第23話:招かれざる視察官と、黄金の果実
聖浄樹の苗床がもたらした奇跡の作物は、辺境の村に、かつてないほどの豊かな実りの秋をもたらしていた。村人たちの顔には、来る冬への不安など微塵もなく、穏やかで幸福な笑みが浮かんでいる。
その穏やかな空気を無慈悲に引き裂いたのは、北の街道から現れた、一団の騎馬武者だった。
彼らが掲げるのは、この地を統括する辺境伯の旗印。
一行を率いるのは、肥えた役人――視察官と名乗る男だった。彼は、代官ゲルラッハからの命令で来たと告げたが、その心の内では、卑しい野心が渦巻いていた。
(貧乏男爵領で見つかった、奇跡の作物だと? 馬鹿馬鹿しい。だが、もし本当なら……この手柄は俺だけのものだ。代官様への報告の前に、たんまりと私腹を肥やしてやる)
視察官は、領主であるアークの父に案内させ、噂の源である「聖浄樹の苗床」へと足を踏み入れた。
その瞬間、彼の侮蔑の表情は、隠すことのできない、ギラギラとした強欲なものへと変わった。
辺境の痩せた土地にあるとは思えない、青々と生い茂る聖浄樹の若木。そして、その根元で、まるで宝石のように輝きながら実る、奇跡の作物。
「……ほう」
彼は、その場で採れたばかりの作物を一つ、尊大に要求する。セーラが不本意そうに差し出したそれを一口食べた瞬間、彼の全身に衝撃が走った。
これは、ただの作物ではない。金になる。莫大な金になる「黄金の果実」だ、と。
屋敷の広間に戻った視察官は、その本性を現した。
彼は、一枚の羊皮紙を取り出すと、高らかに宣言した。
「代官ゲルラッハ様のご命令である! このライナス男爵領にて発見された新種の作物は、辺境伯様の厳正なる管理下に置くものとする! よって、この作物、及び、それを育てる畑から得られる収穫の**九割**を、特別税として代官様に献上することを命ずる!」
税という名の、完全なる略奪宣言。
同席していたダグや、緑の番人たちの代表が激昂する。
「ふざけるな!」「俺たちが、アーク様と、血と汗で作り上げたもんだ!」
広間の空気は、一触即発となった。視察官の護衛たちが、剣の柄に手をかける。
アークの父は、怒りに顔を紅潮させながら、唇を噛み締めていた。
(ここで逆らえば、辺境伯家との全面対立は避けられない。それは、ようやく安定し始めたこの村を、再び戦火に巻き込むことを意味する。だが、ここで屈すれば、民からの信頼を失う……!)
領主としての、あまりにも重い葛藤が、彼の肩にのしかかっていた。
広間の空気が張り詰め、今にも血の雨が降ろうかという、その瞬間。
「お待ちください、視察官様」
静かだが、凛とした声が響き渡った。声の主は、それまで父の隣で静かに控えていた、アークだった。
視察官の前に立ったのは、彼の腰にも満たない、小さな子供。だが、その子供が発する声は、どこまでも冷静で、その瞳には、まるで百戦錬磨の宰相のような、侮れない光が宿っていた。
視察官は、その子供の異様なまでの落ち着きに、思わずたじろぐ。
「代官様の、我らが領地への深いご期待、大変光栄に思います。ですが、視察官様。この作物は、まだ栽培方法が確立されていない、非常に繊細なものです。今、その九割も取り上げてしまっては、来年の種さえ残りません。それは、**黄金の卵を産むガチョウの腹を、たった一つの卵のために、今すぐ切り裂く**のと同じことではありませんか?」
アークは、子供とは思えぬ論理で、視察官を追い詰めていく。
「代官様ほどのお方が、そのような目先の利益に囚われるはずがございません。まずは、我らが責任をもって、この作物の安定生産を確立させます。その上で、来年以降、安定して、より多くの税を納めさせていただく。それが、代官様にとっても、我らにとっても、最善の道であると、私は確信しております」
視察官は、五歳の子供に完璧な正論でやり込められ、ぐうの音も出ない。だが、このまま手ぶらで帰るわけにもいかない。彼は、顔を真っ赤にしながら、アークを睨みつけた。
「……面白いことを言う、小僧だ。ならば、その言葉が真実であるか、証明してもらおうか。まずは、今年の収穫物の中から、最高のものを『献上品』として、全て差し出せ。それで、代官様のお考えを伺うとしよう!」
視察官たちは、村の希望の結晶である奇跡の作物を、荷馬車に満載して去っていった。
村人たちが、悔しさに歯ぎしりし、地面を叩く。一見すると、それは完全な敗北だった。
だが、アークだけは、冷静な目で、小さくなっていく視察官の背中を見つめていた。
彼の小さな口元に、不敵な笑みが浮かぶ。
(……かかったな。君たちの弱点は、その『強欲さ』と『短期的な視点』だ。僕は、今年の収穫という『駒』を捨てて、『時間』という、何よりも価値のあるものを手に入れた。本当の戦いは、ここからだ。僕の設計図の上で、存分に踊ってもらうよ)
愛する者たちを守るための、新たな戦い。
その火蓋は、確かに切って落とされた。だがそれは、アークが描いた設計図通りの、最初の応酬に過ぎなかった。
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