんだこの匂いは!?」「息が……できねぇ!」
それは、地獄の光景だった。
視界は塞がれ、鎧はベトベトになり、剣の柄は滑ってまともに握れない。そして何より、戦場にあるはずのない、屈辱的なまでの悪臭と粘液が、彼らのなけなしのプライドを、完全に粉砕した。
ロリックの自慢の、銀の装飾が施された長剣も、今や、得体の知れない粘液にまみれ、便所のような匂いを放っている。
「おのれ……おのれぇぇぇ! 百姓どもがぁぁぁっ!!」
隊長の怒声も、もはや、ただの負け犬の遠吠えにしか聞こえなかった。
#### 丘の上の観測者
その、あまりにも一方的で、あまりにも悲惨な光景を、アークは、丘の上から、ローランの遠眼鏡を通して冷静に観察していた。
隣では、父が「……なんという、むごい戦いだ」と、ある意味、感心したように呟いている。
ローランも、呆れたような、しかし、どこか楽しげな声で言った。
「見事なものですな。敵は、一人も死傷者を出すことなく、その士気と組織的行動能力を、ほぼ完全に破壊されました。もはや、ただの烏合の衆です」
ローランと父が、眼下の光景に感情的な評価を下す中、アークだけが、極めて冷静に、その戦況を分析していた。
(第一段階『蛇の道』、計画通り成功。敵部隊の士気は予測値を下回る30%以下まで低下。連携能力、ほぼ喪失。対象の精神状態は『混乱』から、制御不能な『逆上』へと移行。予測通り、唯一の突破口と誤認させるよう設定した、第二防衛ライン――『茨の城壁』正面ゲートへと向かっている。全て、僕の設計図通り……)
眼下で繰り広げられる、泥と悪臭に満ちた滑稽ですらある光景と、それを冷徹なデータとして分析するアークの思考。その圧倒的なギャップが、彼の異質さを際立たせていた。
「おのれ、百姓どもが……! 全員、村までたどり着け! あの村の者どもを、女子供に至るまで、一人残らず、嬲り殺してくれるわ!」
泥と粘液まみれのロリックが、獣のような憎悪の形相で叫ぶ。
その言葉に、もはや兵士ではなく、ただの凶暴な獣の群れと化したならず者たちが、雄叫びを上げながら、アークの設計図通り、唯一残された道――『茨の城壁』の、正面ゲートへと、怒りと憎しみに駆られて殺到していく。
アークの描いた設計図、その第二段階が、今、静かに、その恐るべき牙を剥こうとしていた。
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